第19話 検査
「そんなに驚くことなのですか?」
水を飲んだだけの気分でいるリゼットは、不思議に思いながらレオナールに問いかけた。
「ああ。ここ百年近く聖女は出現しなかった。そもそも過去の聖女も本物か怪しいとされてるぐらいだ」
「ただの水を飲んだだけの感じなのですが……」
リゼットは実感がわかず首をかしげた。謎の声は聞こえたものの、それが聖水と関係しているかもわからない。
「そこらの一般人に一口飲ませてから同じ物を飲めば実感もできるだろうが、オススメはしないな」
誰かが魔人になるのを見てから飲めばいいと言っているのだろう。それを想像して、リゼットは慌てて首を振った。
「参考に私が飲める本数は12本だ。これ以上の本数を飲めるのは総隊長や現聖女ぐらいだろう。ダミアンは6本だったはずだ。これも飲めている方だ。聖地以外の人間なら1本目で魔人になる程度の濃さはある」
説明を聞いたリゼットは、ぱちくりと目を瞬かせた。実感はわかないが、何やら最後まで飲み切るのはすごいことだったらしい。
そんな会話をしている間に、白衣の男が戻ってきた。
「準備ができました。付いてきてください」
先ほどまでの言葉遣いと打って変わって丁寧な物言いとなった男に若干の気持ち悪さを覚えながら、リゼットとレオナールは男に付いていく。
2階まで行き、案内された部屋の前でレオナールは「ここで待っている」と立ち止まった。白衣の男も中に入ってくる様子はない。
レオナールと離れることに少し不安があったが、リゼットはうなずいてから中に入っていった。
中に入ってすぐにカーテンがあり、そこを越えると細長い扉の付いた家具がたくさん壁際に並んでいた。あまり広くない部屋で、更衣室のようだった。
「あなたがリゼット様ですね」
髪を1つ縛りにした女性が言う。その隣には肩より上で髪を切りそろえた女性もいた。
「はい」
リゼットはうなずく。
「どの程度変異しているかを確認します。寒いだろうけど、全身脱いでくださいね」
「わかりました」
外で男性2人が待たされることになった理由は、これだったようだ。リゼットは納得して服を脱いでいった。
恥ずかしくはあったが、女性2人の真剣なまなざしに恥ずかしがる方が恥ずかしいような気持ちもしていた。
腕を取られ、じっくりと裏も表も観察される。頭から足の指先まで細かく確認されてからリゼットは解放された。
正直なところ、リゼットは少しくすぐったく感じていたため、服を着て良いという言葉にほっと息をついて元の姿に戻った。
女性2人は顔を見合わせ、目だけで何か通じ合っているようだった。彼女たちの視線がリゼットへと戻ると、髪を1つ縛りにした女性が口を開いた。
「身体検査は以上です」
そう言ってカーテンと扉が開かれた。
「終わったか! どうだった?!」
白衣の男は飛びつくように、髪を1つに縛っている女性に尋ねた。
「何も変異はありませんでした。希釈なし聖水を飲んだというのが事実なら、彼女は聖女で確定です」
「僕が用意したんだ! 間違いない!!」
どうも白衣の男は女性たちからは信用されていないようだった。それに気付いているのかいないのかわからないが、男は興奮のままにリゼットと向き合い、唾が飛んでくるのではという勢いで話しかけてくる。
「まさか、自分が生きている間に聖女様にお会いできるとは! 聖女様にお会いしたら試していただきたい薬があったのです!」
勢いに戸惑うリゼットを庇うようにしてレオナールが間に入ってくる。
「聖女で実験しようとするな。どうせろくなものではないのだろう。却下だ」
「これだから堅物は。実験あってこその発展だぞ」
「堅物で構わない。リゼットの安全が第一だ」
白衣の男とレオナールはにらみ合う。
「昔はおまえももっと素直だったものを。あの男の養子なんぞになるからつまらないやつになるんだ」
「総隊長は関係ない。元の性格だ」
レオナールは淡々としていたが、白衣の男の機嫌が見るからに下がっていくのがわかる。それを見ている女性2人はため息をついて言葉を挟んだ。
