第30話 レオナールのために

 魔人が歩く場所は道ではない。ならされていない上にべちゃべちゃになった地面は歩きにくい。靴には水分が染み込んできており、リゼットの体温をじわじわと奪っていく。

 周囲は延々と葉の落ち切った木が続いており、本当に暖かい場所に出られるのかリゼットは不安になってきていた。


 素直にレオナールの故郷の村へ入って助けを求めた方が良かっただろうかと考えだした頃。少し盛り上がったところがあり、そこに穴があった。周囲が大きな石で覆われており、人工的なようにも自然にそうなったようにも見える。


「ここですか?」

 思わずリゼットは尋ねたが、魔人からの返事は当然ない。何を言うこともなく魔人はかがみながら穴に入っていく。

 馬を通すのに少し苦戦したが、リゼットも魔人に付いていく。


 中は確かに暖かい。普段であれば寒いと感じる程度の温度ではあったが、外で冷え切ったリゼットにとっては十二分に暖かい空間であった。

 ここなら体力も回復できるだろうと、少しほっとしたところで小さな光がリゼットの視界をかすめた。

 魔人の体でよく見えないが、この穴の奥から光が漂ってきているようだった。


 魔人は奥へと進んでいく。不思議に思いながらも、光に興味を抱いたリゼットは魔人を止めることなく付いていった。

 奥へ奥へと歩いていくと、少しずつ漂う光が増えてきて周囲が見やすくなってくる。光はリゼットの周りに集まってきていて、個々の光も徐々に強くなってきているようだった。

 そして、突き当たりを曲がったところに広く暖かい空間があった。


「すごい……」

 そこには木があった。天井には穴が空いていて、そこから差し込む月光が木を照らしている。

 季節外れに青々とした葉を付け、緑の絨毯じゅうたんを敷いているその木は明らかに聖水の影響を受けている。聖水の影響を受けた存在を魔獣や魔人と呼ぶのであれば、この木は魔木なのかもしれない。月光より弱く、けれども暖かい小さな光たちは、この木から産み出されているようだった。


 魔人が案内してくれていた場所はこの空間だったようで、魔人は木の前で立ち止まっていた。リゼットはそれに気付いて、慌てて口を開いた。

「レオナールを下ろしてください」

 魔人はレオナールを木の下へ優しく寝かせた。

 すると、小さな光たちはレオナールのそばへ近寄りだした。リゼットの周りを漂っていた光たちも、すべてレオナールへ向かっていく。

 リゼットは何が起きているのかわからず、呆然と光を目で追った。


 不思議な光景だった。

 光はレオナールの傷という傷に吸い込まれ、光が消えると傷が薄まっていく。それが何度も繰り返され、光がレオナールではなくリゼットに集まりだした頃にはレオナールの体から傷は消え、肌色に赤みが戻っていた。


 リゼットは、馬の手綱を手放してレオナールに近づいた。

 頬に触れると、ぬくもりを感じる。リゼットの方が冷たいほどだ。心臓に耳を寄せれば、規則正しく動いている。

「良かった……」


 リゼットは、涙を流した。このままだとレオナールを濡らしてしまうと気が付き、顔を上げると目を拭う。それでも涙が止まらず、えずきながらしばらく泣いていた。

 泣いていると、肩に何か触れた感覚がありリゼットは顔を上げた。

 そこには魔人がいて、何をするわけでもないがリゼットの横に座りリゼットを見ていた。


「もしかして、慰めてくれているのですか?」

 何かを命令したわけでもないのに動いたのは魔人の意思ではないかとリゼットには思えてたまらなかった。魔人と人間の何が違うのだろうか。そんなどうしようもないことを頭に浮かべている間に、リゼットのまばたきは緩慢なものになってきていた。

 眠気のままに地面へ寝転がり横を見ると、レオナールの胸が呼吸で上下しているのが見える。安心して穏やかな表情で目をつむったリゼットは、あっという間に眠りについていた。



「おばあちゃん。今は何作っているの?」

 祖母はいつも裁縫をしていることが多かった。布に刺繍ししゅうをしている日もあったし、破れた服に当て布を縫い付けている時もあった。その日は編み物をしている日だった。

「リゼットのセーターだよ」

「本当?! 嬉しい!」


 この記憶は最近のものだ。事件のあった前日も、まだ編んでいたはずだ。白いセーターで、完成がとても楽しみだったのをリゼットは良く覚えている。リゼットにはお下がりが回ってくることが多く、こうして編まれたての服が用意されるのは珍しかったのだ。もしかしたら成人の祝いにと用意してくれていたのかもしれない。


