第37話 剣
剣という重りを抱えたリゼットの息はすぐに切れた。何度も休憩を挟みながら地上へと向かっていく。
しかし、ついにようやく出口だというところで、レオナールが立ち止まった。後ろを歩いていたリゼットはどうしたのかと口を開いたが、声を発する前に体を半分回転させたレオナールに右手で口を封じられた。レオナールは、左手の人さし指で自らの口を押さえしゃべるなというポーズをとっている。
耳を澄ませば、エンジン音がする。
誰かが外にいるのだ。
リゼットは唾を飲み込んだ。
レオナールはリゼットから手を離すと、身を低くし拳銃を構えながらじりじりと出口へ近づいていく。
その様子を鼓動を早くしながらリゼットは見ていた。自分にも何かできないだろうかと考えるものの、筋力がなく持っている剣を振るうことすらできない。リゼットは無力な自分が歯がゆく、剣を抱きしめていた力を強くした。
その時、ぴちゃりと水滴が垂れる音がした。この空間を見つけた時に溶けた聖水である。
「……」
リゼットは、地面にしたたる聖水へ手を触れた。そして強くイメージするように念じた。水が固まるようにと。
すると、リゼットの思ったとおり水が集まり固まっていき、すぐにぎざぎざな小さい塊が生まれた。
リゼットは、ゆっくりとレオナールに近づき服の裾を軽く引っ張った。レオナールはすぐ気が付き、視線をリゼットへと移す。
レオナールがこちらを見たのを確認してから、リゼットは先ほどと同じく地面に手を触れ小さな塊を作ってみせる。それを見たレオナールは目を見開いた。
「これで、何かできないですか?」
小さな声でひそひそとレオナールに尋ねた。レオナールは出口の方向を見ながら思案している様子をみせる。
「私が出る直前にそれを出せるか? これぐらいの感じで」
そう小さな声で言うと、かがむレオナールがぎりぎり隠れるぐらいの高さ、横幅は2人より広い程度の形を身振り手振りでレオナールは示した。
リゼットはうなずくことでできると返した。それを見てからレオナールはさらに口を開く。
「あと、出す前に攻撃するなと叫んでほしい」
再びリゼットがうなずくと、レオナールもうなずきを返した。そして、再びゆっくりと出口に向かって歩き出す。
上までたどり着くと、レオナールは出口の横の壁に背を付け拳銃を構えた。リゼットはその横でいったん剣を置き、床に手を付けて聖水に触れると、レオナールの動向を注視する。
少しして、レオナールはリゼットを見てうなずいた。それを見たリゼットは、うなずきで返すと口を開き、大きく息を吸いこむ。
「攻撃しないで!」
声を合図にレオナールは身を低くして駆けだした。複数の発砲音が鳴り響く。リゼットの命令は効かなかったようだ。ただ、その発砲はレオナールには当たらない。指定した通りのサイズで硬化した聖水ができており、その高さより身を低くしていたからだ。そこに滑り込んだ。
駆ける間にレオナールが把握できたのは、正面から銃でこちらを狙うオードリックと自分の隊の隊員たちだった。神は見当たらなかった。保安隊の使う多くの物資を詰めるほど大きな屋根付きの車が複数台左に停められているのが見えたため、その車のいずれかに乗っている可能性はある。一方、右側は遺跡の壁が残っていたため、右側から攻撃される心配は不要そうだった。
「レオナール。どうして裏切った。実の息子のように可愛がっていたというのに」
声を発したのはオードリックだ。失望を隠さない低い声にリゼットはびくりと体を跳ねさせたが、レオナールは平然とした顔で言葉を返した。
「悪いが、あんたのことを父親だと思ったことは一度もない」
そう言うのと同時に、レオナールの左側に人影が見えた。それに向かって弾を放つ。その人影から攻撃を受けることはなく、代わりにうめき声がした。
「自分の隊の隊員にも容赦なしとは、非道な奴だ。見損なったよ」
「魔人裁判執行の命令を下した男に言われたくはないな。あれで何人が死んだと思っている」
「殺したのはおまえだろう?」
愉快そうにオードリックは笑う。その様子にレオナールは奥歯をかみしめた。
その時。
「レオナール。自害しなさい」
透き通る美しい女性の声がした。
レオナールは迷いなく拳銃をこめかみに当てる。
「やめて!」
リゼットはとっさに遺跡の出口から体を出して叫んだ。おかげでレオナールは引き金を引くことはなかったが、正常に動けなくなっていた。その状態のまま固まっている。
この機を見逃してくれるはずもなく、オードリックの手振りによる合図で隊員たちがレオナールへと近づく。その中には当然マティスもいた。虚ろな目をした彼らは、銃をレオナールに向ける。彼らは耳栓をしていた。
「レオナールを殺さないで!!!」
リゼットは叫びながら床に手をつき、レオナールの周りに壁を作った。天井だけ空いた状態になる。
レオナールに近づけなくなったと判断した彼らは、代わりと言わんばかりにリゼットへ銃を向ける。リゼットは恐怖で体が固まった。防壁を作りたくとも、先ほど作った壁に使ってしまい地面に広がっていた聖水は一切なくなっている。
その時、遠くから銃声が響いた。
リゼットに銃を向けている1人の足が撃ち抜かれ、うめき声と共に体が倒れ込む。
さらにもう1人撃ち抜かれたところでレオナールが壁から飛び出してきた。手にしている剣で流れるように隊員全員の足をなぎ払っていく。
全員を切りつけた勢いのまま、リゼットを抱き上げ低空飛行でレオナールは逃走を図った。
しかし、反り返る形の壁が瞬く間に出現し逃げ切ることができなかった。素早く振り返れば聖水がたまっていた穴へ手を付けている聖女アンジェリクの姿があった。中身は神だ。
逃走し損ねた2人を見たオードリックはにやりと笑い、ゆっくりと近づいてくる。
リゼットは声を出そうと息を吸った。しかし。
「娘の口をふさげ!」
神の声の方が早かった。
レオナールは命令に逆らえない。リゼットの口をふさいだ。
その動きを見て神は笑っているが、ぴしりと首の一部が変異したのが見えた。
「おまえはとても従順で良い息子だったのに。その娘と会ってから変わってしまったな。残念だよ」
オードリックは見下しながら銃をレオナールに向ける。リゼットは恐怖で震え泣きそうな表情を浮かべたが、レオナールは顔色を変えずにオードリックを見据えていた。そして、リゼットの口をふさいだまま剣を投げつけた。
「オードリック! 殺せ!」
神の命令が響く。同時に神の首に見えている変異がさらに広がる。
オードリックは避けるそぶりを見せず、そのまま引き金を引いた。
剣はオードリックに当たったが、硬い音を立てて落ちた。剣により破けた服の隙間からは聖水を硬化させた物が見える。
弾はレオナールには当たらなかった。剣を投げた瞬間にかがんだためだ。リゼットを抱えまま接近していき、リゼットの抱えていた剣を引き抜くとオードリックに斬りかかった。
「なっ!」
剣は鎧の替わりとなっていた硬化した聖水を貫通した。オードリックの右腰から左肩にかけて赤い線を作る。オードリックは一瞬よろめいたが、すぐ足に力を入れて立て直した。
「レオナール! 剣を」
神の命令は、銃声で打ち消された。狙撃手は先ほどの場所から移動していたようで、レオナールたちの左手、神の後方から弾が発射されていた。
神の肩に弾が当たる。しかし、神の体は硬質化しているのか弾はそのまま床に落ちた。
「貴様あ!」
神は後ろを振り返りながら、狙撃手のいる方向へ鋭くとがらせた硬化した聖水を一気に飛ばした。
このときレオナールのオードリックへとどめを刺そうと突き立てた剣が、オードリックの腰から引き抜かれた剣に止められていた。力は
「どうしてそこまでして、その娘を守る」
「逆に聞きたい。なぜ、あれに従う」
「不敬な! 神に従えることは名誉なことだぞ!」
怒りをあらわにしたオードリックの力が勝ち、レオナールはリゼットと共に弾き飛ばされた。
転ぶことはなかった。両足で地面に着地し、吹き飛ばされるまま壁まで滑っていく。そして、壁を蹴り上げると再びオードリックへと向かう。
剣を振り上げるレオナールの右手は剣からの浸食を受けて黒く硬く膨れ上がっている。それでも剣を手放すことはせず振り下ろした。
変異すればするほど力は強くなっている。再びオードリックは剣を受けたがレオナールが優勢になっていた。レオナールが勝つと思われたとき、再び透き通る声が響いた。
「レオナール! 剣を手放せ!」
神の声だ。変異した首を抑えながら叫んでいる。
レオナールは素早くオードリックから距離を取り、聖水の壁を背にして辺りの様子を観察しながらリゼットに剣を返す。リゼットは受け取ると、柄を両手で握り込んだ。
リゼットはここでようやく気が付いたのだが、いつの間にか辺りは硬化した聖水の壁で完全に囲われていた。神とオードリック、レオナールとリゼットの4人だけの空間だ。より正確に言うならば他の隊員も数名いたが負傷して動けないでいる。
「これで、何にも邪魔されずおまえを殺せるな。私の体を奪って逃げたのだ。簡単に死ねると思うなよ」
高く美しい声、穏やかに優しい顔で神は笑う。
神は、レオナールを見下ろしたままそっとオードリックに触れた。オードリックの体を包んでいた聖水が少しだけ溶けだし、オードリックの傷を癒やしていく。
レオナールは爪を立てて切りかかろうとしたが、神の言葉に邪魔をされた。
「レオナール。そこで黙ってされるがままになれ」
レオナールは動けなくなる。表情を変えずじっと神の動向を見つめている。
神はオードリックの剣を取ると、レオナールに近づいていった。
「んんん!」
リゼットは叫ぼうとするが、レオナールに口をふさがれており何も言葉にならない。涙を流しながらレオナールの腕から逃れようともがくも抜け出せる気配もない。
もがいている間に剣先が壁にカツリと当たった。
「何事だ?」
神は立ち止まり、
全員の視線がリゼットの持つ剣に向かっていた。
剣が光りだし、青く美しく輝いている。その光には流れがある。聖水の壁から剣の内部を通り、リゼットの中へ入っていくような流れだ。
光が入り込んでくるリゼットは、意識が遠くなりかかっていた。鼓動が早くなり、呼吸も荒くなる。自分ではない何かが入り込む感覚が気持ち悪く、何よりも頭に走る強烈な痛みが耐えがたくて顔をしかめていた。
そして、聖水の壁が崩れた。
水へと戻り皆を濡らしたかと思うと、次の瞬間には膨大な光が一斉にリゼットへ流れ込みはじめた。光のはじまりはレオナールや隊員、さらには神とオードリックからである。オードリックがまとっていた硬質化した聖水も、この流れに乗るようにして溶けていく。
「うあああああああ!」
皆苦痛を感じている顔をしているが、一番苦しそうなのは神だった。
何が起きているのか、正確にわかる人はいない。それでも神が苦しんでいる原因は間違いなくリゼットの持つ剣だ。この光を止めようとオードリックがリゼットへと駆けだす。それを地面に転がっていたマティスが止めた。オードリックの足をつかみ止めている。
「離せ!」
オードリックは強く足を引き、マティスの手を払う。そして容赦なく手を踏みつけた。
「うぐっ」
マティスはうめく。
この2人の動作の間に、レオナールはリゼットから手を離していた。光が出ていくと同時に変異していた部位が溶けるようにして通常の姿へと戻っていく。腰に戻していた拳銃を引き抜き、オードリックへと放った。
マティスに気を取られていたオードリックは避けることができず、胸への直撃を許した。
血しぶきが飛ぶ。
それでもオードリックはリゼットの剣を奪おうとする動作を止めない。
リゼットへと伸ばされる手。
それは遠くから撃ち抜かれた。
この狙撃に一歩遅れて、レオナールも再び銃を放つ。
今度はオードリックの頭を撃ち抜いていた。
このときには光が消え、周囲を濡らしていたはずの聖水も消えていた。
神は、美しい顔を一層歪ませて今までで一番大きな声で叫ぶ。
「全員死ね!」
神は叫ぶが、その命令を聞く者はいない。
レオナールは容赦なく神を蹴り飛ばした。
「ぐっ」
神の体は飛び、手に持っていた剣も遠くへ回転していった。
倒れた神の肩にレオナールは足を置く。
「やめろ! 離せ!」
神が叫んで暴れてもレオナールが離すことはない。
「なぜだ! なぜ聞かない! 離せ! 離すんだ!」
神の表情は怒りよりも、動揺、混乱、恐怖といったもので歪みだしていた。
レオナールは神の頭に銃を向け、引き金を引いた。
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