第14話 手紙

「聖地から流れている川だから、いっぱい魚が釣れるんだ! おまえにも見せてやるよ!」

 誰かの声が聞こえる。

 それが上の兄だったか下の兄だったかをリゼットは忘れてしまった。ただ、その誘いがとても嬉しくて楽しみにしていたのをよく覚えている。

 これは、その時の夢だ。


 上の兄と下の兄は仲が良かった。同性で年が近いのが理由だろう。2人そろって何かをしていることが多かった。

 リゼットが混ざろうと近づけば、大体はあっちへ行けと追い払われていた。姉や母に兄2人が仲間はずれにすると苦情を言うのだが、仕方がないと取り合ってもらえなかったものだ。

 そんな2人に追い払われず、付いていけたことがあった。

 それが釣りだった。


 一生懸命歩いてたどり着いた川は、リゼットにとっては遠い距離だった。兄たちは近い川と言っていたのだが、とてもそうとは思えなかった。

 必死に歩いた分いっぱい魚を釣るのだとリゼットは意気込んだものだったが、釣り糸を垂らして一日中過ごした結果一切魚が釣れなかった。


「前来た時はいっぱい釣れたんだがなあ」

「そうだな……残念だ」

 下の兄が肩を落とすと、上の兄が同意してため息をついた。

 そんな兄たちをみたリゼットは残念な気持ちを抑えて

「今日釣れなかった分は、きっと次に釣れるよ!」

 と明るく言ったのだが、兄2人はあきれた顔をしていた。


「おまえは脳天気だなあ」

 そう言いながら、わしゃわしゃと乱暴にリゼットの頭をかき乱すのは上の兄だ。

「脳天気じゃなくて、前向きって言ってよ!」

「いや、脳天気だな」

 改めて脳天気だと言ったのは、下の兄の方だ。

 2人に脳天気だと言われて、リゼットむうっと膨れた。


 そんなリゼットを兄2人は笑うばかりである。



 翌朝、リゼットが目を覚ましたときには、駅のある街ポワ・ドゥ・ソンターへ送ってもらう算段がすでに整っていた。馬車の移動で到着まで6時間ほどかかり、朝食を食べ次第出発するとのことだった。

 たった1日の滞在だったが、暖かく楽しい時間を過ごしたこの村から離れがたい気持ちがリゼットの中に生まれていた。つい、ここで暮らす未来を想像してしまったほどである。旅立つのが寂しく感じ、リゼットは、ぎゅっと胸周りの服をつかんだ。


 そして、一度軽く息を吐いて気持ちを切り替えると、今度はレオナールが手にしている物が気になった。

「手紙、ですか?」

 ペンとインク、それに紙と便せんをレオナールは抱えていた。

「ああ。せっかくの機会だからな」

 そううなずいて、それらを机に置くと書きはじめる。


 手紙の中身を見ないように、リゼットは朝食の支度をしているアンナの方に近づいた。誰宛なのかがとても気になったが、気にしないようにしながらレタスをちぎる手伝いをした。

 焼いたウインナーとパン、レタスとキュウリのサラダ。加えてコーヒーが用意できた頃にはレオナールは手紙を書き終えていて便せんに手紙をしまっていた。


 手紙をしまう手つきは優しく、うっすらとだが微笑ほほえんでいるようにも見える。大切な人に当てた手紙なのだろうとリゼットは思い、思わず

「恋人宛ですか?」

 と気になる気持ちを抑えきれず尋ねてしまった。


「恋人?」

 どうしてそう聞かれたのか本気でわからなかったようで、レオナールから間の抜けた声が返ってきた。そして「ああ」と納得してうなずくと続ける。

「ダミアンが言ってたからか。あのときも言ったつもりだったが、すでに別れている。恋人宛ではない」


 レオナールがリゼットの質問通りの答えを返したために、リゼットは重ねて質問を投げる。

「じゃあ、誰宛ですか?」

「……」

 レオナールは答えない。視線をさまよわせ

「秘密だ。それと、私が手紙を書いたことは誰にも言わないでほしい。ダミアンにもだ」

 質問への回答を明確に拒否した。

 よほどの秘密なのだろう。これ以上追求するわけにもいかず、リゼットは「わかりました」と言うしかなかった。


「さあ、朝ご飯を食べますよ」

 アンナの言葉に、レオナールはお手紙セットを手早くまとめてガレオに返却した。リゼットはおとなしく椅子に座って皆がそろうのを待つ。そして朝食がはじまった。



 朝食後。予定通りポワ・ドゥ・ソンターへ向かうため、馬車の前に複数人が集まっていた。レオナールにリゼット、アンナ、ガレオ、長老、それと馬車を操縦する人だ。

「レオナールだ。ポワ・ドゥ・ソンターまで頼む」

「僕はドニです。魔獣を倒した英雄を乗せるなんて光栄です」

 ドニは歯を見せるように、にこりと笑った。


「あ、私はリゼットです。よろしくお願いします」

「礼儀正しいお嬢ちゃんだね。こちらこそよろしく」

 リゼットのあいさつには、視線を合わせるようにかがんでから答えてくれた。ドニはいい人のようである。リゼットは街までの道のりが穏やかなものになると思え、安心して笑顔を見せた。


