第33話 これから

 1口目は味わって食べていたレオナールだったが、2口目以降は相変わらずの早さでパンを飲み込み口を開いた。食べ切った時にはいつもの無表情である。

「ところで、馬で走っている途中から記憶がないのだが、どうやってここまで来た?」

 リゼットは、まだ食べている途中だった。口の中にあるパンを飲み込んでから返事をする。

「レオナールは途中で意識を失いましたからね。実は、魔人に案内してもらったのです」

「は?」


 さらっとリゼットは言ったが、実際は緊張している。レオナールがどう受け取るかが想像付かないからだ。

 どう説明すれば良いだろうかと考えながら、パンを口に運び、いつもよりかんでから飲み込んだ。

「列車に乗る直前、追っ手が止まりませんでしたか?」

「あ、ああ……確かにそのようにも見えたが……」

「私、魔人に命令ができるみたいなんです。レオナールを運ぶように言えば運んでくれましたし、暖かい場所を求めれば、ここに案内してくれました」


 レオナールは、リゼットの言葉に眉間へしわを寄せた。

「だから、目を覚ましたときに魔人がそばにいたのか? 相当肝を冷やしたのだが……」

「ええ。レオナールを守るようにと命じてました」

「なるほど……」


 レオナールは指先を唇と顎に当て考え込みはじめた。その様子をリゼットは不安げに見つめる。食事の手は止まっていた。手にパンを持ったままレオナールの様子をうかがっている。

「君が、あの神と同じ特性を持っているということであれば、やはり神は神ではないのだな」

「あの、私のことを気味悪いとか、思わないんですか?」


 リゼットの言葉に、レオナールは目をぱちくりとさせる。

「なぜだ。そのおかげで私は助かったのだろう?」

「それは、そうなんですけど……」

 リゼットの不安の一つにレオナールからどう思われるだろうかというのがあったのは確かだった。しかし、実際は複数の不安があった。自分は人間ではないのではないか。家族だと思っていた人たちは実は違ったのではないか。自分は何者なのだろうか。リゼットは、それをうまく伝えることができないでいた。


「リゼット。君は私のことをどう思う。人間だと思うか?」

「もちろん、レオナールは人間ですよ」

 何を当然のことをとリゼットは思った。そんな様子にレオナールは微笑ほほえみを見せる。

「君も人間だ。魔人に命令ができるぐらいで気味が悪いなんてことはあるわけないだろう。そんな事を言ったらこんな姿の私こそ人間とは呼べない」

 そう言って、レオナールは黒く硬質化した左手を開いたり閉じたりした。

 レオナールはリゼットの心を読めるわけではない。具体的に何が不安だったのかわかっていたわけではないだろう。それでも、レオナールの言葉は的確にリゼットの不安を溶かすものだった。


「どんな姿でもレオナールは人間です。そうですね。そうですよね。私たちは人間です」

「その通りだ」

 笑みを見せたリゼットに、レオナールも微笑ほほえみを見せてうなずいた。


「そして、ここに連れてきてくれた魔人も、人間でした」

 一瞬見せていた笑みを消すと、リゼットは眉を下げて悲しそうな表情になった。

 それを見たレオナールは口を一度硬く閉めてから、改めて口を開いた。

「そうだな。魔人も皆人間だ。それでも……それでも、正気を失い神の命令に従うことしかできないのなら、私は迷いなく殺そう」

「はい……。それを責めるつもりはありません」


 リゼットもレオナールも無言になった。

 何を言えばいいかわからなくなったのだろう。葉が揺れる音だけが響いていた。


「……実は、思った事があるんです」

 気まずくなった雰囲気を打ち消すように、リゼットは真剣な表情でレオナールを見た。パンは手に持ったままで、続きを食べる様子はない。

「何をだ?」

 レオナールは聞く体制に入った。


「前に言い伝えがあると言ったじゃないですか」

「『魔がよみがえりし時、我が家に訪れよ。我が子らに力を与えん』というやつか?」

「よく覚えてますね……」

 一言一句間違いのないレオナールの記憶力の良さに、リゼットは目をぱちくりさせてから続きを話はじめる。


「その話、今じゃないかと思うんです」

「今とは……」

「あの神のことを魔と表現していたのなら、今あの遺跡に行けば何かあるんじゃないかなと」


 レオナールは、指先を唇と顎に当てて思案しながら言う。

「そうだと仮定しても、その者の子孫でなければ力を与えられないのでは?」

「おそらく私血縁者だと思うのです」

「どこからそう思った?」

 レオナールは、怪訝けげんな表情で首をかしげた。


「村には、お話も伝わっているんです。昔、国の中心には5人の支配者がいて、彼らの命令には力がありだれも逆らえなかったと。そのうちの1人が村娘に恋をするんです。命令で従わせるのではなく真実の愛を欲した男は村娘のために仲間だった支配者たちを殺していき……激闘の末、最後の1人を封印したんです。以降国には平和が訪れ、愛を求めた男は村娘と共に村を開拓し、末永く幸せに暮らしたとそういうお話です」


