第22話 聖女の教育

 アンジェリクからの教育は毎日、そして朝から晩まで常に続けられた。リゼットに用意された館へと毎日足を運んできては、とても小さなことまで注意をするのである。

 食事の時もナイフとフォークの持ち方の説明を受け、食器を鳴らそうものなら指摘される。日常の行動すべてが試験のようであった。


 少しでも早く歩くと指摘され、早口になると指摘される。歩き方、指先の動き、呼吸でさえも意識しなければ注意を受ける。厳しさに、リゼットが涙目になるのも当然だろう。

 ただ、故郷や家族を思い出す余裕もない生活であったのは、リゼットにとって救いだったのかもしれない。


 そして、教育は何も日常の細かい指摘だけではない。座学もあった。せっかく学校での勉強が終わったというのにとリゼットは思ったのだが、学ぶ内容が違った。神事についてが主になっており、それに関わる国の地理や歴史についてという教会らしい内容であった。


「国の中心で神さまは眠りにつかれているのですよね? もしかして近くに神さまがいらっしゃるのですか?」

 神話の話になり、ふとリゼットは気になったことを口にした。愛した人と共に眠りについたとされている神さまを中心として発展したのがこの国であるとされている。国の中心である聖地の中央地区に今いるということは、すぐそばに神さまがいるのではと思ったのだ。


「はい。いらっしゃいますよ。リゼット様もじきにお会いできます」

「本当にいらっしゃるのですね……」

 不思議な気持ちだった。リゼットも神さまを信じていなかったわけではないし、聖地で眠りにつかれているというのは当然知っていた。しかし、自分の人生には何の関わりのないことで、物語の向こうの話という感覚でしかなかったのだ。


「聖地で即位式を執り行った後は、すぐに聖域へ向かうこととなります。神さまはそこにいらっしゃいます。幻想的な場所ですよ」

 リゼットは幻想的であると聞いてどのような場所か気になったものの、大地に恵みを与え人々を魔人にする神さまがどういった存在かわからなくなっており、不安な気持ちが勝っていた。そのため、何と答えたらいいかわからず、一瞬間を空けてから

「お会いできるのが楽しみです」

 と心にないことを口にした。


 アンジェリクがそれをどのように受け取ったのかは、微笑ほほえみからはわからない。引き続きゆったりとした口調で、聖地の成り立ちについての説明を進めていった。


 そんな生活を送るリゼットに休暇が与えられたのは、聖地に着いてから1カ月経った頃である。アンジェリクから、教育はお休みしてお茶にしましょうとお誘いを受けたのだ。

 庭で日差しを浴びながら小鳥のさえずりと共にゆったりとお茶をするなど、リゼットにとってはじめての経験である。


 なんてお嬢さまらしいイベントだろうとリゼットは胸を高鳴らせ、せっかく身に付きはじめていたゆったりとした所作が、そわそわと落ち着きのないものになっていた。

「リゼット様。落ち着いてくださいませ」

 世話係のジスレーヌに指摘されるほどである。

「申し訳ありません……」

 リゼットはぴしっと笑顔を貼り付け直し、ゆったりとした動作を心がけながらアンジェリクとのお茶会へと足を運んだ。


 お茶会が開催されたのは、アンジェリクが住む館の中庭であった。色とりどりの花が咲き誇り、雑草1つなく整えられた美しさがあった。

 ただ、青々とした見栄えは夏なのだが、実際の季節が秋であるということは変わりなく肌寒い。手がかじかむほどではなく用意してもらった膝掛けで暖が取れる程度というのはリゼットの暮らしていた村よりも聖地の方がそもそも温暖な地域なのだろう。


 リゼットとアンジェリクは、この庭の中心にあるテーブルを挟んで、向かい合うようにして座っていた。加えて、2人が庭を見渡すのに邪魔とならないような位置で何人かの護衛が立っている。その中にレオナールもいた。

