第21話 教皇と聖女

 食事とお風呂を終え上質なベッドで眠りについたリゼットは、かつての夢を見た。


「リゼット、どうした? 眠れないのか?」

 夜中、寝室から出てきたリゼットに、テーブルでお酒を飲んでいたリゼットの父親が声をかける。

「うん……」

 うつむき落ち込んでいるように見えるリゼットは、今より幼い姿であった。


「そうか」

 そう言うとリゼットに近づき、片手で抱え上げた。体が宙に浮き、驚いて目を瞬かせるリゼットを見て笑うと、父親は歩き出す。

「どこへ行くの?」

「外だ。星を見よう」


 空いている片手で家の扉を開けると、外に出た。

 大地に余計な明かりはなく、空に輝く星々を数えるのは到底不可能である。


「学校で何かあったのか?」

「どうしてわかるの?」

 リゼットは驚いて父親を見ると目を丸くした。

 そんなリゼットを見て父親は微笑ほほえむ。

「リゼットのことをいつも見ているからな。わかるさ」

「そっか……」


 リゼットは地面へ視線を移し、口を閉ざした。

 父親は何も言わず、リゼットが何かを話はじめるまで待っているようだった。


「友達とけんかして、ひどいことを言ってしまったの……」

「後悔しているのか?」

「うん……」


 再び口を閉ざしたリゼットの様子を見て、少し考えてから父親はリゼットに話しかけた。

「結婚する前の事だが。俺もママにひどいことを言って怒らせてしまった事がある」

 リゼットは顔を上げて父親を見た。


 2人の視線はぶつかり、父親は微笑ほほえみながら話を続ける。

「それで、本心ではなかったのだと謝ったのだが、許してもらえなかった」

「でも、今は仲直りしているよね?」

「ああ。何かと荷運びを手伝ったり花を贈ったりしているうちに許してもらえた。まあ、友達相手なら花を贈るのは違うと思うが……そうだな。例えすぐ許してもらえなくても真摯しんしに接していれば、いつか許してもらえるかもしれない。だから、明日謝るといい。今後どうしたらいいのかはそれからだ」


「わかった……」

「不安だろうが、そうだな。許してもらえなくても、パパ含めた家族はみんないつだってリゼットの味方だ。だから、絶対に1人になることはない。その点だけは安心しなさい」

「うん」

 リゼットはうなずいてから空を見上げた。

 父親も同じく空を見上げる。


 きらめく星々が映り込むリゼットの瞳は、まだ不安に揺れていた。それでも、確かに父親のぬくもりから勇気を受けとっていた。


 現実のリゼットは、そんな夢をみながら涙を流す。

 そして、一言だけつぶやいた。「嘘つき……」と。



 翌日、リゼットはかつて着たこともない上質な服を着ていた。うっすらと青い柔らかなスカートで、白いレースによって上品に飾り付けられている。

 着慣れない柔らかい生地で、リゼットは自然とゆったりとした動きになっていた。


 朝食を終え、落ち着かない気持ちで過ごせばすぐに予告されていた11時である。

「本日の予定は、現在の聖女様とサンビタリア教皇との顔合わせとなります」

 予告通り迎えに来たオードリックから説明を受けて向かった先は、立地的にも存在としても国の中心となる場所である。


 リゼットが乗った車が進んでいるのは、真っすぐ伸びる広い道路だった。しっかり手入れがされているのだろう。聖地の中心であるにもかかわらず石畳は草によって浮いていない。おかげで車は激しく揺れるようなこともなく快適に進んでいく。

 道路の中央には草花が生えている。これもしっかり管理されているようで素直にきれいだと思える姿だった。

 道路の左右には2階建てのレンガ造りの家が隙間なくきれいに立ち並ぶ。

 管理され整頓された美しさのある街並みと言えた。


 この真っすぐな道の先にあるのが目的地のサンビタリア大聖堂である。この街のどこからもその建物が見えるほど大きな建物で、天井がドーム状になっているのが特徴的であった。その天井は青のようにも紫のようにも見える美しい色合いをしていた。

 リゼットは、レオナールへ本当にすごくきれいですねと話しかけそうになったが、こらえた。真っすぐ前を向いて、大聖堂とそれを囲う街の壮大さを目へ焼き付けることに専念する。


 車から降りると、建物の大きさが一気に実感として得られるようになる。自分はなんて小さいのだろうとリゼットが思う程である。

 この大きな大聖堂へとリゼットたちは侵入する。


 中はベル・ドゥ・ジューの大聖堂と似たような造りだったが、それよりも通路の幅は広く天井が高い。そのせいか、同じように絵が描かれ、彫刻が飾られているはずなのに、ベル・ドゥ・ジューの大聖堂より壮大に感じられた。


「その娘が聖女か」

 ふくよかで、白い髪、白いひげ、白い服を着た、おじいさんと呼ぶのがふさわしいであろう男がリゼットを視界に捉えると口を開いた。

 そのふくよかな男は、リゼットたちが通された部屋の一番奥の椅子に座っていた。部屋にある他の椅子と比べても豪華で、特別な人物が座っているのだと椅子が主張している。おそらく、この人物がサンビタリア教皇だろう。彼の前には長机があり、短い側に面していた。