 会話は長く続かなかったが、リゼットはしばらくセーターが編まれていく様子を眺めていた。祖母の手でどんどん編まれていく様子は壮観で、見ていて気持ちが良いものだったのだ。リゼットが編もうとすると祖母の何倍も時間がかかるだろう。


「そんなに見られると恥ずかしいねえ」

 祖母は眉を下げながら、しわくちゃな顔で微笑ほほえんだ。

「見ていて楽しいんだもん」

「それなら良いんだけどね」


 すると、会話を聞いていたらしい母親がリゼットの後ろから話しかけてきた。

「リゼット。おばあちゃんの邪魔しちゃダメよ」

「邪魔してないもん。見てるだけ」

「リゼットだって、ずっと見られながら作業しにくいでしょう?」

「むー」

 リゼットは渋々立ち上がった。


「完成したらいっぱい見て良いからね」

「うん!」

 そう、祖母と約束した。

 叶うことがないの約束なのだと、夢の中のリゼットは知らない。

 無邪気に、嬉しそうに笑っていた。



 リゼットが目覚めた時、光が差し込んでいた。

 光の先で眠るレオナールの瞳は閉じられたままで、リゼットが近づいても目を覚ます気配はなかった。


 リゼットはレオナールの鼓動を耳で確認してから立ち上がると横に座る魔人を見た。

「ここでレオナールを守っていてください」

 命令を聞いた魔人は立ち上がり、レオナールを背にして出口を見つめはじめた。


 これでレオナールは大丈夫だろう。

 リゼットは木の周りで歩いている馬の手綱を握ると出口へと向かって歩いていく。目的は食料と水である。どのみち、レオナールは人前に出られない。必然的にそれらの調達はリゼットの役割になる。レオナールが起きる前に調達してしまいたい。


 馬に乗れれば速いのにと思いながら、リゼットは村に向かって真っすぐ歩いていく。ただ、本当に真っすぐ歩けているのか自信がなかったため、適当な石で木に傷を付け目印にしながら歩いた。これで間違いなく帰ることもできるだろう。


 少しすると開けた場所が見えてきた。そこは冬で何も植えられていない畑が広がっている。この畑が目に入るようにしながら、森の中をリゼットは馬と共に進んでいく。

 案外目的地は近かったようで、すぐに水路が見えてきた。それを右に曲がると確かに家がある。


 ただ、その家は木の板で出入り口が打ち付けられ入れないようになっていた。レオナールが知らないだけで、すでに誰も住んでいないのだろう。

 どうしたものかと思いながら、リゼットは窓に近づいて中をのぞき見た。


「っ!」

 そこには黒ずんだ床があった。断定はできないが、リゼットには血液による染みに見えた。

 驚き、一歩後ずさったところで

「誰だい……?」

 警戒のこもった、しわがれた声がした。


「うあ、あ、あの! 私は怪しいものではありません!」

 後ろを振り返ると、そこには腰が曲がった白髪の女がいた。慌ててリゼットは弁明していく。

「レオナールにこの家へ行くように言われていたので、その、すみません!」

「レオナール……?」


 女は元からあるしわをさらに深くして、茶色の目を揺らしている。

「あの、もしかしてレオナールのおばあさまですか?」

「ええ。そうよ。あなたは……?」

「私はリゼットと言います。レオナールが怪我をして動けないので、どうにか食料と水を手に入れられないかと」

「レオナールが?! あの子は無事なの?! 今、どこに!」


 リゼットの言葉にかぶせるようにレオナールの祖母はリゼットに尋ねた。今にも泣きだしそうな表情に、リゼットの心も締め付けられる。

「今は回復して無事です。ただ、ここには……」

 どう伝えれば良いかが浮かばず、リゼットの言葉は尻すぼみになった。それに対し何を察したのかレオナールの祖母は目を伏せた。

「そう、ね。あの子は帰ってきたくはないわよね」


 この村で、何があったのだろうか。

 リゼットは、レオナールの祖母の言葉に家の中にあった血痕を思い出していた。


「食料と水だったね。今はこの家には住んでいないの。移動しようか」

 先ほどまでの動揺を完全に隠して、レオナールの祖母は穏やかに言うと歩きだした。

「はい。よろしくお願いします」

 リゼットは、レオナールの祖母の後ろを追いかけた。

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