第3章 聖地

第18話 聖地

 リゼットの不安に構うことなく列車は到着する。

 乗客は少なかったようで、数え切れるほどの人数しか降りてこない。

 ただ、少ないながらも人の流れはできており、皆唯一の出口に向かって歩いていた。本来は5箇所の出口があるようだったが閉鎖されており、1箇所のみ空いている。

 その出口にはレオナールと同じ服をした男が立っており、乗客から何らかの用紙を受け取った上で会話をしている様子が見える。そのため、なかなか進まない列が生まれていた。駅の外に出るのには時間がかかりそうである。


「何をしているのでしょうか」

 進まない列にじれたリゼットはレオナールに疑問をぶつけた。

「聖地に入る許可があるかの確認と、検査だな」

「私、許可があるのですか?」

 神の愛子まなごがどうこうというふんわりとした話は聞いた記憶があるが、このような検問で使用する公的な許可書をもらった覚えがリゼットにはなかった。レオナールが平然としているので問題はないのだろうけれども不思議だった。


「魔人裁判を受けただろう。あれの結果を記載した書類がある。加えて私が君の身元を保証する」

「ちゃんとした許可があるわけではないのですね」

「電話越しだが総隊長の許可は得ている。そもそも、この検問は変異しないという証明が取れればいい。何の問題もない」

 そう断言され、リゼットはそれ以上の疑問は浮かんでこなくなった。話す話題もなく、無言のまま2人で順番を待つしかなかった。


 しばらくしてからリゼットとレオナールの番が回ってくる。

「レオナール様。お早いお戻りですね。感謝祭はこれからですよね?」

 男はレオナールを知っている様子で話しかけてきた。

「ああ。聖地入りすることとなったリゼットを護衛するため、特別に任を離れた」

 そう言いながらレオナールは懐の隠しから2枚の書類を差し出す。1枚は花が描かれていたレオナールの身分証明書である。もう1枚が先ほど言っていた魔人裁判の書類なのだろう。男はそれらを受け取ると、上から下へと目線を走らせた。


「はい。問題ありません」

 そう言ってレオナールへ書類を返した。レオナールはそれを受け取ると、再び懐の隠しへとしまい込む。男はそれを見届けてから再び口を開いた。

「それでは、聖水に触れてください」


 差し出されたのは聖水が入ったガラス製の器である。特別模様もなくつるっとしている。レオナールは、それを見てからリゼットを見る。

「リゼット、届くか?」

「背伸びをすれば届きます」

 聖水が置かれている台はリゼットにとっては高かった。背伸びをせずとも台自体には問題なく手を置けるのだが、ガラスをひっくり返さないように手を浸そうとすると背伸びする必要がある。

 背伸びをしたリゼットを見て、レオナールは無言で抱き上げた。


「うわあ!」

 急に脇の間に手を入れられたかと思うと体が持ち上げられ、リゼットは驚きの声を上げた。

「早く触りなさい。後がつかえている」

「は、はい……」

 不安定な体勢が落ち着かないが、リゼットはそっと聖水が入っている器に手を入れた。


「これでいいのですか?」

「ああ。問題ない」

 器から手を出すと同時に地面へと下ろされる。そして、ハンカチを渡された。レオナールの所有物のようである。几帳面きちょうめんな人なのだなと思いながらリゼットは手を拭いた。

 その間にレオナールも聖水に手を付け終わったようだ。リゼットからハンカチを受け取り、そのままレオナール自身の手を拭いていた。


「それではお通りください」

 こうして何事もなく無事通された駅の向こう側。

 緑に飲み込まれた街がそこにはあった。


「わあ……」

 レンガ造りの建物が規則正しく並んでいる。広い道路の左右には通れるように隙間を空けつつも花壇が続いている。その隙間を許さないとばかりに木や花が生えていた。それすらも足りないとツタに覆われた建物も多く見える。緑に支配されていると表現するのが適切だろう。

 それは、人が暮らしているというのが不思議に感じる光景だった。そこを走る車は緑に覆われていないために違和感を覚えるほどである。

 その車の1つにリゼットは案内された。深緑の車体で、屋根と車輪が黒い車だ。屋根と扉の間には何もなく、車が走り出せば風を感じられることだろう。


 待機していたレオナールと同じ服を来た聖サンビタリア保安隊の男は、レオナールとリゼットを視界に捉えると笑顔を見せた。

「お待ちしていました。レオナール様、リゼット様」

 彼はそう言うと後部座席の扉を開いた。

 まさかの様付けにリゼットは動揺しながらも、おとなしく後部座席に乗り込んだ。続いてレオナールも乗り込む。


「それでは、検査場までお送りしますね」

「よろしく頼む」

 そして車が発進した。石畳すらも緑に浸食されており、車は上下に振動する。あまり乗り心地のいいものではないが、文句を言っても仕方がないとリゼットは何も言わなかった。


 誰も何かを発言することはなく、車はガタガタと進んでいく。本当は、車に乗ったらレオナールへ質問をしようとリゼットは思っていた。だが、あまりにも揺すられるために口を開けないでいた。舌をかみそうなのである。

