第3話 てんせい! ~ニートの魂が定着されましたよ~

 

夢を、見ていた。


果てしなく広がる荒野。


様々な形をした無数の剣が、まるで墓碑のように大地へその刃を突き刺している。


よく見れば、それに混じってシャーペンや鉛筆、さらにはオタグッズなども突き刺っている。


そんな荒野の真ん中にポツンと、孤独に佇むスーツ姿の背中があった。


あぁ、これはあいつの……心の中の光景なんだ。


大学受験に失敗して浪人し、リクルートスーツを着て就活し、それでも職に就けない未来のニート。


要するに、そいつはどうかしていたのだ。


それなりの学力があって、それなりの野心もあった。


なのに、マークシートを塗りつぶす箇所を間違えて、あっけなく落ちただけ。


それが無性に頭にきた。どうして、と文句を言いたくなる。


頑張って頑張って、オタクのくせに努力して、血を流しながら辿り着いた試験があった。


その報酬が「凡ミスで落ちた」だなんて笑い話にもならない事だったのに、そいつは満足して浪人を選んだのだ。


それが、今、目の当たりにしている奴の運命。そして、夢にはまだ続きがあるようだった。

  


――――その地獄に、そいつは立っていた。



おそらくは何処かの大学の合格発表で、事故による惨状じゃない。


”契約しよう。我が浪人を預ける。その報酬を、ここに貰い受けたい”


妄想の言葉を紡ぐ。


その後、そいつは何かに憑かれたように様変わりして、本来買える筈のないオタグッズを買い漁っていた。


……あぁ。要するにコレが、そいつが『ニート』になった事件なワケだ。


なんだ、割とあっけない。よくある話じゃないか。


判っている。今の言葉は、前に自分が紡いだ言葉だ。


かつて夢見た理想。


誰もが働かずに、誰もが幸せでいられる世界。


そんなものこそ、まさに夢物語。不可能だ。


なら、自分だけでも。


そうして理想を追い続けた果てに在るのが、この荒野と……あのニートの背中なのだろうか。




無限の就活アンリミテッドジョブズワークス




どれだけ働いて、働いて、働いたとしても結局は安いバイト止まり。


ニートを満喫していた分、働く決心がついたところで正式な雇用など皆無。


あいつが、俺の追い求めた理想なのだろうか?


今ならまだ引き返せる。だが引き返したところで、俺にはもうニートを目指すしかない。二次元しか道がないのだ。


――そうか、ならば。


不意に聞こえてくる、あいつの声。


――ならばせめて、その二次元を極めてみせろ。


小さくみすぼらしい背中が、そう語っていた。








「体は剣で……おぉうっ!?」



ガバッと、俺は唐突に目を覚ました。


俺がお前でお前が俺で……的な夢を見ていた気がする。最近やったゲームの影響だろうか。


「…………」


そんなことよりも、だ。


ここはどこだ?


真っ先に視界に飛び込んできたのは、「白」で統一されたような部屋だった。


壁も白なら床も天井も白。窓の向こうに広がる綺麗な青空を除いては、まるで時間が止まったかのように色彩の無い空間が静寂を際立たせている。


俺はちょっと薄めのシーツをかけられたままベッドで寝ていたらしく、窓から差し込んできた日光に目を細めた。


寝起きは目がショボショボするな。


そんな眩しさに慣らしつつ、俺は自分の置かれた状況を整理してみることにした。




俺の名前は不洞 新斗ふどう にいと。年齢は18歳。


高校の時に付けられたあだ名は「不働ふどうのニート」。


二週間ほど前に某大学を受験し、見事に落ちた浪人生である。


いやはや、まさかマークシートで凡ミスを犯すとは。




自己確認はこのくらいでいいだろう。


問題は、なんでこんな部屋にいるかってことだ。


昨日は何をしていた?スーパー自問自答タイムの時間だ。


確か、浪人期間を共に歩む我が嫁たちを迎えに(エロゲ買いに行ってたんだよ悪いか)、近所のゲームショップに足を運んだはず。そこまでは確実に覚えている。 


で、後は帰宅するだけだっ……、


「……ゑ?」


おかしい。何かが引っ掛かる。

 

