第5話 弱肉狂食

 

歩き始めてどれくらい経っただろうか。


腕時計を見ると出発した時よりも数字が3時間ほど進んでいた。異世界故に地球の時刻はアテにならないが、経過時間だけならこれで分かる。


さっきまで穏やかだった木漏れ日が今はやけに眩しい。


とんでもなく生い茂ったこのジャングルにさえ差し込む日の強さを考えると、今はちょうど昼くらいなのかもしれん。


呼応するかのように俺の腹もさっきから空腹を主張していたり。


「うにゃあ……お腹が空いたのじゃ……」


そしてそれはヨシツネも同じらしく、頭のネコミミも今は情けなく垂れ下がっていた。


正直こいつは今のままがうるさくないし一番いいと思う。


まぁそんなことはさておき、食料が無いのは結構ヤバい問題だ。


荷物は先生によって宿泊先に転送されたから手元にはお菓子すら無い。しかも水筒まで持っていかれたのは痛恨の極み。


つまるところ、全て現地調達で頑張れってことなのだろう。


これ何てスニーキングミッション?


「井ノ原さんは大丈夫?」


「あ、ありがとうございます……私は大丈夫です」


意外なことに井ノ原さんは平気な様子で、疲れや空腹を感じさせずに歩いている。


空腹もそうだが、華奢な女の子が3時間も歩きっぱなしで平気なのは驚きだ。


しかもどこまで歩いても木があるだけで、他には何の変化も無い。精神的にもキツいだろうに。


さすが超人、常識が通用しない。


「あ~う~……にゃんか食べ物持っとらんかえ新菜?」


「そこに美味しそうな岩があるでよ」


「ウチに食えと!?」


真に受けるなし。


食料はまたどこかで調達しよう……と言いたいところだが、歩けども歩けどもジャングルの終わりは見えない。


どこを見ても木や岩があるくらいで、たまに見たことのない小動物が横切るだけ。


っていうかそれ以前に、本当に真っ直ぐ進めているかどうかすら怪しい。


……あれ?これってひょっとして立派な遭難じゃね?


「どないしましょ。私たち遭難しちゃったよ」


「ま、まだ遭難という程じゃ……半日も経ってませんし」


うーむ、意外と図太い神経してるな井ノ原さん。


ヨシツネも腹が減ってるだけで危機感は微塵も抱いていないみたいだし、なんだかんだ言ってもビビってるのは俺だけということか。


これは元男として負けられないところですな。


まぁ唯一の救いは、平坦で堅めな地面が続いていることぐらいだろう。これで山道みたいに足場の悪い地面だったら泣ける。


「どこかにウサギでもおらんかえ~……」


こいつまさかウサギを食うつもりなんだろうか。


いや確かに極限状態だと仕方の無いことかもしれんが、どっちかというと俺はウサギなんぞ食いたくない。


野生に戻るのはまだ先にしようぜ、ヨシツネ。


「で、でも……こんなに歩いてるのに、大きな動物に遭遇しないのも変ですよね……」


井ノ原さんの言うように、ネズミくらいのサイズの生き物は何度か見かけたが、それよりも大きなやつは今のところ出てきていない。


こんなジャングルだし、そういうのがいても不思議じゃないけど……俺はそんな動物なんかには遭遇したくないので無問題です。


「この際、牛でもいいのじゃあ。なんか出てき……はッ!?」


突如、ヨシツネのネコミミがピンと張り立った。


「どうかした?」


「今なんか足音が聞こえたのじゃ!牛かもしれんぞい!」


いや牛は無ぇだろ。

 