「随分と変わった話だな」

「最近学校で読んだ本の一つですよ。地域の伝承録ってやつで。ちゃんと読むと結構面白かったです。まあ、ただのお話だと思ってたのですが……誰も逆らえない命令とか、それによる支配者とか、まるであの神さまを指しているように思えませんか?」


 リゼットの真っすぐな緑色の瞳を見ながら、レオナールは眉間にしわを寄せた。

「そう聞こえなくもないが……」

「そう仮定したとすると、村の創立者があの神を封印した人で、かつ神と同族なんですよ。当然同じ力を持っていますよね」


 ここまで聞いて、レオナールは一層しわを深くした。

「あれと同じことを君ができた理由になる、か。その話が実話だとは思いにくいが、行く当てもない。カメリア村なら寝場所にも困らないだろうし、次の目的地として悪くないか?」

 レオナールの言葉に、リゼットは顔を輝かせた。

「私、帰れるんですね!」

「追っ手が来る可能性があるが……」


「やっと、家族に祈りをささげられます!」

 嬉しそうに笑うリゼットに、レオナールはうぐっと声を詰まらせ、それから全身の力を抜いた。

「わかった。パンを食べ終えたら、早速帰ろう。ここで過ごしていても仕方がないからな」

 リゼットはレオナールの言葉で食べかけのパンのことを思い出したようで、大きくうなずいてから手元のパンにかじり付いた。


 食事を再開したリゼットを見てから、レオナールは馬へと近づき荷物を確認しはじめた。

「着替えもあるのか。父さんの服だな」

「サイズ、どうですか?」

 座ってパンをもぐもぐとしながら、リゼットは取り出した服を確認するレオナールを見た。


「少し小さいが、着られる範囲だ。ただ、翼が困ったな。切るしかないか」

 レオナールは腰元からナイフを取り出し、ためらうことなく背中に線を入れた。コートも同じである。それらを羽織り、翼をその穴から出すのは大変そうで着替え終えるまでに時間がかかっていた。

「翼があったらと妄想したことは何度もありますけど、実際手に入れると不便ですね……」

「ああ。どこかに落ち着けたら、ちゃんとボタンか何かで背中が開閉できるようにしたい。みっともいいものではないからな」

「翼に目がいくので、あまり気にはならないですけどね」

 リゼットは、レオナールの背中を上から下まで見ながら、素直な感想を述べた。


「それなら良いのだが。リゼット。そろそろ出発できるか?」

「あ、少し待ってください」

 食べ終わったリゼットは、膝上に落ちていたパンくずを払い落としながら立ち上がると木へ駆け寄った。そして、ひざまずくと祈りの姿勢を取った。

「神のしもべたる命よ。大地に帰り恵みとならんことを」

 ここまで案内してくれた魔人に対する祈りだ。レオナールはすでに祈りをささげていたのだろう。静かにリゼットの様子を眺めていた。


 少ししてリゼットは立ち上がり、木を見上げるとレオナールに尋ねた。

「そういえば、この木が何かレオナールは知っていますか? レオナールの傷を癒やしてくれたんです」

「ああ。そもそも、最初からここを目指していた」

 そう言って、レオナールも木を見上げる。

「聖水を豊富に含んだ魔木で、傷付いたものを癒やしてくれる。まさかここまできれいに傷が癒えるとは思っていなかった。これだけの傷が癒える力なら、耐性のない人間が近寄ったら変異しそうだ」


 レオナールの説明にリゼットは、なるほどとうなずいた。

「案内してくれた魔人は、もしかしたらここで変異したのかもしれないですね」

「なるほど。確かにそれはあり得る。幼い頃は友人と共に入っても平気だったのだが、ここ数年の間に力が強くなったのかもしれない。転んでケガをするたびに入り込んでいたのが懐かしいものだ」

 今のレオナールからは想像しにくい幼少時代を語られ、リゼットは不思議な気持ちになった。ほんの少し何かが変わっただけで、この村で笑顔のレオナールが平和に暮らしていたのかもしれない。そして、自分とは出会わなかったのかもと思うと、複雑な気持ちにもなった。


「そうだったのですね」

 それだけを言うと、リゼットはレオナールへと向かって歩き出した。

 その様子を見たレオナールは馬を引き、出口へと歩きはじめる。そして、2人は洞窟を出ていった。

 洞窟には1本の木だけが残っている。木は2人がいなくなっても変わらない。差し込む太陽の光を一身に受けながら、緑の葉を揺らしていた。

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