第4話 カオス!不洞家に巣食うクリーチャー


俺は今、母さんが運転する車の後部座席にいる。


あの騒動が起きてから3日。無事検査で異常も見つからなかったので、早速退院という運びになった。


「ふんふんふふ~ん♪」


前ではハンドルを握りながら、母さんが楽しそうに鼻歌なんぞ歌っている。


ついこの間までくしゃくしゃに泣いていたくせに、なんともまぁ見事な気分の変わりようだ。


対する俺は、もう死にたい気持ちでいっぱい。


何故なら、




「まさかナース服で帰宅する日が来ようとは夢にも思わなかった……」




そう。今俺が着ているのはナース服。仄かな薄いピンク色に染められた、全国のオヤジが大好きなコスチュームだ。


もちろん好きか嫌いかと聞かれれば、俺も好きではある。だがそれはあくまで“見る”こと専門であって、断じて自分が“着る”ことではない。


どうしてこうなった。


原因はこやつ、俺の母親とあのクソ医者にある。


以下、回想。






――――今朝の話。


『黒若先生、息子……いや娘がお世話になりました』


『言い直すな』


『お気になさらないでください、不洞さん。私たちも彼女の命を救うことが出来て大変誇らしいです』


『彼女言うな』


『ボディの調整が必要になるかもしれないので、何かあれば遠慮なくご連絡ください。いつでも対応しますので』


『何から何まで本当にありがとうございます……それじゃあ行きましょ、新斗』


『ちょっと待ってください。まさかその格好でお帰りになるおつもりですか?』


『あ、今日はこの子の服を持って来るのを忘れてしまって……』


『検診衣では露出が多過ぎますよ。ほら、脚なんて付け根近くまで丸見えじゃないですか』


『これくらいなら我慢するって。どうせ中身は男なんだし、別に恥ずかしくはな……』


『君が良くても周りが困るんだよ。ほら、このナース服を着て帰りなさい』


『おかしい。そのチョイスは明らかにおかしい』


『ありがとうございます先生。早く着替えなさい新斗』


『待てぇ!なんか色々と待てぇ!!』


『仕方ない子ね……ほら、お母さんが手伝ってあげるから』


『ちょっ、待っ、ア゙――――――――――――ッ!!』






という経緯で、半強制的に着せられたワケだ。


ファック。

 

「でも良かったわねぇ新斗。こんなに可愛い姿になって」


「それが息子に対する母親の言葉か。つーか、こっちはマジで死にかけたんだからな」


俺の母親は、基本的に大雑把な性格の持ち主だ。毎日がハッピーデイ、をモットーとする野生味溢れる五十路手前の専業主婦である。


それがあんなに泣きじゃくるのだから、俺もあの時ばかりは流石に面食らったワケで。


「ちゃんと分かってるわよ。みんなすごく心配してたんだから。それに真美なんて、あんたが事故に遭ったって聞いて一瞬ショックで心停止したのよ」


「ワロス」


「冗談で言ってると思う?」


「ちょっ、マジでか」


なんと。あの姉のことだから大変だろうとは思っていたが、まさか本当に俺と同じような状態にあったとは。


「そのまま意識不明で寝たきり。昨日の晩にやっと目を覚ましたところね」


「リアクションが大袈裟すぎる件について」


「何言ってるの。あんなに弟想いなお姉ちゃん、どこ探したって居ないわよ」


いや、まぁ……確かにどこを探しても見つからないでしょうね、あんな姉は。


おっと寒気がしてきた。




そんな風に話をしていると、いつの間にか我が家の前に着いていた。


うーん、たった数日しか離れていないのに、やけに懐かしく感じるな。


大事故に巻き込まれたからこそ、こうして帰ってこれたことに安らぎを覚えているのかもしれない。

 

「母さん、鍵貸して。俺今持ってないんだわ」


事故に遭った時、俺の持っていた物は全部おじゃんになってしまった。


言わずもがな、服は破れた上に血まみれ。だからこそこんなナース服を着るハメになったのだ。


ポケットに入れていたスマホやワイヤレスイヤホンは粉々にぶっ壊れ、愛すべき我が嫁たちに会える筈だったギャルゲのパッケージは見るも無惨な姿に。


あの事故は……俺から大切なものを奪っていったのだ。


まぁその中にはグチャグチャに変形した鍵も含まれるということです。


「真美がいるから鍵は開いてるわよ。病み上がりだから大学は休ませといたの」


と、車を車庫に納めている母さん。


むぅ……いるのか。気が進まないな。


「いや、待てよ……」


今の俺は、俺であって俺でない。


心は不洞新斗でも体は美少女だ。ぱっと見て俺の正体を見抜ける人間など、この世には存在しない。


性別から何もかもが変わっているのだから。あとは中身をバレないようにすれば無問題。


故に、俺がとるべき行動は一つ。



「サプラァイズでおっじゃましまーす!てへぺろっ♪」



他人のフリ。これに限る。


なかなか屈辱的な真似だが、これで誰も俺だとは分からないだろう。


「…………」


自宅の扉を奇妙な形で開けた俺の目前には、一人の女性が呆然と立っていた。


髪は母親譲りの栗色セミロング。胸は割とデカい方。身長も女にしてはそれなりに高い。


俺の愚姉、不洞ふどう 真美まみの登場である。

 

