第29話 予感

 線路が見えなくなるぐらいの距離は、かろうじての高さとはいえ飛んだ。翼が傷付いていたため、浮いているくらいの高さでしか飛べなかったのだ。そんなわずかな高さでも、飛ぶことをレオナールが選択したのは足跡が付かないようにするためだろう。

 そこから降り立つと、レオナールは足が傷付いているなどと思えない速度で駆けていく。むしろ、塔からリゼットを連れ出した直後より速いかもしれない。

 翼を広げたまま、半分飛んでいて半分走っているような状態で村らしきものが見えるまで走った。


「リゼット。静かにしていなさい」

 口を閉じたまま、リゼットはうなずいた。

 今は、家の隙間から光が漏れ出ているが外には誰もいないような時間だった。

 穏やかな、悪事など何も知らないような村の馬小屋にレオナールは目を付けた。音を立てぬよう慎重に馬小屋へと侵入した。

 

 レオナールは、リゼットを地面に下ろす。そして、小屋を探り馬装を取り出した。取り付けたのは、レオナールが近づいても嫌がる素振りを見せなかった警戒心の薄い馬である。

 装着が終わると馬を外に連れ出した。その馬の足元に台を置き、馬の左に立ってリゼットへ手招きをした。

 リゼットは誘われるままにレオナールのそばに寄ると、置かれた台から馬に乗る。レオナールがリゼットの体を持ち上げる補助をしただけで済んだのは、リゼットがもっと小柄な馬とはいえ乗馬の経験があったためだろう。

 続いてレオナールが軽い身のこなしで馬に乗る。

 この時点で降っていた雪は止んでいた。朝日が差し込めば、わずかに積もった雪も溶けて消えるだろう。レオナールが盗んだ馬の足跡もかき消えるはずだ。

 足跡が付くことも気にせず、レオナールは馬を走らせはじめた。

 

「レオナール。もう話をしても大丈夫ですか?」

「ああ。大丈夫だ」

 近くに建物が見えなくなると、リゼットは再び話をはじめる。

「空が、とてもきれいですよ」

 街の明かりもなく、冬の澄んだ空にはたくさんの星々がきらめいていた。


「レオナールは、星を見て未来を読めますか? 偉い学者さんには読めるらしいと聞いたことがあります」

「私は、偉い学者ではない。読めないな」

「もしかすると、私たちがこうして馬で走っていることも星に書かれているのでしょうか」


 リゼットは、他愛もないことを途切れさせないようにと必死に話続けた。同じような話題になることもあったが気にせず、ひたすら話をした。

 そうやって何時間も走り、ついに開けた場所が見えてきた。レオナールはあえて道なりに進まず、森の方へと馬を走らせていく。

 

「この村が、レオナールの故郷ですか?」

 返事はない。

「レオナール?」

「……ああ」

 遅れて小さな返事が聞こえた。


 リゼットはレオナールの腕に囲まれており、表情を確認することができなかった。

 レオナールの鈍い反応に、リゼットは不安な気持ちになったが馬は変わらず進んでいく。

 そして。

「え……?」

 レオナールの体が揺らぎ、馬から滑り落ちた。リゼットは慌てて馬を止めると飛び降りる。手綱など気にしなかった。

 

「レオナール!」

 レオナールの目は閉じられている。頬に触れると、とても冷たく、生きているのかが不安になるものだった。リゼットは、少しでも暖めようと借りていた上着をレオナールにかけたが、あまり効果的とは思えなかった。

 