 仕方がないので、リゼットは静かに景色を見る。どこまで進んでも街は緑に浸食されていた。レオナールはきれいだと言っていたが、リゼットには緑の怪物に襲われているようにしか見えず、きれいとは思えなかった。カメリア村ぐらいの自然がほどよく美しい。


 車が止まったのは、何度も繰り返される揺れにリゼットが少し気持ち悪くなってきた頃だった。

 扉が開かれたのにほっとしながら、リゼットは車を降りた。深呼吸をすれば、自然豊かなだけあり、おいしいと感じられるほど澄んだ空気だった。


「行くぞ。リゼット」

「はい」

 レオナールが顎で示す先には大きな建物があった。効率を重視したと言わんばかりに横方向に長い長方形をしている。単調な見た目になっていないのは、他の建物と同じくレンガで作られているためだろう。


「レオナール様。ここで何の検査をするのですか?」

 車を降りて、少し体調が回復してきたリゼットはようやく質問を投げることができた。

「聖水の適正度を測る。これによって聖地のどこまで入れるかがわかる。そして、君がどのような扱いになるかも決まる」

 未来がかかった検査だということを知ったリゼットは、表情を硬くした。


「緊張したところで適性が変わるわけでもないし、君はおそらく適性が高い。そこまで心配しなくても大丈夫だ」

 レオナールはリゼットを安心させようとして話してくれているのだろうが、そうは言われても緊張は簡単にほぐれるようなものではない。

 リゼットは「そうですね……」とだけ返事をした。


 建物の中に入ると、あまり広くないホールがあり、正面のカウンターには男性が1人立っていた。

「リゼット様ですね。右通路を進み、3つ目の部屋にお入りください」

「わかった」

 リゼットの代わりにレオナールが一言だけの返事をし、足を止めることなく右通路を進んでいく。一部屋が広いのだろう。扉と扉の間隔は広かった。少し進んで、レオナールが3つめの扉を開けた。


 部屋は長机が2つ余裕を持って置かれている程度の広さで、廊下での扉の間隔を考えると狭い方の部屋のようだった。壁際には天井まである棚が置かれており、ガラス製の器材などが隙間なくしまわれていたが、それらが何で何に使われる物なのかリゼットにはわからなかった。

 部屋の中にいた白衣の人物は、2人が入ってくるのを目に止めると顔をしかめた。

「本当に、その娘が聖女なのか?」


 上から下へとなめるような視線を受けて、リゼットは体を震わせた。

「何を言っている。聖女かを調べるためにきたんだ」

 レオナールの返事に、痩せこけた白髪混じりの男はため息をつく。


「あの男は聖女である確信を持ってるようだったぞ。あいつは何を考えているのかわからん」

「総隊長には深いお考えがあるのだろう」

 レオナールの言葉に、白衣を着た男はにらみつける。

「深い考え、ね。まあいい。さっさと検査して、さっさと出てけ」


 そう言って、男は1番近い机に近づいた。

「左から順に聖水の濃度が濃くなる。順に飲んで髪の色が変わりはじめたら終了だ」


 机の上には細長いガラス管が15本並んでいた。リゼットは男の説明通り左から手にとって飲んでいく。

 一つ飲んで白衣の男を見れば、紙に何か書き込んでいるようだった。男は顔を上げると、早く次を飲めと言わんばかりに顎でガラス管を示した。


 そうして何本も繰り返し飲んでいくが、やはりリゼットにはただの水を飲んでいるようにしか感じられなかった。何も起きることなく次々と飲み干していく。


 そして、最後の1本となった。

 この頃には尊大な態度をとっていた男も目を丸くして

「これほど神に愛されているとは、まさか……」

 とつぶやきながらリゼットを見つめていた。

 リゼットは、そんな視線を居心地悪く感じながらも最後の管を飲み干していく。


――待っていた。早く……。


 不意にリゼットの頭に声が響いた。さらに水と青い花があるだけの薄暗い景色で視界を上書きされる。それは、村で異変が起きた時と同じ現象だった。男かも女かもわからない不思議な声。現実感のない謎の景色。

 これは何なのだろうかと考えだした頃には聖水を飲み干しており、視界も元に戻っていた。きょろきょろと辺りを見渡すが何もない。無表情のレオナールと、驚きを隠さない白衣の男がいるだけだ。


「ほ、本当に、聖女なのか……ま、待っていなさい。すぐに身体検査を!」

 そう叫んで白衣の男は部屋を出ていった。

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