そうだ、家に帰れちゃいない。


途中……帰宅途中で、何か大変なことに巻き込まれたんだ。


大変な事。


大変な事。


とんでもなく大変な事。


「……あ」


しばらく考え込んでいた俺の脳裏に、とても嫌な光景が蘇ってきた。


視界いっぱいに広がる、猛スピードで迫り来る、酔い気味なオッサンが運転するトラック。


ぶつかった、と感じた瞬間、全身を襲う激痛。


飛び散る紅い液体が俺の血だと気付いたのは、そのすぐ後。


吹っ飛ばされたと思ったら、また別の方から突っ込んでくる自動車。


跳ね飛ばされる俺。


数メートルほと吹っ飛ぶと、今度はオープンカーに乗ったグラサンの男。


下半身にぶつけられる俺。


ゴロゴロと転がった先には、スーパーの袋を片手に運転しているおばちゃんスクーター。


直に轢かれる俺。


音が、衝撃が、悲鳴が、血が。


絶体絶命っていうのは、まさにアレのことを言うんだろうな。


「……よく生きてたな、俺」


奇跡ってあるんですね。


これからは神様に感謝して生きたいと思います。もちろん二次元の神様に。


八坂神○子は俺の嫁。異論は認めない……なんて言ったらファンに殺されそうなのでやめておこう。


皆の神様ですよね、はい。

 

それにしても、と俺は改めて周りを見渡してみた。


こういう光景、どっかで見たことある。白い部屋といえば……、


どう見ても病院でございます。


そりゃそうだ。あんな大事故に巻き込まれたんだから、病院に担ぎ込まれるのが当然。


それによくよく思い出せば、俺は担架で長い廊下を運ばれてたワケだし。




……あの看護婦ども、絶対に訴えてやんよ。




積もり積もった恨みは近い内に晴らすとして、とりあえずここは病室らしい。


しかも個室。リッチやのぅ。


いや、個室を宛がわれるほど酷い怪我だったのか?


「……?」


と、そこで妙な違和感に気付いた。


痛みが全く無い。結構ヤバそうな怪我だったのに。


それに、なんか自分の手が小さい気がする。


「なんだこれ。事故って骨格が変わることとかあんの?」


っていうか、なんだか声もおかしい。なんだこれ?


なんて不思議がっていると、部屋の扉がゆっくりと開かれた。


幽霊でも見るかのようにこっちを呆然と眺めながら、立ち尽くしているのは一人の女性。


「……新斗?」


今にも泣き出しそうな酷い顔で、そう名前を呼ばれる。


なんでそんな顔をしているのかよく分からないが、俺は首を縦に振っておいた。


その女性は俺の母親、不洞 樹里ふどう じゅりだ。


「新斗……本当に新斗なの?」


「ついに老眼極まったかマイマザー。どこからどう見ても不洞新斗サマでしょうが」


暴言はさておき、マジで訳が分からん俺はとりあえずもう一度首を縦に振ってみる。


すると母さんは目に涙を浮かべ、


「にいとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」


「ぐえふっ!?」


思いっきり飛び付いてきやがった。


ちょっ、おまっ、この歳になってそれはキメェ。ってか首に入ったぞ、首に。


看護婦といい母さんといい、よほど俺を冥土に送りたがっているとみえる。


畜生め。

 

「新斗!よかった……本当によかった……!」


マジ泣きで抱きしめてくる母さん。


そこでようやく理解できた。


俺は死んでもおかしくない怪我を負ったんだ。


瀕死だった息子が助かって、喜ばない親はいない。


と思う。


そう考えたら、泣きじゃくる母さんに対して少し申し訳ない気持ちが出てきた。


「ん、俺ならもう大丈夫だって」


言って、母さんを押し退けた。


肩とか首に涙が付着して感触が悪いんですよ、ええ。


それにしても、相変わらず俺の声は変だ。


変というか、可愛い。声優みたいになっちょる。


怪我のせいか?あるいは耳の方がバグってる?


いや、治療の一時的な副作用という線も有り得るな。


「……でもゴメンね、新斗。母さん、新斗を助けるためにはこうするしかなくて……」


ようやく泣き止んだらしい我が母は、一転して暗い表情に変わった。


いや話がよく見えないんだが、何が「ゴメン」なのだろうか。


一番いい説明を頼む。


「ふふっ……実に不思議そうな顔をしているね、不洞新斗君」


「ん?」


突然聞こえてきた声の方に視線を移すと、部屋の入口あたりに、白衣を纏った男の姿があった。


黒若くろわか先生……」


母さんが、ぺこりと頭を下げる。


先生ということは医者か。


この状況からして多分、俺の手術で執刀した人なんだろう。

 

「気分はどうだい?優れないところがあったら遠慮なく言ってくれ」


そう言って、黒若先生とやらはイケメンスマイルを見せた。


かなり友好的な、そして愛嬌のある顔立ち。すらりとした長身に清潔感のある短髪。


世の女共が黙っちゃいないだろうな。




イケメンは全員死ねッ!




……とまぁ、仮にも命の恩人らしいので、迸る殺意はこの際抑えておくことにしよう。


俺ってば紳士。


「いやまぁ、痛い所とかは無いです。むしろ頗る気分が良いくらいで」


「そうかい、それは良かった」


「ただ、その……」


「ん?どうかしたかい?」


「さっきから気になってたんですけど、この声はどうなってるんですか?気持ち悪いくらい可愛くなっちゃってません?」


俺の耳がおかしくなければ、今俺が発している声は女の子のそれだ。


しかも声優クラス。もしアニメでこんな声のキャラがいたら間違いなくファンになるね、俺は。


「ははっ、気持ち悪いのか可愛いのかハッキリしないようだね、君にとっては」


「いや可愛いです」


「即答とは、君も相当アレな人だね」


どうでもいいからさっさと答えんかい。


そんな俺の気持ちを察してか、黒若先生の表情が少し変わった。どうやら説明モードに入ったらしい。

 

「色々と驚くこともあるだろうけど、落ち着いて僕の話を聞いてほしい」


2分だけでもいい?


なんて茶化せる状況じゃないので、素直に頷いておいた。


「では、まずはこれを見てくれないか。なに、治療費の請求書とかじゃないから安心していいよ」


そう前置きして、黒若先生は持っていたカルテを俺に差し出した。


受け取って目を通してみるが、あまりに大量な文字の羅列に、つい眩暈が起きてしまう。


ええい、何のこっちゃ分からん。


「そこにずらりと文字が書かれているだろう」


「はい」


「それ全部、君が負った怪我とかなんだ」


「はい……ってオぉイ!?」


全部って……これ全部!?ぱっと見るだけでも30個以上はあるぞ!


大腸なんたら……とかの医療用語は全く分からんが、骨折とか開放骨折とか粉砕骨折とかぐらいは素人の俺にでも理解できる。


つーか骨折多いな。


まずい。これが死亡フラグを立てた奴の成れの果てか。


あな恐ろしや。


だが、そこでもう一つの疑問が甦ってくる。


「こんなメイド行き……じゃなかった、冥土逝きの怪我をしたのに、なんで体の方は何ともないんですか?」


「言い直した部分は敢えて追及しないよ」


「ええからさっさと言いなはれ」


おっと、つい関西弁が出てしまった。


「うん、せっかちな君の為に、僕が施した処置を端的に説明しよう。その前に不洞さん、少し席を外していただいてもよろしいでしょうか」


黒若先生はそう言って、母さんに退室を促した。


泣きじゃくったせいで目が真っ赤な母さんだったが、仕方ないといった様子で指示通りに病室を後にする。

 

