第17話 聖地へ

 病院の中は同じような部屋がいくつもあった。自分が今どこにいるかよくわからなくなり、何部屋を通り過ぎたのかリゼットの記憶にはない。レオナールが迷いなく歩いていくので、それに付いていくだけである。

 レオナールに置いていかれたら迷子で帰れなくなるかもしれないなどとリゼットが考えていると、レオナールが歩みを止めた。レオナールは部屋の番号を確認してから中に入っていく。


「副隊長にリゼット! 無事だったんですね!」

 体を起こして左手だけでもと鍛えていたダミアンは2人の来訪にすぐ気付いた。喜びの声を上げるダミアンがいたのは、12のベッドが並ぶ大部屋で、入って右側の奥から2番目のベッドだった。


「当然だ」

 ダミアンの横にたどり着いてからレオナールは答えた。

「流石の副隊長も列車から飛び降りれば負傷の1つや2つ作るものかと思っていました」

 レオナールに、ぱっと見の外傷がないことを観察してからダミアンは言った。


「列車から降りるぐらい誰でも無傷だろう」

「動いてない列車ならそうでしょうが……。動いてる列車なら普通は怪我しますって」

「そうか? 私は無傷だったが」

 やはり、レオナールは聖地の人間基準にしても規格外らしい。リゼットは少しだけ安心してからダミアンを見て笑顔を送る。


「ダミアン様がご無事で良かったです!」

「リゼットも無事で良かった。守ってあげられなくて、申し訳なかったと思っているよ」

 うなだれるダミアンに

「鍛錬不足だな」

 とレオナールは無慈悲に告げた。


「ぐうの音も出ないですね……」

「まあ、才能も多分に含まれる話ではあるし、全員生きているのだから責めるつもりはない。ただ、反省はしておけ」

「わかりました」

 神妙な顔でダミアンはうなずいた。


 今にも反省会がはじまりそうな雰囲気である。この空気を断ち切るべく、リゼットはダミアンへ話しかけた。

「ダミアン様は、しばらく入院ですか?」

「しばらくではないかな。数日中に退院する予定だよ」

「あまり大きな怪我ではないのですね。安心しました」

 リゼットは、ほっと胸をなで下ろした。手首を骨折したのは、リゼットを助けようとしてくれたためだったはずだ。そのせいで長期間入院などと聞いたら、リゼットの胸は罪悪感で押しつぶされるところであった。


