第26話 バルザミンの塔
「総隊長! 隊長!」
扉が開いたのに気が付いたマティスたちは、扉に近寄ってくる。魔人の襲撃はある程度静まっていたようで、皆呼吸を落ち着かせているところだった。
妙に笑顔なレオナールの顔に気が付いたマティスは、
そんなマティスに気が付いたのかはわからないが、神は笑みを深くして言う。
「完全体を殺してしまうとは。優秀なのだろうが仲間を殺すのは良くないな。今後は仲間同士協力して私に仕えたまえ」
見下すように顎を上げて神は命じる。
マティスたちは、何言っているんだこいつとでも言いたげな表情であったが
「かしこまりました」
と口にし、ひざまずいていた。
そんな彼らの様子に神は満足げに笑う。
「そなたらは、アンジェリクの居場所を知っているか?」
「最後に別れた地点であれば、全員把握しております」
マティスが代表して答える。表情は、困惑、動揺といったものである。
「ならば、その場所まで案内したまえ。あと、誰でも良い。そこの娘を牢に……いや、壊されるのは困るな。なにか良い場所はないか?」
「それであれば、中央の外れにあるバルザミンの塔がよろしいかと」
オードリックの言葉に、神はうなずく。
「では、そこに連れていけ」
「マティス。リゼットは神の器になる存在だ丁重にお連れしなさい」
オードリックは、神の命令をさらに詳細にしてマティスに伝える。
「かしこまりました」
マティスは拒否をしない。動揺しながらも命令に従い、オードリックの代わりにリゼットの手をとった。オードリックのように腕をつかむのではなく、手をつなぐ形で丁寧である。
リゼットがぎゅっと強く握ってきたのを感じたマティスは、同じぐらいの力で握り返した。
大聖堂の外へ出ると、神は顔をしかめる。
「随分と暴れたものだな。馬車がないのではないか?」
「神よ、今の移動手段は車で馬は必要ございません。無事な車もあるようですので、今すぐ手配いたします」
そう言ってからオードリックはマティス以外の隊員の方を向く。
「2台の車をここに用意しなさい」
「かしこまりました」
隊員たちは青ざめた表情で従うと、通りを見て無事そうな車の元へと走っていく。
「あれらを正式に私の下僕にしないと、邪魔になるな?」
隊員たちが、襲い来る魔人と戦闘になったのを見ると、神は息を吸った。
「皆の者! ひざまずけ!」
低いが響く声だった。
声が届いた範囲の魔人たちが神の方を見て、皆ひざまずく。マティス含めた隊員たちとオードリックもだ。ひざまずかなかったのは、リゼットだけである。
突然の光景にリゼットは目を見開き、一瞬固まってから遅れてリゼットもひざまずいた。
「む。広範囲だと融通が効かないな。オードリック。車の手配を進めよ」
オードリックに改めて命令してから、再び神は響く声を放つ。
「オードリックに声をかけられたものは、オードリックの手伝いをするように!」
そう叫んでから、神は冷たい表情でリゼットを見た。
「やはり、そなたは私に従わないのか。不愉快だ」
唐突ににらまれたリゼットは、体を震わせた。
「さ、逆らうつもりはございません!」
声を裏返しながら必死に叫ぶ。リゼットは神の言葉に従っているつもりである。しかし、神の表情は変わらない。
「器でなければ、今すぐ処分したところだ」
這うような声に生命の危機を感じ、リゼットは体を震わせた。そんなおびえた態度を見ても神の気分が晴れることはないようだ。忌々しげにリゼットを見下ろしている。
マティスとつないでいる手が、リゼットにとって救いだった。
「車のご用意ができました」
オードリックの声で神からの視線が外され、リゼットはほっと力を抜く。
用意された車は、どちらも屋根があり扉にガラスの窓がはめられている車だった。
「よくやった。では、おぬしはその忌々しい娘をバルザミンの塔へ連れていき監視せよ」
「かしこまりました」
マティスは真剣な表情で請け負うと、リゼットを助手席へ誘導し、自らは運転席に乗り込み発進する。
魔人たちがひざまずいている通りをある程度走ったところでマティスが口を開いた。
「あれは、何者なんだっ!」
ハンドルを叩きながら、忌々しげに吐き捨てる。
「神さま、です」
「あれが神だと? 魔人を従える、あんな禍々しい存在がか?」
敬語を捨てて話すマティスは、相当動揺しているようだった。
「神さまは聖域で眠っていました。それに近づいたら何も見えなくなって……気が付くとレオナールが神さまに体を奪われていました」
「体を奪い、魔人を従える神、ね」
マティスは片手で髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら言う。
「私も聞きたいことがあります。皆、なぜあの神さまに従うのですか?」
一瞬だけリゼットを見てからマティスは答える。
「……逆らえないのです。命令通りに勝手に動きます。今だって話せてはいるだけで、体は勝手に動いているようなものです。何より命令を受けるたびに頭が鈍化していくのがわかります。いつか思考すらできなくなるかもしれません」
リゼットからの質問に、少し頭が冷静になったのか敬語だった。
「そんな……」
あまりの内容に、リゼットはあぜんとした表情を作った。
「まったく変異が見られていないリゼット様が何ともないならば、わずかだとしても変異した俺たちは所詮魔人と変わらないってことでしょうね」
マティスは吐き捨てるように言うと、歯をかみしめた。
「俺は命令を受けてしまっているので、もうどうにもできません。ただ、どうにか抜け道を考えてリゼット様を逃がそうと思います」