「所長、いい加減にしてください。実験したいのならば、ちゃんと手続きを踏んでくださいと、いつも言ってますよね」
丁寧な喋り方だか、責める口調だった。
短髪の女性の気迫に、うぐっと勢いを失った白衣の男は深く深くため息をついた。
「わかった。ちゃんと手続きを取る」
「許可が取れるなら、私は何かを言うつもりはない。さっさと検査結果の書類を用意してくれ」
恨めがましい目をしながら、白衣の男は女性たちと共に奥へと向かっていった。
取り残された2人は1階に戻り、入り口のホールで彼らが戻ってくるのを待った。
「レオナール様……許可が出たら、私は実験されるのですか?」
リゼットは、不安げに目を揺らしながらレオナールを見上げた。レオナールは一瞬だけリゼットを見てから答える。
「許可など出ないから安心するといい。聖女を実験になどと言い出す頭のおかしいやつが他にいてたまるものか」
きっぱりとした返事に、リゼットは胸をなで下ろした。
「良かったです……。本当に実験されそうな勢いで驚きました」
「……縛りなどなかったら本当に実験するような男だからな。そう会う機会もないと思うが、気を付けるのに越したことはない」
レオナールの言葉に、リゼットは顔を引きつらせた。
そのような話をしている間に、書類の作成が終わったらしい。レオナールに頭がおかしいと言われた男が書類を片手にホールへとやってきた。リゼットはレオナールを盾にするようにそっと移動した。
「これで文句はないな」
レオナールは男から雑に渡された書類へ目を通してからうなずいた。
「ああ。不備もなさそうだ。では、リゼット行くぞ」
「待て待て待て」
さっさと立ち去ろうとしたレオナールを男は止めた。正確にはリゼットを止めたかったらしい。リゼットを見てから早口で話しはじめた。
「あなたに飲んでほしい薬はたくさんあります。許可などなくとも本人の意思さえあればいくらでも実験は可能ですから、ぜひ来てくださいね」
今日一番の笑顔を見せてきたが、頭がおかしい男の笑顔を見ても安心などできるわけがない。
「はあ……そうですか……」
リゼットは引き気味な返事を返すだけだったが、男はそんな態度など気にしていないようだった。
こんな男に話す言葉は何もないと言わんばかりに、何も言わずレオナールは出口へ歩いていく。リゼットもそれに付いていった。そんな2人の表情とは裏腹に、妙に笑顔な痩せこけた男が手を振っているという姿は不気味なものだった。
外へ出て不気味な男が見えなくなると、リゼットは深く息を吐く。外の明るさとは真逆にリゼットの心は暗かった。
「疲れました……」
「だろうな。私もあれと話していると頭が痛くなる。それでもこの国一番の研究者だ。天才だから変人なのか、変人だから天才なのかどちらだろうな」
「どっちでもいいですよ……」
もう何も考えたくないと言いたげなリゼットの頭をレオナールは、ぽんぽんとなでるように叩いた。
「さすがに、あれ以上の変人と関わることはもうないから安心しなさい。そもそも、検査員があれになるとは思っていなかった。よほど君を重要視していたのだろうな。変人だが教会からの信用は厚い男だ」
「変人を信用する教会って、大丈夫ですか?」
「……前も言ったと思うが、そういうことはあまり口にするものではない」
前に言われたというのがまったく思い出せなかったが、教会へ不信感があるというような発言は確かに他の者に聞かれるとまずいものだ。
「気を付けます……」
リゼットは素直に反省した。
「お疲れさまでした」
ふいに声をかけられて、ここまで車に乗せてくれた男が今まで待ち続けていてくれたことをリゼットは知った。
「待たせたな。結果は問題なかった。これより予定通り中央へ向かう」
「承知しました」
そう言って男は後部座席の扉を開ける。2人はそこに乗り込んだ。
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