病室には俺と先生の二人っきり。しばしの間視線が合い、先生は小さく笑った。


念の為に言っておくが俺にそっちの趣味は無い。掘るのも掘られるのも御免被る。


全く以って腐女子の感性は理解できないな。


全国の腐女子の皆さんごめんなさいどうかその握りしめた拳を収めて。


「君は事故が起きてからすぐにこの病院に運び込まれたんだ。そして治療の為に緊急手術を行うことになった。ここまでは大丈夫かい?」


「おk」


「うん、それじゃあ続けよう」


今の返事に突っ込んでこない辺り、この黒若とかいう先生から同族の気配が漂ってきた。


イケメンで好青年でオタク……腐女子が食い付く要素満載だな。


すいません偏見です全国の腐女子の皆さん銃口を下ろして。


「さて、いよいよ執刀することになったんだけどね」


先生はそこで表情を曇らせ、一拍置いてから続ける。


「そこのカルテに記されている通りに、これ以上無いってほどの重傷だったんだ。正直、手の施しようが無かった」


だから延命措置が限界だった。申し訳なさそうな先生の顔つきに、流石の俺も文句を言えない。


おそらく最善を尽くしてくれたんだろう。この人に罪は、無い。


悪いのはあの看護婦どもだ。


なんてクレームは、また後ほどにしておこう。


「術後も予断を許さない状態だ。君の体力にもよるが、いつ心臓が停止してもおかしくなかった」

 

ならば、何故今の俺は怪我の一つも無い健康体なのだろうか。


その疑問が、ようやく解決する。


「君の体はどうしようもなかった。治療も不可能だし、時間が過ぎれば過ぎるだけ死に近づいていく」


「ふむふむ」


「だから、新しい体に移し替えたのさ」


「なるほど」


今、さらっと聞き捨てならない台詞が聞こえた気がする。


「ははっ、冗談がキツいですよ先生。いくら俺でも二次元と三次元の区別はつきますよ」


「奇遇だね。僕もつくよ」


「テラワロス」


「メシウマ」


こいつ……阿吽の呼吸で返してきやがった。ホンモノだ。


……じゃなくて。


「体を入れ替えたって、どういうことですか!?」


「そのままの意味だよ。正確に言えば、君の脳を別の体に移植したってことさ」


つまりは脳移植というやつか?


だが俺が知る限りでは、そんな施術が成功したなんて事例は無い。


眼球や心臓じゃあるまいし。もしそんなことが成功すれば、間違いなく世界的なニュースだ。


「信じられない、って顔をしているね。無理もない。君の気持ちはよく分かるよ」


だけどね、と先生は付け加え、


「これは現実に起きたことなんだ。何より、君の命そのものがそれを証明している」


くそっ……だとしたら、俺はもう俺じゃないってことなのか?


そもそも、脳移植なんてことが可能だとしたら何で世間に認知されていないんだ。疑問は湧いてくるばかりだ。


「理解が追い付かん。誰でも分かるように三文字以内で述べよ」


「お断り」


畜生め。

 

「ははは、冗談だよ。僕も医者の端くれだからね、患者にはちゃんと説明するさ」


俺としては脳移植自体も冗談であってほしいところだが、残念ながらそれは事実らしい。


「しかし君はなかなか疑り深い人のようだからね。一番分かり易いやり方でいこう」


始めからそうしてほしい。


「論より証拠。百聞は一見に如かず。これを見て現実を受け取めてごらん」


先生が運んできたのは、白いシーツが架けられた等身大の何かだった。


面倒臭ぇ。この期に及んで勿体振るつもりかこの医者。


「刮目せよ!オープン・ザ・ウィンドウ!」


シーツだ、バーロー。


邪魔な物体が取り除かれ、隠されていた“何か”が顕わになる。


それを見て、俺は……。


俺、は……。







「あなたと、合体したい」







気が付けば、頭を下げながら目の前のそれに手を差し出していた。


だってほら、アレだぜ。見たことも無いような、二次元に存在したっておかしくない程の美少女がそこに居たんだ。


リアルの女に絶望していた……そんな俺の価値観を根底から覆すような、超俺好みの美少女が。


髪は淡いピンクのような色彩。それでいてさらさらで、しかし若干ウェーブのかかった腰まである長髪。


顔は美少女に相応しい、全体的にほっそりしながらも少し丸みのかかった童顔。輝かしい瞳が俺の胸をときめかせる。


腰の細さも一級品だ。


おまけにボイン。ヴォイン。大切なことなので二回言いました。

 