「…………」


「…………」


妙な沈黙が胸に痛い。


そうして見つめ合うこと、しばし。


「……にーちゃん?」


「――――ッ!?」


俺の心臓がやばいくらいに跳ね上がった。


よし落ち着け。まだ相手は疑問形だ。


「にーちゃんって誰のことぉ?私の名前はボリステューネ竹林っていうの!」


しまった、ネーミングに無理がありすぎたか。咄嗟の嘘に定評の無い不洞新斗18歳でございます。


「…………」


「…………」


またも沈黙が支配する。


俺の後ろにいる母さんも「何やってんだコイツ」的な視線を注いでいるに違いない。


それでも空気を読んで介入してこない我が母親万歳。


「ちょっとごめんね」


「へぶっ!?」


するといきなり、姉ちゃんが俺の顔を両手でがっしり掴んできた。


そのまま瞳を覗き込まれる。


近い近い近い近い近い近い!


「……この魂の波動、間違いない!にーちゃんだ!!」


「ちょっ、何故バレたし!?」


というか待て、魂の波動って何だ。あんたは普段から俺をどういう風に見てるんだ。


「にぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいちゃぁぁあああああああああああん!!」


「させるかっ!母親バリアー!」


「返し」


「ふぬべっ」


咄嗟にオカンを盾にしようとしたが、逆に押し返されてしまった。


合気道でも習得してんのか。


「良かった!にーちゃん!本当に良かった!」


「ギブ!ギブ!さっきからタップしてるの分かんないかな!?」


全身で抱きしめられ、というか締め付けられ、俺の体が悲鳴を上げる。


だから苦手なんだよ、この人。

 

そう、俺の姉は極度のブラコン。漫画とかでたまに見かけるような人種だが、リアルでは多分この人しかいないだろう。


しかも最悪なことに、家族としてではなく異性として愛されている。


まったく、俺のどこにそんな魅力があるのやら。迷惑千万、早く眼科か脳外科に行ってほしいところだ。


「にーちゃん!にーちゃん!」


ちなみにこの人は俺のことを“にーちゃん”と呼ぶ。新斗にいとの頭文字を取ってのことらしい。


姉が弟をにーちゃんと呼ぶもんだから、他人から見れば姉弟関係がややこしく映ったりする。


まぁ、そんなことは置いといて、今はこの変態をどうにかしないと。


世の中の(思春期的な意味で)健全な男子なら、確かに喜びまくるシチュエーションかもしれない。


だが、実の姉っていうのはそんなもんじゃない。


例えばの話、自分の母親が整形して超美人になったとしよう。


そして息子にこう言ってきたとしよう。


“あなたと合体したい”


俺なら断る。何が何でも断る。一緒に暮らすのが怖くて家出も辞さないだろう。


気をつけなければならない。姉萌えってのは二次元だけの幻想なんだ。リアルで存在すると恐怖の対象でしかないんだ。


人間が持つ遺伝子ってのはそう雑に作られてはいない。肉親というのははただそれだけで、股間の紳士が1ミリも反応しないようにプログラムされている。


ということをネットの掲示板に書き込んだら一時期阿鼻叫喚になった。


夢を壊された、なんて泣いているようなやつが大多数を占めていたのは驚きだったが。


ざまぁ。


……なんて他人のことを嘲笑っていられる状況じゃなかった。


「おねーちゃん心配したんだからね!すっごく心配したんだからね!にーちゃんが死んだら後を追う準備も万全だったんだからね!!」


「むしろ先に逝ってて欲しかった今日この頃……いだだだだだだだだだだだだだだだ首に入ってるから!頸動脈が見事なまでに機能停止してるから!!」


抱き着くというよりは、もはやサブミッションに近い。


「生きててくれてありがとう!そして愛してる!結婚しよう!!もちろん私は子供が百人できても大・丈・夫!!」


「今現在あんたが殺しそうになってることに気付けこのクソ姉!!」

 

「あっ、ごめんねにーちゃん!子供は三百人の方が良かった?」


「スパルタ兵にでも育て上げるつもりか」


我ながらツッコミ所がおかしい気がするがそれはさておき。


恐るべきは、この人は冗談じゃなく本気で言っているということだ。


今まで何度貞操を奪われそうになったことか。自室のドアに鍵をかけても謎の技術で開錠してきやがるし。


一歩間違えれば最悪な形での童貞卒業。それだけは何としても避けたいのです。


「……ん?いや、待てよ……」


非常に悲しいが俺の体はもう男のものじゃない。言い方を変えれば、肉体的にだけだが俺は姉ちゃんの“妹”ということになる。


なるほど……そういうことか!


