第20話 歓迎

 草のいたずらで浮いた石畳の上を車は進む。辺りから建物が見えなくなっても石畳だけは続いていく。

「リゼット」

 無言を貫いていたレオナールが、ふいに口を開いた。

「はい」

 舌をかまないように気を付けながら、リゼットは返事をする。


「じきに中央に着く。着いたら、君は聖女だ。君とこのように話すことは二度とないだろう。私は君を目上の人間として扱うことになる」

 自分を守ってくれる人として認識し始めていたレオナールの言葉に、リゼットは驚きの表情を作った。わずかでも、そこに寂しさや悲しさといった感情がリゼットの中では芽生えていた。


「……」

 何も言えず、リゼットは無言でレオナールを見つめた。そんなリゼットにレオナールは問いかける。

「今のうちに、何か聞いておきたいことはないか?」

「……ありません」


 本当は、いろいろ聞きたいことがあるはずだった。聖女とは何をするのかとか、中央に着いた後レオナールはどうするのかとか、疑問は尽きない。けれど、聖女と呼ばれる不安と少しの寂しさに包まれたリゼットは何かを尋ねる気力を失っていた。


 レオナールは、無言でうつむいたリゼットを見て口を開く。

「そう不安に思わずとも、聖女として丁重な扱いを受けるはずだ」

 それは以前聞いたのでリゼットもわかっている。そこに不安があるわけではないのだ。ただ、また1人になってしまうという感覚に囚われて、どうしようもなく寂しく、家族が恋しくなってしまうのだ。


 どんな未来が待っていても聖地に赴き、村に起きた事が何だったのかを知ろうと決意していたにもかかわらずだ。

 自分はどうしてこんなにも弱いのだろうと、リゼットは泣きたい気持ちになった。


「私には君が何に不安に思っているのかがわからない。私にできることはあるか?」

 表情は変わらないレオナールだったが、声色はどことなく優しさが込められているようだった。リゼットは弱々しく笑う。


 1人にしないでくださいなどと、会って数日の他人でしかないレオナールに言っても仕方がないことだとリゼットもわかっている。

「大丈夫です」

 それだけを返した。

「そうか」

 レオナールもそれ以上は追求しなかった。


 乗っている人の感情などお構いなしに車は進んでいく。再び建物が見えはじめ、車が止まるまでリゼットは一言も話せなかった。

 車に乗っているうちに何か話しておけば良かったと後悔しても扉は無慈悲に開く。

 リゼットはゆっくりと車を降りた。


 日は沈みかけていたのだが、それでもたくさんの人間に迎えられた。彼らはレオナールと同じ保安隊の制服を着ており、彫刻のように一定間隔で姿勢良く立っている。物々しい雰囲気だった。

「聖女様。お待ちしておりました。私は聖サンビタリア保安隊の総隊長に任命されております、聖地ジルベールの息子オードリックと申します。以後お見知りおきを」

 リゼットの目の前でひざまずいた男が代表であいさつをした。総隊長ということは白衣の男が、あの男と呼んでいた人物である。

 彼は服越しでも鍛えているとわかるがっしりとした体つきだった。白に近い髪と同じく、白い服を着ている。他の人々と基本のデザインは同じ服だったが、飾りが増えており今いる人々の中ではもっとも偉い人物だというのが自己紹介などなかったとしても一目でわかる。

 オードリックは穏やかな笑顔を作っており、親しみやすそうな雰囲気があった。常に無表情でとっつきにくい印象だったレオナールとは大違いである。


「部屋をご用意しております。ご案内致しますので本日はそちらでお休みください」

 そう告げてから男は立ち上がり、整列する隊員の間を歩いていく。リゼットも、落ち着かない気持ちがしながらも真っすぐ前を向いて付いていく。さらにその後ろをレオナールが歩いた。


 向かう建物は、豪邸と呼ぶのがふさわしい建物である。2階建てでたくさんのアーチ状の窓が光を取り込んでいる。建物の前には噴水があり、迂回して歩く必要があった。入り口前には2人の隊員が立っており、リゼットたちが歩いてくるのを見て、扉を開けてくれた。


 建物の中に入れば吹き抜けのホールが広がっている。

 ホールではこの建物の使用人たちと思われる黒い服に白いエプロンを付けた男女がひさまずいて迎えてくれた。

 オードリックは彼らを一瞥することなく、目の前の広い階段を登っていく。リゼットたちもそれに続いた。

 美しい刺繍ししゅうが施されたカーペットに、複雑な形状をした手すり。どこを見ても、かけられた金額がとてつもないものだと想像でき、リゼットは落ち着かない気持ちで歩いていく。