 長い側にも複数の椅子があり、同じくふくよかな年配の男たちがそれらに座っていた。1人だけ混ざっている女性が、おそらくは現在の聖女である。


 部屋に入り長机を挟んで教皇の正面に立つと、リゼットはオードリックによって紹介された。

「彼女が真の聖女でございます。神の愛を一心に受け、まったく変異が見られないとガハリエより報告をいただいております」

 教皇は、じっとりとリゼットを観察してから、リゼットの横に立つオードリックへと視線を移した。


「オードリックよ。この娘が聖女ではなかったら、どうなるかはわかっているな」

「はい。存じております」

「魔人狩りともいえるような大規模な魔人裁判を私の許可なく強行したなど、本来なら許されないことだ。聖女が見つかったからこそ不問とされたこと、忘れぬように」

「もちろんでございます」


 この会話に、リゼットは体を震わせた。

 今横にいる穏やかで優しげな微笑ほほえみを浮かべる男が、リゼットの暮らしてきた村に関わる人たちをたくさん処刑した魔人裁判を強行したというのだ。

 よく考えれば、この男は聖サンビタリア保安隊の総隊長という立場で、保安隊としてはもっとも位の高い人物のはずである。カメリア村へ聖サンビタリア保安隊を派遣し村人たちを殺したのもこの男の指示のはずだ。


 突然突きつけられたかたきともいえる人物に、リゼットは何と呼べばいいかわからない感情で胸が支配されていた。

 そんなリゼットの様子にレオナールは気付いたようで、ほんの少しだけ眉を揺らしてから手を握り締めていた。


「して、真の聖女であるならば早速聖域へ案内したいところだが段取りは大事だ。アンジェリク」

 教皇は顎をなで回しながら、椅子に座る女の方へと目を向けた。

「はい」

 アンジェリクと呼ばれた女は、世話係に椅子を引いてもらって立ち上がる。所作が美しく、指先をきれいにそろえた手を体の前に重ねて置いていた。

 彼女はふんわりと波がかった肩より長い髪を揺らしながら、同じようにふんわりとした笑みをリゼットに送る。少し垂れ気味の目が一層穏やかな雰囲気を作りだしていた。年齢はリゼットの母親と同じぐらいだろう。


「わたくしが現聖女のアンジェリクと申します。リゼット様が正式な聖女となれるよう教育係を務めさせていただくこととなりました。以降よろしくお願いいたします」

 うっすらと青い柔らかなスカートを両手でつかみ、足をクロスさせるようにしてアンジェリクはお辞儀をした。


「こちらこそよろしくお願いいたします」

 同じ動作を返したかったが、リゼットは同じようにきれいな所作で行える自信がなかった。背筋を伸ばし手を体の前で重ね、微笑ほほえみを返すことに専念した。

 そんなリゼットにアンジェリクも微笑ほほえみを返してくれる。とても美しい笑みで、リゼットが少しドキっとするほどであった。


「早速ではございますが、リゼット様へ即位式の日程等を説明したいと存じます。別の部屋へ移動いたしましょう。それではサンビタリア教皇様」

 アンジェリクは教皇に視線を移動させ「これにて失礼いたします」と言い切ってから、ゆっくりとした動作で歩きだした。

 教皇は興味なさげに「ああ」と短い返事だけを返した。


 きれいな背筋で流れるように歩くアンジェリクを見て、リゼットは貴婦人とはこのような人を指すのだと感動すると同時に、自分も同じものを求められるのだろうと察して緊張が走った。

 どうにか少しでも同じような所作になるようにと意識しながら後ろをしずしずと付いていく。


 着いた部屋は女性向けの部屋のようで、部屋の装飾としてレースが多用されていた。部屋中央の丸いテーブルには2つの椅子があり、花柄のレースが付いたかわいらしい白のテーブルクロスが乗っていた。


 世話係が引いてくれた椅子へリゼットが座り顔を上げたところで、アンジェリクは口を開いた。

「リゼット様。今後のことを説明いたします」

「はい。よろしくお願いします」


 リゼットがうなずくと、アンジェリクはふわりと微笑ほほえんでから続きを話しはじめた。

「3カ月後にリゼット様の即位式を執り行います。各領地を巡りあいさつすることも即位式の一環となります。その日に向けて、所作や言葉遣い、式の手順などを説明することとなっております」


 3カ月とは長いのか短いのか。その間にアンジェリクと同等以上の所作が求められているのかと考えると、リゼットは逃げだしたい気持ちになった。

「まずは、そのように感情を表に出すのを控えましょう」

「私、そんなに表情に出ていましたか……」


 本人は気付いていなかったが、確かに目を伏せたリゼットからは不安そうな雰囲気が出ていた。

「はい。不安になる気持ちはわたくしにもわかります。ですが、いかなる時も皆を安心させるように微笑ほほえむのが聖女には求められております。常に微笑ほほえみを忘れず前を見ましょう」

「わかりました」


 リゼットは唇の端を上に上げた。硬い笑みだったが、アンジェリクはそこには突っ込まないようで、別の事を指摘する。

「そして一人称ですが、私ではなく、わたくしと言うようになさってください」

「わたくし、ですね」

「普段から言い慣れていないととっさの時に出ないものです。お気を付けください」


 リゼットは、笑顔を作るのを心がけながらうなずいた。アンジェリクは変わらない微笑ほほえみを浮かべている。

「このように、どの点を直せば良いのかを日常生活を通してもお伝えできればと考えております」

「わかりました。わたくし頑張ります」


 早速一人称を変え微笑ほほえんでみせると、アンジェリクは満足そうにゆっくりとした動作でうなずいた。

「はい。リゼット様。わたくしもわかりやすく説明するよう努力いたします」

 そう微笑ほほえみ合う2人の雰囲気は、少なくとも表面上は穏やかなものだった。

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