「うっへぁ、にーちゃんの魂ってやっぱり素敵な匂いがする!おねーちゃん興奮してきたよぉ!!スーハースーハー!ナース服と相極まって劣情のレッドゾーンに突入しちゃいそうです!!」


「ぐっ……気持ち悪いことやってないでとにかく離れろ!」


俺は姉ちゃんの肩を掴んで、渾身の力でなんとか引きはがした。


筋肉疲労で腕がぷるぷる奮えてしまう。なんつー怪力だよ。


「あのな姉ちゃん」


「なに?おねーちゃんのパンツ欲しいの?ちょっと待っててね、今すぐ脱ぐから」


ぶっ飛ばしてやろうか。いやマジで。


荒ぶる衝動を必死に抑えて、俺は必殺のカードを切る。


「よく見れ。今の俺は女の子。英語で言えばガール。フランス語で言えばフィーユ。おk?」


「うん」


「よし、なら分かるよな。俺は女の子だから、もう姉ちゃんが好きだった“弟”じゃないんです。物理的かつ生物学的にそういう関係にはなれんのです」


これで……どうだっ!?

 

「女の……子……」


俺の顔をじっと見つめたまま、姉ちゃんは小さく呟く。


今までにない、何とも静かなリアクションだ。これならきっと諦めてくれるだろう。


長年の苦労がようやく消えるというもの。


「そっか……もう女の子、なんだよね」


顔から胸、脚へと視線を移して確認していく姉ちゃん。俺が女の子だということが、どういう意味を成すのかようやく分かってくれたようだ。


そうすること、数分。


頭を上げた姉ちゃんと、また目が合った。




「うん、全然食べれる」


「母さん、110番!マッハで110番!ポリス呼んで!ポリィィイイイイイイイイイイイイイイイイイッッッス!!」




正気か、こいつ。


「これはこれでアリだよぉ!それに大切なのは性別じゃなくて心と心の繋がり!心が繋がれば自然と体も繋がるようになってるんだよ人間は!それ用のオモチャも持ってるし!」


「離せこの変態!そういうのは他の女友達とやってろ!!」


「おねーちゃんはにーちゃん一筋なんだよ!他の生物なんて眼中に無いんだから!」


「助けて!誰か助けてぇ!お願いだからぁ!」


まずい。このままでは殺られる。いや、ヤられる。


母さんに助けを求めてみたが、「恥ずかしがり屋なのね、新斗は。姉弟仲良くていいじゃない」の一言で一蹴されてしまった。


よく見ろオカン。どこからどう見てもこれは姉弟のスキンシップを軽く超越している。下手すると強姦だ。

 

周りには誰もいない。これだけ大声を出しているのにご近所さんが顔を見せないのは、もう慣れているからだろう。


姉ちゃんが俺に対して発狂し始めたのは俺が幼稚園にいた頃。そんな昔から十年以上もの間、ずっとこういうやり取りが続いているのだ。


確かに慣れたとしても不思議ではないが、当の本人である俺は決して慣れることなどない。


なぜなら、歳を重ねるにつれて姉ちゃんの奇行がエスカレートしてきているからだ。


むしろ十数年間も貞操を守ってきた俺を褒めてほしい。


だが、いつまでも後手に回る訳にはいかない。いずれは終わらせなければならない。


そのうち「いつも一緒にいるために内臓を交換しようよ♪」なんて笑顔で言い出すのではないかと、俺は恐怖に震えていたりする。


この間やった鬱ゲーの影響かな。


「ま、まぁ待て。まだ慌てるような時間じゃない」


頼れるのは自分だけ。俺は努めて冷静に、もう一度姉ちゃんを引きはがした。


「そうだね。あと数十年は余裕があるもんね」


恐ろしい台詞に一瞬身の毛がよだつ。まさか死ぬまで一生俺の側に居座るつもりか。


しかしここで突っ込んだり否定をしては駄目だ。


交渉人不洞新斗、いきます!