俺達は立ち止まり、じっとしてヨシツネの言う“足音”とやらに耳を澄ませる。


最初は木々の揺れる音しか聞こえなかったが、




…………ガサッ。




草を掻き分けるような、明らかに自然のものではない音が確かに聞こえてきた。


「そこじゃ!!」


音の出所を把握したらしいヨシツネが背後にあった一本の木を指差す。


何の変哲も無い普通の木。その陰から僅かに生き物らしき一部がはみ出しているのを俺達は見逃さなかった。


「隠れてる……ってことは、知能があるってこと?」


「ど、どうなんでしょう……」


ライオンやチーター等の肉食獣は草むらに隠れて獲物を狙うらしいが、あんな風にぴったりと木の後ろに隠れるほど器用じゃないだろう。


だとしたら、まさか原住民か?マサイ族とかそっち系の輩かもしれない。


「牛じゃないのかえ……」


お前は早く牛から離れろ。


「……………」


隠れている“何か”はしばらくこちらの様子を探っているみたいだったが、心を決めたのか少しだけ木から顔を覗かせてきた。


それは明らかに人の頭。髪はボサボサで汚く骨格も微妙に荒々しいが、しかし口や鼻や耳などがその確たる証だ。


まさか本当に原住民だったとは。


「えーと、あの、何か用ですか?」


敵意を感じさせないよう、俺は努めて丁寧に尋ねてみる。


「…………」


しかしそいつは何も答えず、またしばらくした後に、ゆっくりと全身を出してきた。






「……ポ$¢∈★∬¥」






「「え?」」


揃って唖然とする俺達。


出てきたのは、確かに人間だった。


だが人間と呼べるのは頭の部分だけで、首から下は太く長くしかも大量に毛が生え揃っており、引き締まった四足歩行用の肉体がその存在感を強く主張している。


えぇ……まぁ、はい。一言で表すなら馬です。

 

体が馬。頭だけが人間。そんな意味不明な生命体がじっと俺達のことを見ている。


どっかのパラサイトなゲームでこんなクリーチャーが居た気がしますけれども。


「あれは、もしかして……」


「井ノ原さん知ってるんスか?」


「は、はい。固体名は分からりませんが、分類なら……」


と話していると、他の木々からも仲間と思しき同じ生物が姿を現した。


1、2……ざっと数えるだけでも20くらいはいる。


「ボル∀#セ゚@」


「=〆§マ゙▲」


「ペリ仝¶ペリ仝¶」


なんか訳の解らん言葉を発しながら、全員が俺達のことについて会議しているっぽい。


こういうのはアレだ。不気味だ何だといって恐がったりすると、かえって向こうの敵意を買うことになるんだ。


正直恐怖以外の何物でもないが、逃げ出さずに済んだのは超人の業界に慣れてきたからですかね。


大丈夫大丈夫、こういうのはナチュラルかつフレンドリーに話しかければなんくるないさぁ。


「HAHAHA、ごきげんよう。今日もいい天気ですね」


「だ、駄目です不洞さん!」


「ゑ?」


井ノ原さんが制止してきた瞬間、俺の耳に狂ったような叫び声が聞こえてくる。



「プッ、プルォッ、プルァアアアアアアアアアアアアアッ!!」


「モルスァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


「ベヒヒヒヒヒヒェオオオオオオオブブブブブブ!!」


「ポリチョッペパ♂ドリドリドリトゥメ゙ノチ♂キョディ♂!!」


「エンダァアアアアアアアアアアアアアアアアアアイァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」



ある奴は首を左右に振り回し、ある奴は充血した目をぐるぐると回し、またある奴は首を上に向けて大きな奇声を叫び始める。


まさに狂気のオンパレード。


股間の湿り気を隠せない不洞新斗18歳の春ですた。

 

「いや、ちょっ、えぇっ!?何がどうなって……」


友好的でないのは目に見えて明らか。いやどう見ても敵対心マックスっていうか威嚇されまくってる感じなんですけど。


「に、逃げましょう!」


「何スかあの魔獣は!?」


「いえ……あれは魔物です」


いや一体何の違いが?どうでもいいわ。


「た、多分あれは“マッドストーカー”と呼ばれる種類の魔物です」


「変態なんですね分かります」


「ずっと獲物を尾行して、完全に油断した時を狙って恐う……潜伏強襲型です」


「つまり私たちはずっと前から尾けられてたってこと?」


「はい……」


思い返すと鳥肌が立ってきた。俺ずっと油断してたんですが。


「で、あの発狂具合は?」


「わ、私も知らないんですけど、獲物に見つかったということは多分……」


「いやゴメン、なんとなく想像ついた」


普通に考えて襲われるフラグですよね、はい。


俺は井ノ原さんとアイコンタクトだけで頷き合う。


「戦略的撤退!!」


二人同時に背を向けた時だった。


発狂していた奴らが、より狂気を撒き散らしながら追ってき始めたのだ。


「う、ウチを置いていくなぁ!」


寸でのところでヨシツネも走り出し、睨み合いは一転してジャングルレースへ突入。


あな恐ろしや。


「井ノ原さん何か迎撃できる方法とか無いの!?」


「で、出来る、とは思う、んですけど、私のはちょっと時間が……」


俺のスピードに着いてくるのが大変なのか、井ノ原さんは息も切れ切れにそう言った。


仕方ないのでスピードを落として差し上げましょう。幸いなことに奴らの走る速度は思ったより速くないし。

 