「どうやら気に入ってもらえたようだね」


「先生!俺は今!この世に生を受けたことを心から感謝している!」


PCから嫁が飛び出してきた。そんな妄想が現実となったような事態に、ピュアな俺は興奮を隠せない。


あぁ、ハレルヤ……。ハプティズムじゃない方な。


「それは良かった。実のところ、新しい体を受け入れてくれるか不安だったんだ。いやぁ、本当に良かった」


……………………ゑ?


この医者、今なんて言った?


「Type.R-18H。僕たちの技術を結集した最高傑作だ。あ、名前は自分で決めていいよ。女の子で新斗ニートなんて名はちょっとアレだからね」


「ちょっと待て。マジで理解が追い付かない。詳細をキボンヌ」


「それは死語だよ」


「黙れ2ちゃんねらー」


おっと、突っ込んでいる場合ではない。


先生はやれやれといった風に、美少女の方をもう一度指差した。


「よく見てごらん。確かに美少女だが、これ自体は美少女じゃない。というか人間ですらない」


奇妙な言い回しだったが、冷静さを取り戻した今の俺は先生の言わんとしていることが理解できた。


これは美少女なんかじゃない。


ただの鏡だ。


つまり、目の前にいる美少女は鏡に映っているだけの存在。


「ようやく正気に戻ったようだね。そう……そこに美少女が居るんじゃなくて、君自身が美少女なんだ」


「いや、えっと……性転換フラグを立てた覚えは無いんだが」


「でも女子高に編入できるよ?シチュエーションとしては最高だと思うんだけどなぁ」


それは自分の息子が健在……つまりは“男の娘”だったらの話だ。


しまった論点がズレてる。


「先生……これは夢ですか?」


「まぁ一部オタクの夢ではあるだろうね」


そういう意味じゃねぇよ。


いやしかし、これは色んな意味で凄いな……。とても自分の体とは思えない。


本当に夢でも見てるみたいだ。けど確かな体の感覚が、これが現実であることを物語っている。


しかしなるほど、脳移植か。


便利な世の中になったものだ……と言いたいところだが、重大なことに気がついた。


俺は脳を移植したから生きている。だが、器となった体の方はどうなのだろうか。


まさか生きた人間の体を使った訳でもあるまい。おそらくは脳死した女の子のものだろう。


しかもこんなにパーフェクトな可愛らしさを持っていた女の子。いや容姿がどうであれ、脳移植に使われるなんて遺族はそれで良いのだろうか。


その旨を率直に伝えると、先生は首を傾げた。


「今言ったじゃないか?そのボディは僕たちの最高傑作だって」


最高傑作。その言い方が、なにやら不審な気配を漂わせる。


「そうだね……やはりいきなりでは飲み込めないか。よし、今から君の常識を根底から覆す話をしようか」


などと、物騒なことを言い放つ黒若先生。


なんだろう。やけに楽しそうな表情をしている。目潰しで歪めてやりたいくらいだ。


「まずその体……Type.R-18Hだけど、それは僕たちが作ったものなんだ」


「禁忌を犯した……だと……!?」


「人体錬成は日本の法で禁止されていないから大丈夫だよ。それに錬金術は使ってないからね」


やはりメジャーなネタは簡単に返してくるか。


とまぁ、そんなことは置いといて。


人間の体を作った。もしそれが本当だとしたら脳移植どころの騒ぎじゃない。

 