「本来は人を乗せるような馬車ではありませんので、心地良い旅にはならないと思いますが……」

 長老が申し訳なさそうに言う。それに対し、レオナールは首を振った。

「構わない。送ってもらえるだけで嬉しい。とても歩ける距離ではないからな」

「そう言ってもらえると助かります」


 そして、長老はひざまずくと左手を右手で包んで額に当てた。

 それを見て、同じくアンナとガレオ、ドニもひざまずく。

「村を救っていただき大変感謝しております。どうかレオナール様のく末に神の恵みがあらんことを」

 長老の心からの祈りを聞いてから、3人は「神の恵みがあらんことを」と復唱した。


「ありがとう。そなたらにも神の恵みがあらんことを」

 レオナールは祈りのポーズは取らなかったが、祈りを返した。その言葉を聞いて4人は立ち上がる。

 立ち上がったアンナはリゼットに向き合うと

「リゼット、あなたには神の恵みと良き未来がありますように」

 そう笑顔で言葉を贈ってくれた。


「ありがとうございます。アンナさんにも神の恵みと良き未来がありますように」

 リゼットの言葉に、アンナはかがんでからリゼットの頭をなでた。

「自分に子どもができたようで、楽しかったわ。またいつかどこかで会えるといいわね」

「はい! 私も久しぶりに安心できる時間が過ごせました。またお会いしましょう」


 アンナの別れのあいさつに続いて、ガレオがアンナの前に出るとリゼットを見て口を開いた。

「この村に来た直後はろくな歓迎ができず申し訳なかった。無事に回復して良かったよ」

 そして、ガレオはレオナールへと視線を移す。

「誰も犠牲にならず魔獣を倒せたのはレオナール様のおかげです。今回のように皆笑顔で祝杯を挙げられて、本当に……本当に感謝しています」


 ガレオの言葉には重みがある。レオナールはそれを受け止め、手を差し出した。

「ああ。皆が無事で良かった。皆に神の恵みと良き未来がありますように」

「本当にありがとうございました。レオナール様に神の恵みと良き未来がありますように」

 ガレオはレオナールの手を握り返した。


 握手をし終えたところで、レオナールは馬車の後ろに回ると乗り込んだ。そして、リゼットに手を伸ばす。引き上げてくれるつもりなのだろう。リゼットは手を握り返した。ぐっと引っ張られ、筋肉痛と相まって痛みが走ったが無事に馬車に乗り込めた。

 馬車の中は、ほとんど空である。水筒といくつかのパンが入った箱、それと椅子が二つあるだけだった。リゼットとレオナールを送るための最低限の荷物だけが積まれているようだ。


「それでは、お気を付けください」

「ああ」

「ありがとうございました!」


 長老のあいさつに2人がこたえたのを合図として「それでは行きますよ」とドニが馬車を走らせはじめた。

 長老、アンナ、ガレオの3人は手を振る。他の村人も幾人かが家の外に出て手を振ってくれていた。リゼットもそれにこたえて大きく手を振る。


「レオナール様も手を振った方が良いですよ」

 とリゼットは言ったが、レオナールは手を振る気にはならないようだった。手を振る人が見えなくなるまで手を振り返すリゼットを、ただ見ていた。


 人が見えなくなり、手を下ろしたリゼットはレオナールを見ると嬉しそうに話しかけた。

「やっとダミアン様のお見舞いに行けますね!」

「そうだな」

 そして、次の瞬間にはリゼットは目を伏せて悲しそうな表情を見せた。思い出しているのは、ダミアンの曲がった手である。


「元気だといいのですが……」

「すでに治療を受けているはずだ。元気だろう」

「そう、ですね」

 リゼットは、そう言って口角を上げてみせたが、眉が下がっており、元気ない表情のまま椅子に座った。そして、外を眺めながら何ともないはずの自分の手をさすっていた。


 それ以降は、しばらく会話がなかった。

 赤や黄色の葉が舞う代わり映えのない景色の中をゆったりと馬車が進んでいく。列車でははしゃいでいたリゼットも、馬車から見える見慣れたものと大差ない木々をぼんやりと眺めているのみである。気が付けば、馬車に揺られながら、うつらうつらとしていた。

 再び会話が生まれたのは、休憩で馬車を止めていたときだ。


「これを郵便局へ届けてほしい」

「構いませんが……」

 なぜ自分で出さないのかが不思議なのだろう。ドニは首をかしげながら手紙を受け取った。


「手紙を出していることを誰にも知られたくない。この事は誰にも話さないでほしい」

 急いでドニは顔を引き締め、受け取った手紙を持ってきていた鞄へそっとしまい込む。

「わかりました。絶対お届けします」

「頼む」


 他人に託してまで内密に届けたい手紙とは何なのだろうかと、リゼットは朝よりも興味が増した。しかし、誰宛なのか答えてくれないのは朝の受け答えでわかっている。そわそわとドニとのやり取りを見ることしかできなかった。


「リゼットも、誰にも言わないように」

 じっと見ていたリゼットと目を合わせると、レオナールは釘を刺した。

「わかっています」

 内心の好奇心を見透かされたような気持ちがして、リゼットは大袈裟なぐらいにうなずいた。

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