 温かい紅茶をアンジェリクは喉に流し込み、カップをテーブルに置いてから口を開く。

「こうしてお話するのは、はじめてですね」

「はい。お招きいただいて、大変嬉しいです」


 2人は穏やかに微笑ほほえみ合う。

「忙しいのは即位式が終わるまでです。成功するよう精いっぱい助力いたしますね」

「はい。わたくしも精いっぱい努力いたします」

 このような当たり障りのない会話が続いていく。リゼットが、何か話すべきことがあってお茶会が開催されたのではと疑問を抱きはじめていた頃、お茶会の意図が説明された。


「本日のお茶会を開催したのは、休息を兼ねてお互いをよく知り、交流を深めたいと考えたためです。お好きなことなど教えていただけますか?」

 確かに、リゼットはアンジェリクのことを何も知らない。逆もまた然りだ。今後も教育係として長くそばにいてくれる人であれば、人となりをよりよく知り、親しみのある関係を築きたいものである。

「もちろんです」


 リゼットに否などなく、笑顔でゆっくりとうなずいた。

「わたくしは外が好きです。友人と川で水遊びをしたり、お肉を焼いて丸かじりしたり、のびのびと過ごせる日々が、好きでした」

 村で過ごしていた日々をリゼットは思い出して語った。最後には過去形となってしまったのは、これだと好きなことというよりは、今はできない好きだったことだと気付いてしまったためである。

 リゼットの顔に張り付いていた笑顔が、少しはがれていた。


「それは楽しそうですね。わたくしもやってみたいと思いました」

 リゼットの顔の曇りにアンジェリクも気付いていただろうが、とくに指摘してくることはなかった。


「アンジェリク様は、水遊びなどなさったことがないのですか?」

「はい。わたくしは早い頃から聖女候補でしたから」


 確かに、聖女と呼ばれるようになる人物が外を駆け回り、水をかけあって遊び、肉に飛びつくわけがない。お嬢さまらしい生活をしてきたのだろう。

 リゼットは、一度もこの楽しみを味わったことがないというアンジェリクに、いささか同情的な気持ちが生まれていた。


「そうなのですね……。アンジェリク様は何をして過ごされているのですか?」

 外を駆け回るようなことをしない生活というものをリゼットは想像できなかった。母親と同じぐらいに見えるアンジェリクの年齢であれば、そもそも駆け回りはしないだろうが。それでも疑問だった。


「わたくしは、暇な時間は読書をして過ごしております」

「どのような本をお読みになるのですか?」

「領地を越えた愛の物語や、国の外周を巡る旅物語などの聖地の外を知れる本を好んでおります」

 そう聞いて、リゼットはもしやと思った。

「もしかして、聖地の外へ行ったことがないのですか?」

「祭事で外に出ることはありますよ。ですが、聖堂以外には行きません」


 それは、外を知らないのと変わらない。鳥籠の中の美しい鳥。それが、リゼットが今抱いたアンジェリクへの印象である。

 そして、そのアンジェリクに続いて聖女になるのがリゼットということは、すなわちリゼットも鳥籠に閉じ込められようとしているということなのだろう。むしろ、すでに閉じ込められているのかもしれない。


「リゼット様は、外のことをよく存じておりますよね。ぜひ、どのように暮らしていたのか教えていただけませんか?」

「はい。喜んで」


 リゼットは、過ぎ去ったかつての日常を思い出して語っていく。田植えは大変だけれども秋になると稲穂はきれいで食べるとおいしいこと。村に学校ができたときの事。

 懐かしい日々を語るのはとても楽しく、そして寂しいものだった。それでもたくさん話そうと思ったのは、アンジェリクに外を楽しいところだと知って欲しかったからである。

 お茶会は、かつての楽しい日々をアンジェリクに伝えて、穏やかな雰囲気で終わった。


 お茶会翌日以降はいつも通りの日々である。

 気が付けば所作の指摘がなくなり、食事の雰囲気もゆったりとしたものへと変わった頃。座学の時間以外は暇であるとリゼットが気が付けるほどに心の余裕が生まれた時には、即位式も直前となっていた。

 式の流れ、式で述べるあいさつ、それらをこの3カ月で覚えて、少しばかりの自信がリゼットには付いていた。


 はじめて紙を見ないであいさつを述べ切ったときは、つい背後に控えるレオナールへ自慢げな視線を送ってしまい注意を受けたものだったが、今では、かむことなく自然に語ることができる。


 ちなみに、自慢げな視線を受け取ったレオナールは、表情は変えなかったもののうなずきだけは返してくれていた。

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