「よく聞いてくれ。俺は死の淵から生還したばかりで、実は体の調子があまり良くないんだ。しっかり休養をとらないとまた死んでしまうやもしれん」


嘘だ。体は頗る健康である。


「そっか、いきなり激しい運動は体に毒だもんね。今は休んで体力を付けないと!」


それでも姉ちゃんには効いたようで、体調を気付かってくれるところだけは素直に喜ばしい。


「おねーちゃんが付きっ切りで看護してあげるから安心して!お風呂とか、トイレとか、ベッドの中とか!」


愛情溢れる申し出にいろんな意味で涙が溢れ出しそうになった。




とりあえず危機は脱した。これでしばらくは安泰だろう。次に襲い掛かってくるのは数日後ぐらいとみた。


なんとか危機的状況から脱した俺は、まだ纏わり付いてくる姉ちゃんを無視してリビングに入る。


どこにでもあるような、それなりに整頓された14畳のくつろげる空間。


テレビは最近買い替えて、40型の最新式が隅にポジショニングしている。母さんが父さんに内緒で奮発したらしい。


父さんは海外に単身赴任中だからな。


そして、そんな空間の中にぽつんと……いや“どすん”と、その存在を強く主張する謎の巨大なダンボール箱があった。


「誰の荷物だ、これ」


「あ、これね。にーちゃんが帰ってくる少し前に届いたの。ほらここ、にーちゃん宛てって書いてある」


「俺宛てに?」


等身大フィギュアを注文した覚えは無いんだが。


「えっと、差出人は」


「セント=セイクリッド第二病院、黒若亮介って書いてあるね」


「黒若ェ……」


駄目だ、嫌な予感しかしない。本人が入っていたらどうしよう。


流石にそれはないか、と俺は自分の疑心暗鬼さに溜め息をつく。確かに黒若は変態だが、そういう部分では常識のある人間だ。


それにしてもあの病院、そんなに厨二な名前だったのか。


「ねぇ、早く開けてみようよ」


「そうだな。めっさ怖いけど」


このままリビングに放置してたら非常に邪魔なので、とりあえず開けてみることに。


一応、本人が登場した時に備えて拳は硬く握り締めておく。

 

まずはゆっくり横倒しにして、同時に重量で中身を予測。重さからして成人男性が入っているような気配は無いが、やはりそれなりには重い。


恐る恐るガムテープを剥がしていき、剥がしきれなかった部分にカッターで切れ込みを入れていく。


「そ、それじゃあ開けるぞ」


「わくわく……」


素直に瞳を輝かせられる姉ちゃんが羨ましい。俺は冷や汗しか流していないというのに。


「いくぞ、せーのっ!」


「オープン・ザ・ウィンドウ!!」


だから窓じゃないって。流行ってんのそれ?


勢いよく開けると、まず目に飛び込んできたのは人の影。


ちょっ、マジで来やがった!?


やるしかない。


「フタエノキワミ、ア――ッ!」


「にーちゃんストップ!よく見て、これ人じゃないよ」


振り上げた拳が寸でのところで姉ちゃんに押さえられた。


どさくさに紛れて自分の胸に挟み込もうとするのは止めてくれ。


「……ホワッツ?」


言われてよく見てみれば、なるほど、それは人ではなかった。


マネキンだ。


「なんでこんな物が……」


箱から取り出し、付属していた台を使って立たせてみる。


「うほっ、可愛い服だね」


「その感動の言葉は女性としてどうかと思うぞ」


姉ちゃんの台詞はさておき、マネキンは確かに可愛らしい服を着せられていた。

 

深い緑を基調とした、それでいて堅苦しくないブレザー。


同じような色を明るい感じに染めてコントラストを仕上げているスカート。お約束と言わんばかりに丈は短い。


どう見ても女子高生の制服です。


「他にも何か入ってるね」


俺宛ての荷物だというのに、我が物顔で物色を始める姉ちゃん。


別に構わないが、まだ変な物が入っているのだろうか。


「いっぱい入ってるよー。学生鞄とローファー、教科書に参考書……予備の制服……体操服……ブルマ……スク水……ポニテ用のリボン……勝負下着……」


「よし、捨ててこよう」


やはり黒若は所詮黒若。ある意味で予想を裏切らない変態っぷりだ。


「学生証も入ってるよ。えっと……聖ポルナレフ学園?」


なんだか凄いジョ○ョ臭がする。


「あぁそれ、新しい高校への編入セットじゃないの。もう届いたのね」


事情を知ったような顔の母さんが、隣から覗き込んできた。


「あんた、明日から先生に紹介してもらった高校に通うんでしょ?その為の必需品を先生が送ってくださったのよ」


「俺は聞いてなかった」


「ま、普通こういうやり取りは保護者がやるもんだからね」


なるほど、そういうことなら合点がいく。


これから通う聖ポルナレフ学園の制服がこれってワケか。なかなか良い趣味してるじゃないか、まだ見ぬ学園長さんよ。






…………え?ちょっと待って。


俺が着るの、これ?






