第40話 エピローグ

「新聞をくれないか」

 多くの人が行き交うベル・ドゥ・ジューの街の中。新聞を配り売る少年に話しかけたのは、右半分の顔を木製の仮面で覆った男だった。少年は一瞬びくっと体を震わせたが、すぐに笑顔を作ってみせた。

「銅貨2枚だよ」

 仮面の男は何も言わずお金を差し出した。その手には白い手袋がはめられている。少年はそのお金を受け取ると、代わりに新聞を男に渡した。

「まいどあり!」

 すぐに少年は逃げるように立ち去り、雑踏に消えていった。


 仮面の男は新聞へと視線を落とす。

 新聞には、聖地への不信感をあおるような記事が1面を飾っていた。教会への寄付金は聖地に届けられ教皇の私腹を肥やしていたとかそういう内容である。ページをめくれば、どこぞで聖地の人間により何人が殺されたとかが書かれている。嘘は書いていないが事実でもない、面白おかしく表現されたものだ。


「レオナール! お花買ってる間に、勝手にどこかに行かないでください! はぐれるところだったじゃないですか!」

 レオナールが顔を上げると、リゼットは栗色の髪を揺らしながら花束を抱えて怒っていた。

「すまない。新聞が気になってしまった」


 新聞を畳み、リゼットの横へ歩いていく。

「新聞、そんなにおもしろいですか?」

「ああ。聖地が外の土地からどのように思われているのかがわかって、なかなか興味深い」

 そう言われて、リゼットは新聞の見えている部分だけをちらっと見た。『我々の寄付金は一体どこへ!』と書かれている。

「あんまりいい内容じゃなさそうですけど……」

「君と出会った頃から、どんどん過激になっているな」

「ノーラン様は穏やかな感じの人だったのですけどね」

 リゼットは首をかしげる。

「そういえば、最初に君を保護していたのが新聞社の社長だったか」

 そう言って、レオナールは再び新聞を開こうとした。


「レオナール! 読むのは後にしてください! 今日はカメリア村に行く約束ですよ!」

「わかっている」

 開きかけた新聞を元に戻し、レオナールは道路に視線を走らせてから止まっている1台の車に近づいた。屋根のない、このあたりでは一番よく見る種類の車である。リゼットがはじめて乗った車と違うのは赤いラインがあるか否かの違いぐらいだった。

 レオナールは、運転席にいる帽子をかぶった男と何かを会話し、お金を渡すとリゼットの方を見る。


「リゼット。カメリア村まで乗せてくれるそうだ」

「はい!」

 レオナールが扉を開けてくれた車に乗り込むと、リゼットは椅子に飛び込むようにして座った。


 カメリア村までは車なら1時間程度の道のりだ。

 ベル・ドゥ・ジューの街を出ると、青々とした景色が広がる中を車は進んでいく。雪はまったく残っていない。春らしく暖かな雰囲気である。

「カメリア村の縁者の方ですか?」

 少し進んだところで、運転手が口を開いた。

「ああ。春になったので墓参りだ」

「お悔やみ申し上げます。あれは、悲惨な事件でしたね……。まだ1年も経っていないのですか」

「案外時が経つのは遅いものだな」


 正確には8カ月だ。

 リゼットは会話を聞きながら、見慣れない景色を眺めていた。

 8カ月前までは村から出たことがなかったリゼットは、当然ながらベル・ドゥ・ジューの街とカメリア村をつなぐ道路を通ったことは一度もなかった。カメリア村のように水田ではなく畑が広がっているということも今日はじめて知ったほどだ。

 おかげで、景色を見てもカメリア村に戻ってきている感覚はなかった。それでも会話を聞けばカメリア村に向かっている実感が湧いてくるのだろう。リゼットは、花束を抱える腕の力をほんの少しだけ強くした。


 しばらく揺られていれば、しだいにリゼットにも見覚えのある地形が見えてくる。

 ただ、リゼットが暮らしていた頃とは違う姿をしており、何とも言えない気持ちにさせる景色だった。


 元々水田が広がっていたはずの場所は、今は思い思いに草や花が生えている。人の手が一切入っていないのが明らかだった。冬以上に誰もいないということが明確に示されている。

 村の中心部に来れば、草花は人の営みを消そうとしているのか、建物にすら侵攻しているのがわかる。


 車は、学校の前で止まった。

「着きましたよ」

「ありがとう。しばらく待っていてくれ」

「はい。ゆっくりで大丈夫ですよ」

 レオナールが開けた扉からリゼットも降りる。


 ここまで草花に覆い尽くされているのは、間違いなく聖水の効果だろう。学校前に広がっている運動のための空き地は1面緑で覆われていた。

 リゼットは、その広がる緑を見つめる。かつては駆け回り、あの日も友人と共に過ごした、その場所を。

「神に祈るのも変ですよね」

「あれが偽の神だっただけで、本物の神はどこかにいるかもしれない。そういう考えでも良いのでは? 大事なのは、心から死者を悼むことだろう」

「そうですね」

 緩やかな笑みを見せてから、リゼットはひざまずき、花束を置いた。レオナールもその横でひざまずく。


「神のしもべたる命よ。大地に帰り恵みとならんことを」

「神のしもべたる命よ。大地に帰り恵みとならんことを」

 2人は目をつむり祈りをささげた。


 ここが学校というのもあるだろう。リゼットが思い出すのは、入学式で新しい学校にはしゃぐ父親の姿や、それを困ったように見ている母親、同じ授業を受けた友人たち、学校まで迎えに来てくれた兄や姉のことだ。

 間違いなく、ここにリゼットの日常があった。皆が魔人となり悲劇が村を包むまで、事件など何もない平和な村があったのだ。


 リゼットは目を開ける。閉じていれば思い出がいっぱいに広がるが、それはもうリゼットには取り戻せないものだ。

 今も、本当はカメリア村に帰りたいし、カメリア村で生きていきたい。

 叶わぬ願いがリゼットの胸をかきまわす。それを抑えるようにリゼットは胸を握るように抑えた。


 リゼットが立ち上がると、レオナールが口を開く。

「リゼット。帰ろうか」

 今のリゼットの当たり前の日々は、レオナールとレオナールの祖母と暮らす時間だ。過去はもう戻らなくても、今は穏やかに過ごせる確かな場所がある。

 レオナールの声に安心したリゼットは、顔を上げて笑顔になるとレオナールへ駆け寄っていく。


「はい。おばあさまに、どこでお土産買いましょうか」

「リゼットが選んだものなら、なんでも喜ぶ」

「そういうのが一番難しいんですよ」

 2人は車に向かって歩いていく。

 リゼットは車に乗る直前、後ろを振り返った。風になびく草花を眺めて、それから車に乗り込んだ。


 車は走り去っていく。

 それに合わせるようにしてリゼットが置いた花の花びらが一枚宙に舞った。

 花びらは、リゼットたちの車以外は誰もいない建物の隙間を縫うように飛んでいく。

 強い風に巻き上げられると、空高く舞い上がり、自由な空へ消えていった。

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