「リゼット……」

 レオナールがゆっくりと目を開いた。

「良かったっ! レオナール死なないで! もう、故郷の村ですよね? 少しで休めるから! あと少し頑張ってください!」

 必死の呼びかけに対し、レオナールはゆったりとした瞬きをしてから返事をする。


「……もうしばらく進むと、水路がある。右に進むと家があるはずだ」

「一緒に行きましょう! レオナール!」

「私は、行けない。最初から、行くつもりは、なかった。この姿でなくても、許されない……」

 レオナールの言葉にリゼットは目を見開いた。


「そんなことありません!」

 そう叫ぶリゼットに、レオナールは柔らかくささやかな笑みを見せた。ゆっくりと右手を上げリゼットの頬をなでる。

 リゼットに伝わる温度は冷たく、どうにか暖めなければとリゼットは頬に触れるレオナールの手を握り締めた。


「リゼット……どうか、生きて」

「死ぬ間際みたいなこと、言わないでくださいっ。私を、私を1人にしないで!」

 リゼットの叫びが届いたのかは、レオナールの鈍い反応からはわからなかった。少なくとも返事はなかった。

 どうにかしなければとリゼットは焦るが、小柄なリゼットにはレオナールを運ぶことすらできない。ただただ、生きた人間か不安になるほど冷たい手を握り締めることしかできなかった。


 その時。

 近くで土を踏みしめる音が鳴った。

 リゼットは音に反応して、後ろを振り返った。


「っ!」

 そこには、完全に変異した魔人が立っていた。

 守らなければと、リゼットはとっさにレオナールを庇うようにして魔人と対峙たいじした。

 魔人はゆっくりとリゼットへ近づいてくる。見上げるほどの距離になり、リゼットの心臓は緊張で強く跳ねた。


 しかし、リゼットの緊迫感をよそに何も起きる様子はない。不思議と魔人はそこからは何をするでもなかった。ただリゼットを見て立っているだけである。

 リゼットはそんな魔人の様子を見て、もしやと思った。呼吸が苦しくなり口と肩で呼吸をはじめる。目を揺らし、何か言葉を発そうと試みるが、恐ろしい予感が形になる不安に声が出ない。それでも言わなければならない。何度も呼吸を繰り返してから、予感を確かにする言葉を震えながら紡いだ。


「座り、なさい」


 魔人は、座った。

 リゼットの言葉に従って、雪に濡れる地べたへ座った。


 リゼットは、強く目をつむる。

 おかしいとは思っていたのだ。聖水を飲んで変異しないことも、魔人が近寄ってくることも、神に体を奪われずに済んだことも、神の命令が効かなかったことも、列車に乗る直前追っ手が動かなくなったことも。


 よくよく思い返せば、リゼットに近づいてきた魔人たちから攻撃を仕掛けてきたことはなかった。そして、連れさらわれはしたが殺されるような攻撃をリゼットに対して与えてきたこともなかった。連れさらわれた時も、最初に攻撃したのはダミアンだ。


 リゼットは、ゆっくりと目を開いた。

「立ちなさい」

 魔人は立ち上がる。

 それを見てリゼットは決意をする。自分が何者かはどうだって良い。過去も未来もどうでも良い。レオナールを助ける。レオナールを助けられるなら、魔人でも神でも何でも利用するのだと。


「レオナールを持ち上げて」

 リゼットがレオナールを指し示すと、魔人はゆっくりとしゃがみ込み、難なくレオナールを持ち上げ、肩に担ぎ上げた。

 気絶しているのか死んでいるのかはわからないが、レオナールからはなんの反応もない。


 リゼットは、ぐっと胸元を握り締めてから少し離れてしまった馬に向かって走った。そして手綱を手にする。リゼットの身長と身体能力では馬に乗ることはできず、そのまま手綱を引いて馬を歩かせた。

 そして思案する。これからどこへ行けばいいだろうかと。レオナールに行くように言われた場所へ行くにしても、半分近く魔人になっているレオナールが受け入れられるかがわからない。レオナールはリゼットだけを行かせるつもりだったのだから。


「……どこか、暖かい場所へ案内してください」

 無理だろうなと思いつつも、リゼットはすがる気持ちで魔人へ問いかけた。

 すると、魔人はきびすを返した。魔人が現れた、村からは離れていく方向である。もしかすると道中で何か見かけていたのかもしれない。


 賭けるような気持ちでリゼットは魔人の後ろを付いていった。

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