 

「よかったじゃない新斗、こんな可愛い制服の学校ってなかなか見ないわよ」


「ねぇねぇ、にーちゃん。ちょっと今着てみてよ。絶対似合うから」


ヤバい。なんだか話がイケナイ方向に流れている。


ここは男らしく断っておかなければ。


「断固辞退する!」


「お母さん、手伝って」


「合点承知之助」


「ちょっ、マジキチ!」


逃げ出そうとした俺の体を、母さんが素早く羽交い締めにしてきた。


早いよ。そして速いよ。あんたやっぱり何かの格闘術習得してんだろ。


「ウェヒヒヒ……にぃちゃ~ん♪」


艶めかしく指をワキワキさせてくる姉ちゃん。その目はナース服のボタンを確実にロックオンしている。


「くっ……HA☆NA☆SE!」


「離せと言われて素直に離す親がいるとでも思ってんの?」


「俺は今!生まれて初めてあんたに殺意を覚えたッ!!」


「隙ありぃ!」


気が付けば、いつの間にか前のボタンが全て外されていた。


なんという早業だ。いや感心している場合じゃない。


「不洞真美、イっきまーす!!」


「ちょっ、やめっ、ア゙――――――――――――――――――――――――――ッ!!」




5分後。


ショックで気絶していた俺が目を覚ますと、既に制服に着替えさせられていた。


何かとても大切なものを、失った気がした。




 

隣ではしゃいでいるクソ親子はいつか土に還してやらなければならない。


それが俺の為であり、延いては世の中の為でもあるのだから。


どうしてやろうか。


「お母さん。匂いが取れちゃうし、そのナース服は洗濯機に入れないでね。後で使うから」


「あいよ」


本当に……どうしてやろうか。


駄目だ、さっきから涙が止まらない。


助けて神様。


「ほら新斗、いつまでも泣いてんじゃないの。男だったら……あ、ごめん今は女の子か。ぷっ」


このままではリアルに殺人衝動が生まれてしまいそうだったので、俺は自室に向かうことにした。


2階に上がって部屋に入り、姉ちゃんが入ってこないように内側から鍵をかける。こんなのは気休め程度だが、それでもやらないよりはマシだろう。


今度溶接でもしてみるかな、うん。


木製だから無理だけど。


「はぁ……やっと落ち着いてきたな」


さて、ここからは俺のプライベートタイムだ。


我が神器の一つパソコンの電源を入れ、回転式のチェアに腰を降ろす。


起動画面にパスワードを打ち込むと、麗しの嫁達が映った壁紙が表示された。


「あぁ……生きているって幸せ。ドゥフフフフ」


やはりこのひと時が、最も“生”を感じられる瞬間だ。


そのままブラウザを開き、お気に入りに登録してあるサイトを巡回する。


「三日も休んでたからな。色々更新されてて大変そうだ」

 

画像サイトや声優のブログを回り、次は動画サイトのリンクをクリック。


ここでは深夜アニメが高画質で公開され、読み込みに少し時間が掛かるものの全て無料で観ることが出来る。


まさに神サービス。


最近は録画で観る時代でも無いからな。ネット配信でアニメを観るという人の方が多いんじゃなかろうか。


そして今日の目玉はこれ。『魔法少女やら☆ナイカ』である。


「最新話きたこれ!待ってました待ってました!!」


しかし通信速度がやや遅いせいか、読み込み状況を示すプログレスバーが徐々にしか動かない。


その間はずっと真っ黒な画面だ。


「…………」


黒い画面には、うっすらとだが美少女の顔が映っている。


ついこの前までは男だったはずの、俺の顔だ。


「……夢じゃ、ないんだよなぁ」


今更ながら、信じたくないと必死になっている自分がいる。


アニメを観て御飯を食べて風呂に入って寝る。そうすれば、次の朝には男の体に戻っているのではないか。


そんな願望にも似た妄想が、つい脳内で再生されてしまう。


思わず溜め息が漏れた。もう何度目かも分からない。


「これからどうなるんだろ、俺……」


『不思議も、魔術もあるんだよ!』


「うっは始まった!まどぅかちゃんマジ天使キタコレ!ハチべぇさん今週も鬼畜プレイを期 待 し て お り ま す!!」

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