果たしてこのまま逃げ続けるしかないんだろうか。井ノ原さんに手段があるのなら多分俺でもいけるっぽいぞ。


だが後ろを振り返ると発狂した化け物の群れ。強さ云々の問題じゃなく生理的にアレと対峙するのは結構キツい。


「ぬぅ、やられっぱなしは癪なのじゃ!ここはウチが一発ドカンと……」


「ストォオオオオオオップ!!」


「ぐぇふっ!?」


俺は炎球を投げる寸前だったヨシツネの首ねっこを慌て引っ張った。


「な、何するんじゃ!?」


「ドアホ!こんなジャングルの中で火なんて使ったら山火事になるだろうが!!」


マッチや焚火たきび程度ならともかく、こいつの火力だとマジで火が回りかねない。


危ない危ない。


「うにゅ……新菜がいつもより怖いのじゃあ……」


そんなのに気を遣ってられんのですよ今は。


しかし困ったな。ヨシツネは使えないし、井ノ原さんだと時間が掛かるという。


……え?やっぱり立ち向かえるのって俺だけ?


だから消去法は滅べと。


「ふ、不洞さん……お願いします」


どうしよう。この二人と組んだのは本当に失敗だったかもしれない。


嗚呼神様、生まれて始めて俺はアンタを呪う。いや今までも結構事ある毎に呪ってきたけどさ。


今回はマジっすわ。


「不幸だぁああああああッ!」


上条さん、今なら貴方の気持ちがよく分かります。


半ばヤケクソ気味に、俺は腕時計を操作した。


一瞬マサル・パンツァーにしようかと思ったが、なるべくあの怪物に近付かないで済むよう今回は槍を取り出しておく。

 

想像してもらいたい。


例えば自分が真性ガチムチ兄貴の集団に追い掛けられているとして、それに立ち向かうのがどれだけ勇気の要る行為なのかを。


この恐怖はそれに勝る。


「ペラッポヨォオオオオオヴィイイイイイイイイイイイ!!」


「ポンポンポポンポンポンポポポポーンポンモテアマス!!」


「バブルスバブルスバブルスバブルスバブルスバブルスバブルスバブルスバブルスバブルス!!」


おまけにその集団は、ヨダレと狂気を撒き散らす超危険生命体ときた。


やめて!俺のSAN値はもうゼロよ!


しかしマジな話、これ以上こいつらの叫び声を聞いてるとリアルにSAN値が減りかねない。


早急に駆除せねば。


臓物はらわたを……」


俺はブレーキをかけ、振り向きざまに槍を全力で突き出した。


「ブチ撒けろォ!!」




ズシャッ!




「プル……コギィ……ッ!?」


断末魔と共に気色悪い手応えが返ってくる。


見れば、槍の先端が一体の頭部を的確にぶち抜き貫通しているじゃないですか。


噴水のように吹き出した鮮血が辺りを紅く染め、ビクビクと痙攣した後にそいつは動かなくなった。


「…………」


ふふん、大丈夫大丈夫。これしきで腰を抜かすような俺じゃない。マブでラヴなエロゲやってりゃこれ以上のグロシーンなんて腐るほど出てくるし他にもスプラッティな作品なんて山ほどありますからあばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばぱばばばばばばばばばばば。


結論。無理。


「ギエピ――――ッ!?」


俺は慌てて槍を引き抜く。


支えを失った魔物の肉体は力無く地面に倒れ、大きな音を周囲に響かせた。


他の奴らもそれを見て足を止め、嫌に静かな空気が流れ始める。


そして俺は手に残る感触がどうにも生々しくて苦虫を嚙み潰さずにはいられない。


不洞新斗、人生で初めて哺乳類を殺めました。


いやこいつらが哺乳類かどうかは知らんけども。っていうか俺と同じ部類に入っていてほしくない。


「……ま、まだやる気くぁ?」


我ながら情けない虚勢だとは思うが、真っ赤に染まった槍を構えながら俺は呟いた。


しかし同時に少しずつ後退を続けておくのも忘れない。


「…………」


どれくらい時間が経っただろうか。


どこぞのスタンド使いが時間止めてんじゃね?と錯覚してしまいそうな静かな空気を破ったのは向こうだった。


「……†%ピ∋¶㈱」


「★|#〃〃℃⇒㈱」


「モ゚“≠∬◆トョ仝㈱」


「1:3=Bノ㈱。∀¢※∝∇㈱」


「〒㈱!」


「>\◎㈱!」


訳の分からん話し合いを始めたかと思えば、その内の一頭が死体の首元に噛み付き、ずるずると後ろの方へ引っ張っていく。


そのまま一頭、また一頭と木々の向こうへ消えて行き、俺たちの前に残ったのは地面に染み込みつつある血溜まりだけとなった。


「終わった……のか……?」


なんて漫画臭いセリフをこの状況下で呟ける辺り、俺も相当感覚が狂ってきたのかもしれん。


「なんじゃ、呆気ないのぅ」


そう思ってるのはお前だけだアホ猫。こっちはめっさ精神擦り減らしたてんだぞ。


返り血が制服に着かなかったのだけが不幸中の幸いというやつだろう。


これで血まみれになってたら余計に精神擦り切れるわ。


槍はべったりと紅く染められているが、これもまた腕時計に収納すれば無問題。


今更ながら素晴らしい機能だ。黒若のくせにいい仕事してやがる。


「すんなり退いてくれて助かったね。意外と物分かりの良い生き物なのかも」


「いえ……ああいう気性の魔物って、大概は目的を果たすまで諦めない筈なんですが……」


「ん?そうなの?」


じゃあなんで帰ったんだろうか?そう聞いてみると、井ノ原さんは少し血の気が失せたような顔色になった。


「た、たぶん……目的だった食糧の確保が済んだから……だと……」


うん、ごめん。よく聞こえなかった。いや聞こえてたんだけど理解が追い付かないです。

 

「ちょ、ちょっと待って。それってつまり……」


「……はい」


井ノ原さんは小さく頷き、俺の嫌な想像を肯定する。


奴らが俺らを尾けていたのは間違いなく捕食するため。しかし俺が一頭を返り討ちにすると、奴らは簡単に諦め死体だけを持ち帰っていった。


いや……諦めた訳じゃなく、襲う必要が無くなったから。


つまるところ奴らが手に入れた食糧というのは、仲間の死体。


この嫌悪感マックスな醜い行為を一言で表すなら“共食い”だ。


今頃奴らは仲間だったアレの血肉を貪っているんだろう。


「うっわ……想像するだけで吐き気してきた……」


「魔物になると倫理感が崩壊するそうですから……」


魔物……恐ろしい子……。


「そ、そういやさっき魔獣じゃないとか言ってたよね。違いとかどうなってんの?」


これ以上エグい話は嫌なので、俺はちょっぴり強引に話題を変えてみることにした。


共食いが許されるのは虫系だけですよ。


「にゃっはっはっは!そんなことも知らんのかえ新菜は?」


「じゃあ頭のいいヨシツネさん説明して。三文字以内で」


「にゃ、にゃにぃ!?ええ、えっと、自然の中にある魔素が……あ、三文字じゃから、し、しぜん……?むむむ……」


馬鹿め。お前が俺を笑うなんぞ十年早いわ。


「じゃ、井ノ原さん説明よろしく」


「あ、はい」


「三文字……魔物だけで三文字使ってしまうのじゃ……どうすりゃいいのじゃ……?」








しばらく歩きながら説明を聞くと、案外分かり易い内容だった。


どうにも自然には“魔素”と呼ばれる……文字通り魔力の素が存在するらしい。


魔法使い系統の超人はこの魔素を体内で生成したり周囲から取り入れたりして魔力に変換しているとか何とか。


で、自然中の魔素濃度が許容値より濃すぎる場所だと、耐性の無い野生動物は悪影響を受けて体から思考まで色々と変わってしまうという。


そうして生まれたのが“魔物”。井ノ原さんによれば、さっきの連中も元は馬的な普通の動物らしい。


しかし魔素さんも何故人間の顔をチョイスしたのか甚だ謎である。

 

「地球では自然中の魔素濃度が極端に薄いので、ああいう魔物は滅多に現れないんです」


「滅多に……ってことは、無い訳じゃないんだ?」


「はい。地球みたいに魔物が認知されていない世界でも場所によっては生まれるので、騒ぎになる前にそれらを退治するのも私たちの仕事なんですよ」


怖ぇ。自然怖ぇ。完全にナメてたわ。


日本みたいな先進国は大丈夫そうだけど、アフリカや南アジアに行ったら絶対何か居そうだな。


マサイ族とか被害に遭ってるやもしれん。


「魔獣については……話すと少し複雑になりますけど……」


「あ、じゃあスルーの方向で」


「わ、分かりました」


話題を逸らすつもりがこのままじゃ面倒な勉強会になり兼ねないからな。


差し迫る危機も去ったことだし、今はもう余計なことはあまり考えたくない。


そうして俺たちはジャングルの出口を目指して再び歩き始めた。


「むぅ……三文字……」


お前はまだやってたのか。

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