第16話 少年の叫び

 リゼットが顔を上げたのは怒鳴り声が響き渡ったからである。

「姉ちゃんを帰せ!!」

 声のした方へ自然と顔が向く。リゼットを見守っていた神官や他に祈りをささげていた人たちも同じである。

 そこには、礼拝堂までずかずかと歩いてくるリゼットとほぼ同じような身長のつり目をした少年がいた。


 少年は礼拝堂に入ると、神官に目を付けた。自分より背の高い神官が自分と同じ目線になるまで、神官の胸元を引っ張った。神官は目を白黒させながら、されるがままである。おそらく彼は荒事に慣れていないのだろう。


「姉ちゃんをどこにやった!」

 少年は改めて叫ぶ。神官は顔をしかめながら返事をする。

「わ、わかりません。あなたもあなたの姉が誰かも存じません」

「知らないわけがあるか! 魔人裁判にかけると言って連れていったんだろう!?」

 一層、少年は力を込め、叫んだ。


「そこの神官が何も知らないのは事実だろう」

 いつの間にか来ていたレオナールの淡々とした声が響く。剣を抜いており、少年の首に向けられていた。少年はびくっと体を震わせたが、怒りを収めることはなかった。荒々しく神官から手を離すとレオナールをにらみ付けた。


「じゃあ、おまえは知っているのか?!」

「そこの神官よりは。何が知りたい」

 怒りに顔を赤くする少年と表情を変えないレオナール。外から見ていると、簡単に少年が殺されてしまうのではとヒヤヒヤするものを感じてしまう。


「姉ちゃんの居場所だ!」

「名を述べなさい。君の名も、姉の名も知らないのだから答えようがない」

 淡々とした物言いに、少年はぎりっと歯ぎしりをした。

「……ソフィアだ」

「……ガレオの子ソフィアという名なら見た記憶があるが……彼女には弟などいなかったはずだ。そもそも弟なら君も裁判の対象だろう」

「血のつながりがあるわけじゃない! それでも、俺の姉ちゃんみたいな人だ! それより、姉ちゃんの居場所を答えろ!」


 レオナールは、すぐには答えない。じっと少年を見つめる。少年は、それにイライラして足をカツカツ鳴らしていた。


「……彼女は大聖堂のあるベル・ドゥ・ジューへ護送された後、魔人裁判を受けた。結果は有罪だ」

「そんなわけあるか!」

 少年はレオナールに飛びかかろうと足に力を入れたが、剣が首へ触れたのに気が付き思いとどまったようだった。代わりに、うつむいて歯を食いしばった。手も白くなるほど強く握っている。


「姉ちゃんに罪があるはずない! 優しい人だった!」

 その言葉に、リゼットにも苦々しい思いが広がっていく。自分の父親も母親も兄も姉も祖母も全員優しい人だった。誰も罪などなかった。それでも魔人になり、そして殺されたのだ。


「皆、同じことを言う。だが、魔人裁判の判決が覆されることはない。悪いが、ここで叫んだところで君が姉と慕う彼女が帰ってくることはない。今ならまだ不問にできる。家へ帰りなさい」

「嫌だ! 魔人裁判がなんだっていうんだ! 誰も帰ってこないなんておかしいじゃないか! みんなおかしいって言ってる!」

 なおも叫ぶ少年に、レオナールの剣を持つ手が少し強まった。


「それでも公正な結果だ。魔人裁判で無罪判定となった者もちゃんといる」

「そんなの、聞いたことがない!」

 少年の叫びに答えようとして、リゼットは口を開いたが、視線を落として何も発することなく口を閉じた。


「シモン!」

 にらみ合いを続ける少年とレオナールの間に入り込んだのは叫ぶ女性の声だった。

 礼拝堂に入って早々、顔を真っ青にした女性はレオナールの前に出るとひざまずき、手を握って頭を下げた。祈りのポーズと同じだが、ここでは降伏の意味のポーズだ。

 比較的ふくよかな体型をした女性だったが、青ざめているせいでいくらか痩せて見えた。


「申し訳ございません。愚息が失礼なことを申したのだと思いますが、何卒お許しください」

「母さん! 俺は何も悪いことはっ」

「シモン! 黙りなさい!」

 シモンの母は、シモンに最後までしゃべらせなかった。


 その様子を見ていたレオナールは口を開く。

「教会へ異議を申し立てるのは、子どもだからといって許されることではない」

 無慈悲な言葉に、シモンの母は一層青ざめる。何を言おうかと必死に頭を動かしているのだろう。はくはくと口を動かしていた。ただ、結論は出ないようで、言葉にはなっていなかった。


「だが、今回の件を目撃した者は少ない。子どものしたこととして不問にすることもできる」

 シモンの母の顔色が一気に戻った。

「本当ですか?!」

 安堵に包まれているのだろう。涙目になりながらも笑みがこぼれていた。その様子を見ているシモンは苦々しい表情をしていたが、何も言わなかった。


「嘘を言うつもりはない。だが、2度目はない。2度と同じことはしないと神に誓ってもらおう」

「もちろんでございます」

「母さん!」

 シモンは慌てて母親を止めるが、にらみつけられ押し黙った。


「シモン。もう2度とこのようなことはしないと誓いなさい」

「でも、母さん、みんな言ってて……」

「シモン!」

 母親の叱責に、シモンは顔を伏せる。渦巻く葛藤と戦っているのだろう。目を閉じ、強く強く眉を寄せた。


 その表情を保ったままシモンはゆっくりと膝をつく。

「私、神の僕たるシモンは、2度と教会へ異議を申し立てないと、ここに誓います」


 苦々しい表情ながらに誓うシモンを見たレオナールは、剣を収めると辺りを見渡して声を張った。

「本件は不問とする。皆、今回の件は忘れるように」

 全員がうなずく様子を見てから、レオナールはシモンと向き合う。


「シモン、立ち去りなさい」

「かしこまりました」

 答えたのは母親の方である。シモンは何も言わず歯をかみしめている。そんなシモンを引きずるようにして、母親はシモンの腕をつかむと教会を後にした。


「レオナール様。助かりました」

 騒動が落ち着いたのを見ると、神官は肩の力を抜いてお礼を述べた。よほど焦ったのか、汗をかいていて、それをぬぐりながらである。


「職務だから気にするな。リゼットを見ていてくれて助かった。仕事に戻ると良い」

 神官へ適当にお礼を述べると、レオナールはしゃがみ込んでリゼットを見た。

「顔色が悪い。大丈夫か?」

「大丈夫です」

 本当は大丈夫ではなくても、そう言うしかなかった。あの少年の叫びはリゼットの叫びでもあった。

 家族は優しかった。罪なんてなかった。それでも魔人として殺されたのだ。疑念どころではない。教会に、そして聖地に対して思うのは恐れと恨みだ。それを口にするわけにはいかない。


「大丈夫です」

 リゼットは笑顔を作ってみせると同じ言葉を繰り返した。それは端から見ると泣きそうな表情でしかなかったが、そんなリゼットにかける言葉をレオナールは持ち合わせていないようだった。

「そうか」

 それだけを言うと立ち上がった。


「ならば、病院へ行こう。ダミアンがこの街の病院にいるそうだ。顔を見に行く。翌日には聖地へ向かうつもりだ」

「はい。わかりました」

 リゼットはうなずいた。それを見てレオナールは歩きだした。

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