「看病してあげられればいいのですけど……」

「そう思ってくれるだけで嬉しいよ」

「任務での負傷だ。リゼットが気にすることではない」

 そうは言われても、気になってしまうものだ。リゼットは心配げに、ダミアンの手首に巻かれた包帯を見つめたままだった。


 そんなリゼットを見て、1つだけ深く息を吐いてからレオナールはダミアンへ話しかける。

「私たちは一足先に聖地へ帰る。ダミアンはゆっくりと休息を得てから帰ってくるといい。聖地に戻ってきたら、今まで以上の鍛錬が待っていると思え」

「うへー。わかりました」

 ダミアンが嫌そうにうなずくのを見ると、レオナールは

「では、また」

 とだけ言い残して立ち去ろうとした。


「え、あ、早いですね。もうダミアン様と話すことないのですか?」

 急に帰ろうとする様子に、リゼットは驚きを見せる。

「連絡事項は伝えた」

「こう、もっと互いの無事を喜び合うとか……」


「副隊長と? それは、何というか想像するとおもしろい図だなあ。まず副隊長が喜びを示す姿が想像付かない」

 けらけらとダミアンが笑った。

 リゼットは、なんだかんだ2人は仲が良いのだろうと思っていたのだが、思っていたより距離のある関係なのかもしれない。ダミアンとレオナールを交互に見てうろたえた。


「死ぬような怪我をしているとは思えなかったし、わざわざ喜ぶ理由もないだろう」

 やはりレオナールは淡々と言う。そこに感情は乗っていなかった。

「僕も、副隊長は無事だと確信してましたよ。リゼットのことは心配でしたが、まあ副隊長に任せれば大丈夫だろうとも思ってました」

「ダミアンは私を信用しすぎだ……。やはり、もっと鍛錬を厳しくすべきだな」

 余計なことを言ったと、焦るダミアンの顔に書いてあった。


 その様子に、リゼットはおかしくなって笑った。仲が良いというより信頼があるのかもしれないと、この会話を聞いて思えたのだ。少しだけ安心してレオナールの横に移動する。

 レオナールは移動してきたリゼットを見て言う。

「長居しても他の患者に迷惑だろう」

「そうですね。ダミアン様、また聖地でお会いしましょう」

 レオナールの言葉に素直にうなずくと、別れの言葉を口にした。


「リゼットも、ついでに副隊長も、道中気を付けて」

「ああ」

 それだけを言って、レオナールは軽く手を振ると部屋を出ていく。リゼットも、その横を離れないように付いていった。



 翌日の昼頃、リゼットとレオナールは聖地行きの列車に乗った。大体4時間程度で着く予定である。乗った直後は前回同様外を眺めていたリゼットだったが、さすがに途中で飽きてしまっていた。じっと見ていても、憂うつな気持ちがこみ上げてくるだけで気を紛らわすこともできない。

 ダミアンがいれば自然と会話が生まれていたのだろうが、レオナールが他愛もない話題を振ってくれるはずもない。リゼットは、家族を思い出しそうになる思考を止めるために話題を絞り出した。


「聖地はどのようなところですか?」

「そうだな。美しいところだ。君の住んでいた村も聖地から離れているとは思えないほど草花が美しかったが、それを圧倒的に上回る。緑豊かな土地だ」

「それは楽しみですね」

 正直、リゼットの中での聖地は神のいる聖なる土地ではなく、正体不明の恐ろしい場所となっていた。それが美しい場所だと言われ、印象が少しだけ上方修正された。


「遠目に見る分の美しさは保証しよう」

「……含みのある言い方をしますね」

 近づいたら何かがあると言いたそうである。不安な気持ちになり、リゼットは目を揺らす。レオナールはそんなリゼットを見てから答えを述べた。

「虫が多い」

「あ……なるほど……」

 確かに緑豊かであれば、その分虫も豊かなものである。


「カメリア村も虫が多かったので慣れてるから大丈夫です」

 リゼットは強がりを口にした。慣れてはいるが得意ではなく、できるなら虫に近づきたくはないというのが本音である。今の言葉は、完全に自分に言い聞かせるためのものだった。

「それなら良かった」

 レオナールの言葉に、リゼットは曖昧な笑みを返してから虫とは別の話題を話すことにした。


「他に、聖地には何がありますか? 緑豊かならおいしいものとかいっぱいありそうですね」

「言われてみれば聖地の食事はおいしい。素材がいいのだろう。ドレッシングなど何も付けずともサラダがおいしい」

 何度もうなずくレオナールに、リゼットの食事に対する期待値が上がっていく。

「着いたら色々食べてみたいです」

 今度は素直に笑った。


 そんなリゼットからレオナールは目を離すと外を見た。

「聖地に入ったようだ」

 そう言われて、リゼットも外へと視線を移動させる。

 そこには、秋とは思えない光景が広がっていた。


「季節が変わった!?」

「季節は変わっていない。聖地は常に青々としている。そういうものだ」

「すごいですね……」


 ほんの少し前までは茶色をベースとして赤や黄色が散りばめられているだけの景色だったずだ。それがリゼットの見飽きた風景である。ところが今は緑があふれんばかりとなっている。

 時折見える花々も元気に咲き誇っており、夏に戻ったのだと言われた方が納得できる光景だった。


「街は整えられていてきれいだ。その中でも中央地区はより美しい。君もいずれ見られるだろう」

「そうなんですね……」

 驚きで、身のない返事をリゼットは述べる。


 外に広がる光景は、確かに青々としていて美しい。しかし、季節外れのそれは、リゼットの目には不気味なものに映った。

 知識としては持っていたはずだった。聖地は常に緑に包まれていると、確かにリゼットは学校で学んでいた。しかし、それは実感を伴わないものであったし、季節外れでここまであふれんばかりの緑に覆われているとは思っていなかった。


 そこで思い出す。聖地にいる人たちは魔人と本質は変わらないとレオナールが言っていたことに。

 人とはされなくなった者たちが暮らす、季節外れの美しさを見せる土地。そこに、リゼットも暮らすのである。


 思わずリゼットは、唾を飲み込んだ。

 2人を乗せた列車は一定速度で進んでいく。到着まで、あと少しだった。

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