第27話 脱出
「リゼット。起きなさい」
母親の声でリゼットは目を覚ました。
周囲を見渡せば、見慣れた木製の壁とカーテンの掛かっていない窓がある。見間違えるはずもない、カメリア村の自宅だった。
「ここは? レオナールは? 神さまは?」
思わずリゼットが問いかければ、母親は困惑した表情を見せた。
「誰の事かしら? 聞いたことないわね」
そうか。今までのことは長い夢だったのかとリゼットは思った。人間の体を乗っとる神さまがいて、レオナールの体が奪われるなんて現実にあり得ない話だ。
「ママ……。怖い夢を見たの。パパは魔人になって、村のみんな死んじゃうの」
「そう、怖かったわね」
優しく抱きしめられ、リゼットはじんわりと涙があふれ出してきた。暖かく懐かしい。もう二度と感じることのできないと思っていたぬくもりだ。
そう感じたことでリゼットは自覚した。今この瞬間こそが夢なのだと。
それでもなお母親に話しかける。
「うん。怖かった……。ずっと怖かった。みんなに、会いたくてったまらなかったよ」
泣きながら言えば、うんうんと頭をなでながら聞いてくれる母親は現実にはもういない。それでも、今だけでも聞いてほしいとリゼットは口を開く。
「ママ。私、もう生きるのが怖い。みんな、いなくなってしまうの。それなのに、みんな私に生きてと言うの。私、どうしたらいいの」
リゼットの言葉になでる手を止めると、母親はリゼットの顔が見えるように体を離した。
「あなたの思うようにしなさい。私はいつでもあなたの味方だわ」
夢の中の母親は、そう言って
それは、かつて聞いたことがある言葉だった。ただ、いつ聞いた言葉だったのかはリゼットの記憶にはなかった。
◇
「リゼット」
聞き慣れた声にリゼットは今度こそ目を覚ました。
母親のいる夢を見ていたせいもあるだろう。一瞬、塔へ閉じ込められたのは夢で、聖地へと向かう旅の途中に眠っていただけなのではないかと思ってしまった。そんな声だった。
起き上がり、部屋の中を見るが扉は閉められたままで誰もいない。寝る前との変化は冷えた食事が置かれているのと、いつの間にか部屋の電気がついていることぐらいである。もしやと、リゼットは夜が広がる窓を見た。
「無事だったか」
「レオナール!?」
鉄格子の向こうには無表情のレオナールがいた。嫌な笑みなど浮かべていない、いつものレオナールだ。
「無事だったかはこちらの台詞です! 神さまに乗っ取られたのではなかったのですか!? どうしてここに!?」
鉄格子へ駆け寄りながらリゼットはレオナールへ質問をぶつけた。
「あれはアンジェリク様の体を手にした。私は捨て置かれたので生きている。それだけだ」
近寄ると、レオナールの額からは汗がにじみ出ており、目もぴくぴくとしていた。明らかに疲労がたまっている表情だ。胸が上下しているのが目に見えてわかるほどで呼吸が荒い。
「レオナール、大丈夫なのですか? 休憩を。でも、この部屋には入れないですよね。どうしたら……」
「入ることはできる」
「え?」
その瞬間、鉄格子は外された。最初から外せる機構だったかのように、レオナールは軽々と片手でもぎ取ると、地面へ向かって放り投げた。
そして、ギリギリ1人通れるぐらいの窓をくぐり抜けて侵入を果たした。
明るい部屋に入り、全身がはっきりと見えたレオナールは人間と呼べる容姿ではなかった。見える範囲でも左腕は魔人と同じものになっている。変異は顎の辺りまで迫っており、服でも隠しきれなくなっている。そして、一番目立つのは翼だろう。ずたぼろの服を突き抜けて生えるコウモリのような翼は、やはり魔人と同じである。
部屋に降りたったレオナールは静かにリゼットを見る。
「マティスと話をした。闇に紛れて君を連れ出そうと思う」
「ど、うして……」
リゼットはかすれた声を出した。
「そんな姿で、それでも私を、助けてくれるのですか?」
「……人を助けることに理由がいるのか?」