「意外と驚かないんだね。まぁこちらとしても、その方が助かるんだけど」


「理解も出来ていませんけどね」


「それくらい承知しているよ。人間を作ったなんて言われて『はい、そうですか』と納得出来る人の方がおかしい」


おや、何気にマトモな意見が飛び出してきたぞい。


俺の心境を充分把握した上で語られるのは助かる。


「が、納得してもらわないと困るのも事実だ。いきなりにとは言わないよ。徐々に慣れてくれれば良いさ」


「ん~、信じたいのは山々なんですけど、やっぱり少し……」


「とにかくアレだよ。難しく考えるだけ時間の無駄ってこと。どんな理屈であれ君は命を拾ったんだし、それで良いじゃないか」


どうやら、どういう風に作ったとか、具体的な話はしてくれないらしい。


まぁそんなことを説明されたところで、ただのニート予備軍にしか過ぎない俺には分かる筈もないのだが。


情報の取捨選択を正確にこなし、必要なことだけを伝える。この黒若という医者は実に賢しい人間だ。


「先生、質問があります」


「はい、不洞君」


「なんで男じゃなくて女の子の体を作ったんですか?」


「その方が可愛いからに決まってる」


訂正、実に賢しい変態だ。


「じゃあ聞くけど、もし君が僕と同じ立場だったら男の体を作ったのかい?」


「そんなワケなかろう」


「ぬるぽ」


「ガッ」


平成生まれのノリが炸裂。もはや聖遺物レベルの化石言語を交わした俺たちの間には固い友情が……


芽生える訳ねぇよ。


さて、と先生が仕切り直す。


「ここまでは良いね。じゃあ次は、脳移植の対象として君を選んだ理由を話そうか」


え?死にそうだったからじゃないの?


俺がそんな風に唖然としていると、今度は逆に先生が驚いた顔付きになった。


「まさか、何の理由も無しに君を選んだとでも思っているのかい?」


その言い草だと、何か特別な事情があるのだろうか。


しかしよく考えてみれば、確かに脳移植は異例の出来事。並々ならぬ思惑があっても不思議じゃない。


瀕死の人みんなに脳移植をしていては、とっくの昔に世界中に知れ渡っているだろう。


「その理由って何ですか?」


先生は小さく溜め息をついた。俺を馬鹿にしているというよりは、自分自身に対する、どこか自虐的な感じだ。


「僕たちは高度かつ至難な研究の末にその体を作ることに成功した。だけど最後の最後、命を吹き込むことまでは出来なかったんだ」


なんか苦労話っぽいのが始まったな。面倒くせぇ。


聞き流したいところだが、他にやることも無いので仕方なく耳を傾けてみることにした。


「心臓を始めとした各臓器は正常に活動していた。だが脳だけはそう簡単にはいかない。考え得る全ての技術を駆使したけど、人間の思考や知能を再現するのは不可能に近かった。精々、電気信号で筋肉を動かしたり自律神経を稼動させたりする程度さ」


なるほど、なんとなく話が見えてきた。


「だから僕たちはこう考えたんだ。『移植しちゃえばいいじゃないか♪』って」


なにこの医者。こわい。

 

「でもさらに、ここで一つの問題が発生した」


まだ続くのかよ。


これ以上聞いていると色々とヤバくなりそうだ。いやホントに。


「脳移植を行うには絶対的な条件があるんだ」


「ニュータイプとかの脳じゃないと駄目なんですね、分かります」


「脳と器の波長。これが百パーセント一致しなければ、移植したところで体は動かないのさ」


無視すんなし。


「それに脳移植という以上、普通に暮らしている人間を被験者にする訳にもいかない。どうしても瀕死状態のサンプルが必要だった」


「今何気なくサンプルって言ったよな。サンプルって言ったよな」


「事故が起きたと聞けば色んな所に飛んで行ったさ。世界中のデータベースも調べたし、医者仲間からもあらゆるコネを駆使して情報を聞いた」


「俺の話を聞けよ」


「だが、何万人ものサンプルを調査しても波長の合う者は見つからなかった」


駄目だコイツ……早く何とかしないと。


このマッドサイエンティストはさておき、俺はようやく自分の置かれた状況が理解出来てきた。


「つまり、俺がその“波長の合うサンプル”だったってワケですか」


「うん、そういうこと。もう僕たちも諦めかけていてね。延命措置とはいえ、正直手術するのも面倒になっていたところなんだよ。いやぁ、後から知らされた時には驚いたなぁ」


「一発殴ってもおk?」


「だが断る」


こいつ本当に医者か?