「マティスが危険ではないですか?」
リゼットは心配して質問したが、マティスは首を振った。
「レオナールの体が徐々に変異していてアンジェリク様を求めたということは、聖水に耐性のある者ではないと体がもたないのでしょう。ならば、リゼット様があれに奪われる方が危険な予感がします。加えて命令が効かないリゼット様は切り札になりえます」
マティスの言葉に、リゼットは唾を飲み込む。
「どうか逃げて生き延びてください。そして、あれの支配から逃れる未来をどうにかつかみとってほしいのです」
マティスの言葉に何を言えば良いか浮かばず、リゼットがうろたえている間に、マティスはさらに言葉を付け加えた。
「幼いリゼット様に託すような言葉ではないと重々承知しています。ですが、あれは強い者が倒せるなどという純粋な存在ではない……命令を受けてない者と合流して、あれを倒してほしい……」
絞り出すような声だった。
本当に、リゼットに託すのは心苦しいと思っているのだろう。
確かに、皆従ってしまうのであれば力だけでどうにかできるような存在ではない。対抗できるのは命令が効かないリゼットぐらいであるのも事実だろう。しかし、リゼットは非力である。暮らしていた村は魔人化で全滅し、聖地に従いここまで来た。筋力的にも力はない。
「私にできるでしょうか……」
リゼットは不安を口にする。
「……」
マティスは何も言わなかった。車が走る音だけが響き、しだいに塔が見えてくる。
「たとえ、何もできなくても良いのです」
しばらく答えを考えていたのだろう。マティスが再び口を開いた。リゼットはマティスを見る。
「あれに抵抗できるリゼット様が生き延びているだけでも希望になります。どうか、生きてください」
「……わかりました」
リゼットは泣きそうだったが、それだけは答えた。
家族も友人も亡くし1人生き延びた。それでも生きてきたのは、聖水が何で、なぜ魔人裁判が行われたかを知りたいと思ったからだった。そして今、その結論が出たとリゼットは考えていた。
すべてはあの神のために起きた事だったのだ。聖水は人を魔人にし神の僕にする。魔人裁判は神の器を探すためだ。
結論を得たリゼットに生きる意味などなくなっていた。どうして自分だけが特別で生きているのかなど知りたくはない。それでも、あの日以降出会った人たちが望むのだ。リゼットの未来や生きることを。
リゼットは、何かを言葉にするだけで涙も共にこぼしそうで何も言えなくなった。
マティスは、そんなリゼットの心境に気付いていたわけではないだろうが、彼も何も言わない。
塔に着いたとき、2人は無言だった。
バルサミンの塔は高い塀に囲まれていた。その塀の上には内側に傾いている棘のある柵が付いている。この塀の中にはいくつかの塔があり、塔の窓はすべて鉄格子が付けられている。塔の扉も鉄製のものだ。
一般的な地下にある薄暗く汚くて寒い、鉄格子のはまった牢屋には入れられない何者かを閉じ込めるために作られたのだろうということが容易に想像できる光景である。
塔はすべてツタに巻き付かれており、遺跡のような雰囲気でもあったが、ちゃんと管理されているようで人がいた。
在駐していた男は困惑しながらもリゼットとマティスを中に入れてくれる。
「どの塔でも良いから使わせてほしい」
マティスの要求に男は
「何のためにかをお聞きしてもよろしいでしょうか」
当然の疑問である。
「神の器を保管するためだ。今理解できなくとも、すぐわかる」
マティスは事実を述べたのだが、当然管理人は理解できず
「いつでも使用できるように、中は整えられております。この塔は女性が使用することを想定しておりますので、過ごしやすいかと存じます」
そう言って開けられた塔へとリゼットは踏み込む。あの神と
「お食事は、この小さな扉からやり取りいたします。何かご入用なものがあれば、こちらから要求してください」
部屋に入ると、部屋の扉の横に上開きの扉があるのが見えた。そこと同じ高さで内部に机が置かれている。
「わかりました」
返事をしてから部屋の中を観察すると、ベッドと鏡のある机、そしてタンスがあった。それらが収まるだけの最低限の広さの空間だ。女性向けというだけあって、花柄の
隙間風もなく、村で暮らしていたときよりも、よほど上質な空間であると言えた。
ベッドの上に熊のぬいぐるみが置かれているのは、前に使っていた人物の趣味なのかもしれない。
「それでは、失礼いたします」
管理人はリゼットへ気遣わしげに視線を送りながら部屋を出ていった。それを見届けてから、残ったマティスが口を開く。
「私は命令に従い塔の出入り口を監視します。どうか、ご無事で」
「はい。マティスも無事でいてください」
そして、マティスは部屋を出ると鍵を閉めて去っていった。
1人取り残されると、部屋が広く感じてくるのが不思議である。
何もすることがなく、鉄格子ごしにリゼットは外を見た。
マティスは暗にこの窓から逃げろと言っているように聞こえた。自分の力では外せないが、マティスが手配してくれるのだろうか。リゼットは考えるが、とくに結論は出ない。
ふっとため息をつくとベッドの上へ転がった。村の事、レオナールの事、神の事、神の命令から逃げられなくなった者たちの事。いろいろな事が頭を巡っていく。ただ、疲労のが強かった。布団の上で転がっている間に、リゼットは眠りについていた。涙は流れていなかった。
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