人助けに理由はいらないかもしれない。でも、理由がなければ、人の形を失ってもなお助けようと動ける者はいないだろう。リゼットは、レオナールが何を考えているかわからなかった。マティスの言うように、神へリゼットを渡さないため、神の命令が効かない切り札として生かすために動いているようには思えなかった。そう思っているなら、そう言えばいいのだから。
「今の私の役割は、君を聖地の外へ連れ出すことだ。付いてきてくれるな」
「……はい」
リゼットは、ぎゅっと胸周りの服をつかみ、レオナールに近づいた。なぜ、とは思うがレオナールが答えてくれるとは思えなかった。
その時、階段を駆け上がる音が響いた。
レオナールは素早く窓を出ると、リゼットに手を伸ばす。
「急げ」
リゼットが差し出された手を握った瞬間、強く引っ張られ、窓の外で抱きとめられた。リゼットはレオナールの右腕で抱きかかえられる形になった。
同時に扉が開く。そこにいるのはマティスだ。
「命令だ」
そう言って、マティスは銃を放つ。その時にはレオナールは空へ飛び上がっており、当たることはなかった。
「私の動きが神にバレたようだな」
そう言いながら、レオナールは森に向かって高度を下げていく。
「なぜバレたのでしょうか」
「私が消えていることに気付いたのだろう。念のためリゼットを閉じ込めている塔へ連絡をとったというところかな」
木より下にたどり着くと、木々の隙間を縫うように飛行していく。速度は走るよりは早く、車よりは遅い。駆け足の馬よりも速いかはわからない。
「列車の出発までに間に合うといいのだが」
「夜に列車が出ているのですか?」
「夜間は貨物列車が走っている。それに飛び乗りたい」
この言葉の通り、レオナールは駅の直前まで森の中を飛んだ。しかし、どうしても駅は開けた場所にある。
待ち構える車に気が付き、森を出る前に上空へ向かって一気に浮上した。
「きゃっ」
急に与えられた圧力にリゼットは悲鳴を上げる。
この動きを見て、待ち構えていた者のうち、翼を持つ魔人たちが空へと飛び上がった。爪を立てて攻撃してくるが、レオナールはそれを難なく避けた。
ただ、揺さぶられることとなったリゼットは必死な顔でレオナールにしがみついていた。
そして、銃声が響いた。
それは的確にレオナールの翼を撃ち抜いていた。
「くっ」
失速し、高度が下がる。駅は目前だった。
地面へ落ちたところで再びの発砲。
レオナールの右足首が撃ち抜かれる。撃ったのはオードリックだった。
オードリックは冷たい表情で近づいてくる。侮蔑、軽蔑、そういった目をしており、とても息子に向けるものとは思えなかった。
リゼットはとっさにレオナールの腕から抜け出すと、手を広げた。
「レオナールに近寄らないで!!」
体も声も震えながら叫ぶ。リゼットを殺す意志はないはずだという推測からの行動だった。
「……どういうことだ」
オードリックは立ち止まると眉間に深いしわを作った。
オードリック以外も、皆動きを止めた。
何かが起きている。
動揺が走ったこの時、汽笛が鳴り響いた。
音に誘われるようにしてレオナールは左足に力を入れて跳ぶように起き上がった。リゼットを抱き上げると、飛んでいるのか走っているのか判別が難しい動きで駅の構内へ駆けていく。
「レオナール!!」
オードリックはレオナールの胴を撃ち抜いたが、そこはすでに変異しており、貫かれることはなかった。
さらに銃声が響いたが、あまりの速さに弾は届かない。
オードリックは舌打ちをした。
それは、リゼットとレオナールが逃げ切った瞬間だった。
構内ではレオナールたちを止められるものは何もない。うろたえる駅員たちを見ることなく改札を飛び越え、そして左足で力強く踏み出すと発進した直後の列車に飛び乗ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます