第38話 帰る場所

 弾ははじかれた。地面に広がる聖水が神を守るように素早く硬質化したためだ。

「くくっ。ははははっ殺せるまい! 私を殺せるものか!」

 攻撃を食らわない確信を得た神は、笑い出す。


 それをレオナールは無表情で見下ろしてから、リゼットへと視線を移動させた。

「リゼット、その剣を貸してほしい」

「アンジェリク様ごと刺す気ですか……?」

 レオナールは強いまなざしでリゼットを見つめるのみで、うなずきも返事もしなかった。しかし、剣を受け取ろうと差し出してくる手は肯定を意味していた。


「……」

 リゼットはためらった。けれども、それ以外に神を倒す手段がないのもわかっている。痛む頭と火照る体に耐えながら、レオナールへゆっくりと剣を差し出した。


「離せ! 何をする気だ! その剣は! なんだというんだ!」

 レオナールの足から逃げだそうと神は暴れるが抜け出せないでいる。

 そんな神へ表情を一切変えることないまま、レオナールは突き立てるように剣を振り上げた。


「ふざけるな!」

 神の甲高い叫びと共に、強くて大きい光に辺りは包まれた。

 光が消えたときには、レオナールが左手で前髪をかき上げながら空を見上げて笑っていた。

「はっ。この剣がなければ私を殺せまい」

 レオナールの声だ。剣を握る右手はじわじわと変異が進んでいく。表情を消すと目だけを動かしてリゼットを見た。

「殺してやる」

 這うような声で吐き捨てるその姿は、明確にレオナールの中に神が移っていると告げていた。


 正気に戻っていた隊員たちは銃を構えて神を狙うが、当たってもはじき返されるだけである。リゼットに逃げる間はなかった。気が付いたときには、レオナールに、神に、剣で貫かれていた。


「かはっ」

 リゼットの口から血がこぼれ出る。刺されたおなかからも血がこぼれ落ちる。

 その様子に神は笑みを作った。


 しかし、それは一瞬だった。

 剣を通してリゼットから神へと光が流れ込んでいく。

「うあああああああああああ!」

 神は叫び、はじかれるように剣から手を離し後ずさると、膝をついた。

 一瞬の間に、元の姿に戻っていたはずのレオナールは変異していた。右手からはじまり目に迫るほど進んでいる。


「何が! 嫌だ!」

 剣を手放していても、そもそも神が中にいるレオナールの変異は止まりはしない。変異は頭へ向かって浸食していく。髪はすでに真っ白だった。


「あああああああああああああああああ!」

 神は目を見開き、空を見ながら咆吼ほうこうする。

 

「レオ、ナール……」

 リゼットは血にまみれた手を伸ばした。

 手の向こう側に見える変異は痛々しく、止めなければならないとリゼットは強く思った。遠ざかりそうな意識を必死につなぎ止めながら、近くに落ちている剣の柄を握り立ち上がる。


 この剣は、間違いなく変異した体を戻していた。そして剣を持っていた者を変異させた。硬化した聖水を貫けるというのは結果的にそうなるというだけで、実際は聖水の力を吸い持ち主に流すのがこの剣の正体だったのだろう。ならば、レオナールの変異を吸収することがリゼットにはできるはずだ。


 リゼットは、おなかから湧き出るような熱に耐えながら、剣を引きずるようにしてレオナールへ近づいていく。血は、一歩進むごとに流れ出ていた。

 周囲にいた隊員たちが血相を変える中、もっとも早くリゼットの体を支えたのは遺跡の外から現れたダミアンである。彼は銃を肩に背負っていた。


「リゼット! 動いてはいけない!」

 膝を地面に付けて、見上げるようにしながらリゼットの肩を支えた。

「離して」

 決して大きな声ではなかったが強い意志が込められていた。そして、まなざしも強く、ダミアンは思わず手を緩めた。

 その隙にリゼットはレオナールの横に立った。


 苦しみもだえるレオナールの姿をした神はリゼットに気が付かない。気が付いていたとしても構う余裕はないのだろう。苦痛に耐えるように硬い地面へ爪を立てていた。

 リゼットは、どうかレオナールが元の姿に戻るようにと祈りを込めながら、苦しむ姿に向かって剣を振り下ろした。それはとても弱い力で、誰かを殺せるようなものではない。レオナールの左腕を少し傷付ける程度の威力しかなかった。

 けれども、事態は動く。

 周囲は再び光に包まれた。


 ◇


 リゼットは知らない場所にいた。

 高速でいろいろな生き物に移り変わっていく。

 ある瞬間には鳥として空を飛んでいたし、ある瞬間では川を泳ぐ魚だった。

 何者であっても、自然豊かな景色だけは変わらない。そして、自由で気持ち良かった。

 気が付いたときには人間だった。そこから他の生き物になることはなかった。性別にかかわらず人間から人間へ変わっていく中で、どんどん焦燥感と恐怖が積もっていく。そばにいたはずの仲間も、気付けばいなくなっていた。



 リゼットの視界が戻ったときには、光が流れ込む感覚に思考すらも流されていきそうになっていた。体の中を浸食するような熱い痛みを感じ、その不快感を吐き出すように、リゼットは無意識に剣を空へ突きつけた。

 光が剣先から空へ向かって放たれる。

 雲を突き破り、空をも突き破るように高く高く、真っすぐに光は進む。


 光が放出されるほどにリゼットの体は軽くなっていく。薄まりかけていた意識も明確になりはじめる。しだいに呼吸も落ち着いていき、それを待っていたかのように光と共に剣がはじけるように消えた。


 同時にレオナールの体がゆっくりと崩れていく。それをとっさに支えたのはダミアンだった。

 その様子を見ながらリゼットはゆっくりと腕を下ろす。

 静寂が満ち、複数人の呼吸だけが響いていた。

 リゼットの傷は癒えていて、切り裂かれた服がなければ傷付いていたとは思えなかっただろう。


「うっ……」

 皆が呆然としている中、レオナールのうめき声がした。

 視線がレオナールに集まる。

 レオナールは、ゆっくりとまぶたを持ち上げ、焦点が合わないまま瞳を揺らす。そして、目を見開いた。


「リゼット!」

 ダミアンなど突き飛ばす勢いだった。リゼットへ駆け寄り、泣きそうな表情で視線を上へ下へと動かしながらリゼットの体を確認する。

「傷は! 大丈夫か! 無事か!」

「大丈夫です。光のおかげか完全に塞がってます」

 おなかをなでながらリゼットがにこりと笑うと

「良かった……」

 安堵の表情と共に、レオナールは崩れるようにリゼットを抱きしめた。予想外の行動に、リゼットは顔を赤くしながら動揺してもがく。

「レオナール?!」

 リゼットの動揺を気にすることなく、レオナールは抱きしめる力を一層強くする。

「また、殺してしまったかと思った……」


 その言葉にリゼットは動きを止めた。

 今まで任務を越えて助けてくれたのも、今こうして感情をあらわにして抱きしめているのも、殺してしまった妹を自分に重ねていたのだろうと気が付いたのだ。

 安心させるように、リゼットは優しくレオナールを抱き返した。変異したままの腕は硬かったが、それでもぬくもりと鼓動を感じ、とても落ち着くものだった。


 しばらくして腕から解放されたリゼットはレオナールを見た。改めて見ると、変異が消え切っていないのがわかる。髪の色は白いままであったし、顔も右目のした辺りまで黒く硬くなっている。右手も同様だった。以前と比べると翼が消えた分マシなのかもしれない。顔の右半分と右手さえ隠せば人前に姿を現すこともできる。


「終わったのか……?」

 声を出したのはマティスだ。リゼットやレオナールたちがいる場所に向かって歩きながらつぶやくように言った。

「おそらく……? 乗り移られてる人がいなければ終わっているのでは?」

 ダミアンが周囲を見渡せば、目のあった隊員は首を振っている。

「わたくしの中には、もういないようです」

 アンジェリクは隊員の1人に支えられながら起き上がった。レオナールに踏まれていた肩辺りをさすっているる。不安に揺れてはいるが雰囲気が柔らかく、神が乗り移っていたときと全然印象が違った。


「レオナール。おまえはおまえか?」

 マティスに問われて、レオナールは表情を変えないままマティスの目を見た。

「もちろんだ。引きはがされた感覚があった」

「確かに、その淡々とした口調は本物だな」

 マティスはそう言いながらレオナールの肩を小突いた。


「……神は、いなくなったのでしょうか」

 リゼットは空を見上げた。他の皆も釣られるようにして空を見上げた。

 不安げな言葉にすぐ答える人はいない。皆、同じように思っているのかもしれなかった。


「……少なくとも私の中にはいない。ここにいる誰かの中にいる様子もない。光が示した先の空に存在し続けようとも私たちには影響ないことだ」

 唯一答えたのはレオナールだ。

「そう、ですね」

 リゼットは一言だけ返してからレオナールを見た。そして、さらに問いかける。

「これから私たちは、どうしたらいいのでしょうか」


「聖地へ帰るのが順当だろう」

 レオナールの言葉に眉をひそめたのはマティスだった。

「レオナール。おまえは聖地に連れていけない。自分では見えないから実感がないのだろうが、そこまで変異していれば聖地であっても……いや、聖地だからこそ処分される」

「……」

 レオナールは右手を見た。

 黒く硬い皮膚で、本来よりも膨れ上がり大きくなっている。


「顔も変異しているのに気が付いているか?」

 その言葉に、レオナールはぴくりと肩を震わせた。そして、変異していない左手で自分の顔をなでた。硬くなっている縁をたどるように指を沿わせていく。

 リゼットは、そんなレオナールを不安げに見つめた。


「聖地以外なら検査もない。顔と手さえ隠せば生きていけるだろう。故郷に帰ってはどうだ?」

「……故郷には、帰れない」

「おまえが帰るのをためらっているのは知っている。それでも……」

 会話に割り込むように、リゼットはレオナールの袖を引っ張った。

 それに気が付いたレオナールとマティスはリゼットを見る。


「レオナール。大丈夫です。おばあさまにはどのような姿をしていても受け入れてくださいとお話しました。もちろんと答えてくれましたよ」

「……君は、あの日そんなことを話していたのか」

「はい。だから、帰りましょう。おばあさまはレオナールが帰って来るのを待っていますよ」

 レオナールは目を揺らした。

「……帰って許されるのだろうか」

「私が許します!」


 リゼットの強いまなざしを受けて、レオナールは強く目をつむった。

「……このような形で帰ることになるとは思っていなかった」

「どんな形でも帰れる場所があるならばいいじゃないですか」

 レオナールは、はっとした顔をして目を開くとリゼットを見た。

 そんなレオナールを、マティスはじっとりとした目をしながらこっそりと蹴飛ばしている。


 リゼットには帰る場所がもうない。本当は、とてもうらやましいのだ。帰る故郷があり、待っている人がいるレオナールをずるいと思ってしまうほどには。


「すまない」

 そう言ってレオナールはしゃがみ込むとリゼットを見上げ、リゼットの手をとった。

「レオナール?」

 突然の行動にリゼットは首をかしげた。

 レオナールは真剣な表情でリゼットを見つめる。あまりにも真っすぐ見つめられ、リゼットは目をそらせない。


「リゼット。君の言うとおり故郷へ帰ろう。そして、私と一緒に暮らさないか。約束を果たしたい。私が君の帰る場所になろう」

「そんな約束してましたか……?」

 リゼットは動揺した。考えても、そのような約束をしたことを思い出せない。1人にしないでとお願いした記憶はあるが、それとは別の話のように思う。

「魔人に襲撃されて列車を降りた後だ。私は君が新しい帰る場所を見つけられるよう尽力すると誓った」

「そんな、前の事……よく覚えていますね」

「記憶力には自信がある」


 胸からこみ上げてくる思いがどのような感情なものなのかリゼット自身もわからなかった。熱い気持ちを吐き出すように涙をこぼす。

「はい。一緒に、一緒に暮らしたいです」


 リゼットが村を出てから一番長く過ごしたのはレオナールだった。任務としてとはいえ、いつだってそばにいた。危険があればリゼットを守り、聖地から脱出するときは命がけで助けていた。

 今のリゼットにとって一番安心できる場所がレナールのそばであるのは、自然なことだったのかもしれない。


 涙を流し続けるリゼットをレオナールは優しくなでた。

 そんな2人を邪魔しないように、ダミアンたちはその場をそっと離れていった。

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