 

「とにかく、これで君の体についての説明は大体終わりだ。何か質問はあるかい?」


「ツッコミ所が満載すぎて困ります」


「よし、無いね。それじゃあ、次は“君のこれから”についてだ」


そろそろ110番の準備をしておこうか。


さりげなく隣に置いてあった我が母君の携帯に手を伸ばし、メールを打つふりをしてダイヤルを入力し…………。


な、何……!?圏外、だと!?


「あ、言い忘れてたけど、盗聴防止の為にこの部屋には電波が入らないようにしてるんだ。友達との連絡はまた今度にしてね」


そう言う黒若先生の笑みは、俺の考えを見透かしているかのようで不気味だった。


ガッデム。


「移植手術が成功したとはいえ、まだまだ不確定要素はある。悪いけど君には検査のために2、3日の間入院してもらうことになるよ」


くそっ、逃げ場は無いということか。


「大丈夫だよ、人体実験をする訳じゃないから。脳の波長の調子とかを計測するくらいかな。ほら、テレビとかで見たことあるだろう?頭にぺたっと張り付けてるやつ」


「まぁ、そういうのなら」


微弱な電気信号を測定するとか、そんなやつだった気がする。


それなら危害は受けそうにないし、一応は安心だ。


第一、俺は死んでもおかしくない大怪我をしたんだし、それが2、3日で退院できるのなら願ったり叶ったりである。


女の体っていうのは大問題だけれど。

 

いやそれにしても、これから一体どうなるんだろう。


この世に生を受けて18年。まさかいきなり性別が変わるとは思いもしなかった。


リアルの女の子に全く縁の無かった俺には、女の子の生活なんて想像できない。


ギャルゲやアニメの女の子って、生々しい部分は描写されないからな。


っていうか社会復帰できんのこれ?履歴書とかにプロフィールを書く機会がきたとして、


氏名:不洞新斗

年齢:18歳

職業:浪人生

性別:男改め女


うーむ、ぶっ飛んだステータスだ。


「さて、退院した後のことなんだけど」


あ、まだ続いていらっしゃった。


「君には、ある学園に通ってもらうことになる」


「……ホワッツ?」


なんと、退院後まで絡んできやがるのか。


いやそれ以前に、学園に通うってどういうことだ。


「浪人生の君には嬉しいニュースだろう?まぁ、大学じゃなくて高校なんだけどね」


高校2年の編入生として通ってもらう。先生は簡潔にそう述べて、俺の反応を待っている。


「なんでまた高校に行かなきゃいけないんですか?」


少し前まで過ごしていた高校生活のことを思い出す。


友達は一人もいない。恋人は何十人もいた。PCの中に。


周りにはリア充だらけ。


成績は良い方だったが、ずば抜けてという程でもない。故に注目されることもなく、教室の隅っこでずっと携帯ゲーム機をプレイする毎日だった。


あの心躍らない監獄生活に戻れと?


「色々と事情があってね。いずれは詳しく話すつもりだけど、今はその時じゃない。黙って首を縦に振ってくれないか」


「断固辞退する」


誰が好き好んであんな生活に戻るものか。

 

「ははっ。予想していたとはいえ、きっぱり断られると悲しいなぁ」


全然悲しそうに見えないのは、決して俺の目の錯覚じゃないだろう。


「でもね、君に拒否権は無いんだよ?」


「――ッ!?」


先生の纏うオーラが明らかに変わった。


黒い!なんつーか腹黒い!黒若の名に偽り無しということか!