 階段を上りきり、左に曲がってすぐの扉が目的の部屋のようだった。

「こちらが聖女様のお部屋でございます。以降こちらでお過ごしください」

「……わかりました」


 個室とは思えない広い部屋だった。手が届かないほど高く大きい窓に、3人で寝られるのではと思えるほどのベッド。身だしなみを整えられる鏡のある机。ゆったりと過ごせそうな丸いテーブルと向き合うよう置かれた椅子。どれもが細やかな刺繍ししゅうや装飾が施されている。

 ノーランの家ですら立派で畏れ多かったというのに、それを上回る豪華さだ。リゼットは圧倒され、視線だけで辺りを見渡していた。どのようにしてこの広い空間で過ごせばいいのか、まったく想像がつかない。


「それでは、今後の聖女様の護衛と世話係を紹介させてください」

「はい。お願いします」

 部屋に向けていた視線をオードリックに移してリゼットはうなずいた。それを見たオードリックはにこやかな笑顔を作ると壁際に控えていたレオナールの方を向いた。

 それを合図にして、レオナールとその隣にいたレオナールと同じような背格好の男が近づき、ひさまずいた。


「彼らは、今後聖女様の護衛をいたします、聖サンビタリア保安隊のクレベール隊、隊長と副隊長になります」

 紹介を受け、レオナールが最初に口を開いた。

「改めまして、聖地オードリックの息子レオナールと申します。今後隊長としてリゼット様の護衛を任命されております。今後ともよろしくお願いいたします」

 オードリックという名をつい数刻前に聞いていたためリゼットは少し驚いた。この、にこやかな笑顔を向ける体格のいい男がレオナールの父親らしい。

 引き締まっているものの細身で無表情。そして、淡々とした語り方をするレオナールとまったく似ていない。どこかで養子だと聞いたような記憶がよみがえったが、それにしても同じ家に暮らしていれば多少なりとも雰囲気が似てくるものではないだろうか。

 そして、驚いた点がもうひとつ。レオナールは副隊長だったはずだ。いつの間に隊長になったのかがわからず、リゼットは内心首をかしげた。加えて、今後も護衛としてそばにいてくれるのであれば先に教えてくれればよかったのにと、どこかすねるような気持ちもあった。


「彼は私の息子です。優秀で聖サンビタリア保安隊の隊員の中でもっとも信頼できます」

 自らの息子を褒めて紹介するオードリックは、とてもいい父親のように見えた。リゼットは自然と微笑ほほえんでいた。


「はい。魔人から助けだしてくれたレオナール様は信頼しています。今後もよろしくお願いします」

「リゼット様。レオナールと呼び捨てください」

 思わぬ指摘に、リゼットは息を詰まらせた。

「……はい。レオナール」


 これ以上の言葉は浮かばず、一瞬の沈黙が訪れる。その間を埋めるように、副隊長となる男が口を開いた。

「聖地エルキュールの息子マティスと申します。副隊長としてリゼット様の護衛を精いっぱい務めさせていただきます」

 にっと笑う男は、爽やかな印象を受ける顔立ちをしていた。

「これからよろしくお願いします」

「はい。よろしくお願いします」

 リゼットの言葉に通るきれいな声で返してくれる彼は、誰からも第一印象は良く見られそうな人物だった。実際、リゼットは彼に対して好印象を持った。


 続いて、オードリックは壁際に控えていた女性に視線を送る。それに合わせてレオナールたちは元の位置に戻り、代わりに女性がリゼットの前にひざまずいた。

「彼女は、筆頭世話係となります。日常生活のことはなんでも彼女にお申し付けください」

「私は聖地レイモンの娘ジスレーヌと申します。聖女様が快適な生活を送れますように尽力いたします。どうぞよろしくお願いいたします」

 まなざしが強い女性だった。結い上げているのは、世話係の仕事の邪魔にならないようにするためだろう。


「紹介は以上となります。長い旅路でお疲れでしょう。この後はゆっくりお休みください。食事等の案内はジスレーヌが行います。私は明日11時にお迎えにあがりますので、本日はこれにて失礼いたします」

 右手を前にしてお辞儀をすると、オードリックは部屋を立ち去っていった。それを見届けると、すかさずジスレーヌがリゼットへ話しかける。


「お食事の用意ができております。食堂へご案内いたしますね」

「はい。よろしく願いします」

 ゆったりとした足取りで食堂へと歩きだしたジスレーヌにリゼットは付いていく。

 部屋を出る直前、リゼットはレオナールを見た。レオナールは無表情で立っているだけで笑顔を返してくれるわけでもない。気軽に話しかけることもできず、すぐに視線をジスレーヌの方へと戻した。

 そんなリゼットの様子をレオナールは静かに見ている。離れすぎない距離を保つように変わらぬ表情でリゼットの後ろを付いていった。

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