「これが何だか分かるかい?」


黒々若(命名、俺)が取り出したのは、一枚の薄っぺらい紙だった。


そこに書かれている文字に、俺の視線が釘付けになる。


「感謝……状?」


「請求書だよ。どこからどう見ても」


流石に誤魔化せんか。


しかし俺は負けない。くじけない。


「すいません、俺目が悪いもんで読めないッス」


「その体を作ったのは僕たちだよ。視力も2.0を余裕で突破している筈だ」


「脳と体の接続が悪いみたいで、なんだか霞んで見えるッス」


「じゃあ代わりに僕が読んであげよう」


まずいな、口では勝てん。八方塞がりとはまさにこのこと。


「0が沢山あるね。全部で7億……」


「なるほど、7億ジンバブエドルですか」


「アメリカドルに変えてもいいんだよ?」


「すいません円でお願いします」


駄目だ。まるで敵わない。


7億円なんて、一生かかっても払えない程の金額だ。ブラックジャックといい勝負じゃないか。


「っていうか、いくら何でも法外な金額だろこれは!」


「そのボディを開発するのに一体いくら掛かったと思っているんだい?それでも大分割引した方なんだけどな」

 

「そもそも俺は脳移植に同意した覚えはない」


「君のお母さんが同意してくれたよ。ちゃんと全て説明して、その上で了解を貰った。もちろんサインも実印もね」


あのババァ、勝手なことをしやがって。


しかしそのお陰で俺はこうして生きているのだから、文句は言いづらい。


「それにしても、この請求はあんまりだと思う」


「まぁ、どうしてもと言うのなら元の体に戻してあげることも出来るよ。請求書も白紙に戻そう。確かに君からすれば納得がいかないもんね」


「当たり前だ」


「心臓が既に停止していて、体中の筋肉は硬直済み。というか全身が壊死で崩壊開始。おまけに下半身がもはや原形を留めていないけど、そんな体でよければいつでも移植するよ」


「この悪魔め!!」


畜生、分かってて言ってやがるなコイツ。


元の体に戻ったら、待っているのは死だけだ。


「確か玉突き事故だっけ?君を轢いてパニックになったトラックに、次々と車が突っ込んでいったそうじゃないか。巻き込まれたらほぼ即死だろうに、この病院まで保っただけでも奇跡的だよ」


「なんか嬉しそうに言ってる気がするんだが」


そりゃそうか。この医者にしてみれば、俺が運び込まれたお陰で脳移植が可能になったんだから。


「玉突き事故でタマも玉も失うなんて、君もツイてないね。運も玉も付いてない……ぷっ」


……こんなに泣きたい気持ちになったのは生まれて初めてかもしれない。

 

要するに、俺に残された選択肢は一つだけ。


この黒若というクソ医者の指示に従うことだ。


「そんなに怖い顔をしないでくれよ。それに考えてごらん?浪人生になったはずの君が、また高校2年生からやりなおせるんだ。悪い話じゃないと思うんだけどな」


「うっ……」


言われてみれば、と俺は考え込む。ひょっとしたらこれはチャンスなんじゃないか?


新しい学園に行くのなら、俺に対する生徒からの評価はプラスマイナス0だ。悪くもなれば良くもなる。


人間関係を一新すれば学生らしい生活を送ることも可能ではなかろうか。


勉強に関しては完全に有利だ。俺は一度高校を卒業している。問題は無い。


「君が僕の言うことを聞いてくれる限りは、この請求は無かったことにする。どうだい?」


死んだはずの命を後遺症無しで救われ、即退院。おまけに請求金額はゼロ。


しかも高校2年生からやり直せる。


問題はこの体だ。性別さえ大丈夫なら、俺も喜んで云と言うのだが……。


それにこの医者はどうも信用がならない。


「あぁ、ちなみにね。君に通ってほしい高校なんだけど」


「ちょっと待て。今めちゃくちゃ考えてるとこ……」


「全生徒数の7割が女子。しかも美少女たちが沢山通っているようだよ」


「その話、乗った」


何故そのことを早く言わない。


まるでギャルゲのようなシチュエーションに、俺の心が突き動かされた。


なんだ、よく話せば良いヤツじゃないか。コイツに対する認識を改める必要がありそうだ。


「オッケー、契約成立だね。詳しいことは入院中に説明するよ」


「把握」


固く握手を交わす俺と黒若。


こうして、俺は晴れて女子高生としての人生を歩むことになった。




これから過酷な道が待ち受けているとも知らずに。




 

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