第13話 宴

「リゼット。起きてる? 大丈夫?」

 そう言ってベッドに眠るリゼットへと近づいてきたのは、リゼットを大人にしたような見た目の女性だった。リゼットの母親だ。

 ああ。これは夢なのだ。そうリゼットは理解したが、もしかしたら今までの事の方が夢だったのかもしれないとも思った。


「うん。大丈夫」

 そう弱々しく笑うリゼットを心配げに見る母親のまなざしは暖かいものだった。

「全然大丈夫って顔じゃないわよ」

 リゼットの額に手を当てると、母親は顔をしかめた。

「全然熱下がってないわね。食欲はある?」

「うん。おなかすいた」

「そう。じゃあ、ご飯持ってくるわね」


 そう言って母親は台所へと向かうために部屋を出て行った。

 少しすると、ぐつぐつとお湯が煮立つ音が聞こえてくる。


「リゼットは大丈夫かい?」

「熱は下がってないけど、食欲はあるみたい」

「そう、心配ね」

 母親と祖母の会話が聞こえる。

 心配してくれる優しい言葉に、リゼットの心は暖かくなる。


 さらに少しして、煮たった音が消えると母親が戻ってきた。

「ちゃんと食べるのよ」

 手に持っているお皿に入っているのは、柔らかいパスタとハムだった。

 リゼットは、ふにゃふにゃした食感があまり好きではなかったが、おとなしくそれを口に運んでいく。

 その様子を母親が優しく見守っていた。



 リゼットが目を覚ますと、遠くで会話をする声が聞こえてきた。日は暮れている。

 声のする左側へ顔を向けると、扉は閉まっていた。


「私が残っていますから、レオナール様はうたげに参加してください」

「そういうわけにはいかない」


 レオナールが帰ってきているようだ。リゼットは、やはり母親がいたのは夢だったのかとため息を吐きながら体を起こした。熱っぽい感覚も頭の痛みも消えている。寝起きでぼうっとする以外は回復しているようだった。

 温くなっていたタオルが布団の上に落ちるのも気にせず、リゼットは立ち上がると部屋を出た。


 部屋を出ると、3人の視線がリゼットに集まる。

「おはようございます」

 入り口近くで立って会話していたらしい3人に向かってリゼットはあいさつをした。


「おはよう。体調はどうだ?」

 レオナールはリゼットに近づくと、額に手を当てた。

「熱は下がったようだな」

「はい。もう元気です」

 リゼットが自然な笑みを作ると「そのようだな」とレオナールはうなずいた。


「なら、お二人共宴うたげに参加できそうですね。良かった」

 ガレオが胸をなで下ろした。


うたげですか?」

 なぜうたげなのかがわからず、リゼットはガレオを見ると首をかしげた。

「魔獣を討伐したからな。呪われた者もいなかったからうたげだそうだ」

「レオナール様のお陰ですよ!」

 ガレオは目を輝かせ、リゼットに熱く語る。出会った瞬間の態度とは大違いである。


「我々より大きな熊の魔獣に果敢に向かうあの姿! 獰猛どうもうな爪にもひるまず、それはもう!」

「ガレオ、落ち着きなさい」

 全身で表現しながら、どんどんと語る熱量を上げていくガレオを止めたのはアンナである。声をかけられたガレオは、体をびくっとさせて口を閉じた。

「つい……その、すみません……」

 しょんぼりとうなだれるガレオは、ずいぶんと感情表現が素直な人間のようだった。

「構わない。褒められるのは嬉しいものだ」

 そううなずくレオナールを見て、ガレオはほっとした表情を見せた。


 そんな様子を見て小さく笑っていたリゼットを、アンナがのぞき込んだ。

「無理はしてないわね?」

「はい! 元気です!」

 とびっきりの笑顔で返すと、アンナは微笑ほほえむ。

「なら、行きましょうか」

「はい!」


 そう言ってアンナが扉を開けると、にぎやかな音が聞こえてきた。たくさんの人が外で会話し活動しているのだと、それだけでわかるような音だ。日が沈んで暗くなっているとは思えない程である。

 この家へ来たときと同じ道を4人で歩いていくと、音は徐々に大きくなっていく。


 角を曲がると集会所のある広場が見えた。

 広場には、たくさんの人があふれ返っている。広場の中央には火がたかれ、ぬくもりを感じる光源となっていた。

 いくつも置かれている机の上には肉と野菜をワインで煮た物や、ハムが盛り付けられたサラダやウインナーを焼いただけの物など、さまざまな料理が乗っている。

 それを囲うようにして地べたや切り株のような椅子に座って皆談笑していた。彼らは機嫌良くビールを飲んだり、机に置かれた料理を食べたりしている。

 食べ物はまだ増えるようで、トレーに乗せて運んでいる女性も見えた。


「レオナール様」

 広場に入ると、長老が話しかけてきた。

うたげに来ていただけて喜ばしい限りです。どうぞ、あちらの椅子にお座りください」

 そう言って案内されたのは、集会所の出入り口の対面にある背もたれのある椅子だった。その前に置かれた机は、他の机よりも手の込んだ料理や、さまざまなフルーツが置かれていた。


 案内されるままにリゼットとレオナールは背もたれのある椅子に座り、アンナとガレオは近くの簡素な椅子に座った。

 長老も近くに座るとレオナールに話しかける。

「どうぞ、ご自由にお食べください」

「ああ。いただこう」

 レオナールはそう言ってから祈りのポーズをとり「神の恵みに感謝を」と口にした。リゼットもまったく同じ動きをして、それからフォークを手にした。


 リゼットが最初に口へ運んだのはウインナーである。今まで肉系の食べ物は兄に奪われがちで、食べるときは奪われないように急いで食べることが多かった。ゆっくり味わうのだと丁寧に口へ運び、ウインナーに歯を立てた。

 ぷちっとした感触と、じゅわっと口内いっぱいに広がる肉汁。あまりのおいしさに、リゼットは頬に手を当てて笑顔を作っていた。


 ゆっくりと味わいながら食べるリゼットとは対極に、レオナールは黙々と飲むようにして食事を進める。サラダにハンバーグ、カボチャスープと口にしていき、あっという間に手を止めた。

 食べ終わり広場の様子を見ているレオナールに気付いた長老は椅子を近づけ口を開いた。

「お食事にはご満足いただけましたか?」

「大変おいしかった。感謝する」


 長老はレオナールの言葉にほっとした様子を見せてから、眉を下げた。

「来訪のおりには快い態度を取らず、申し訳ありませんでした。そのような我らを助けていただき、本当に感謝しております」

 謝罪と謝礼に、レオナールは首を振った。

「魔人裁判の件で不信感を抱くのは自然なことだ。魔獣を倒したのも職務で義務だ。これこそが聖サンビタリア保安隊の意義なのだから、そこまでかしこまらないでほしい」

 レオナールの変わらぬ表情は、本心から言っているのだと思わせるものだった。


「いえ、義務だからとかは関係ございません。今日この日にレオナール様がいらっしゃらなければ村の勇敢な男が最低1人は死んでいたのですから。感謝してもしきれません」

「そうですよ!」

 大きな声を上げて立ち上がると、ガレオが会話に割り込んできた。

「魔獣を倒し呪いの水を浴びても涼しげなお姿! まさに! 神のご加護です!」

 感謝の話と微妙にズレた発言である。顔も赤くなっている彼は酔っているのだろうとリゼットは思った。


 黙りなさいと言わんばかりにアンナがガレオを叩く。

 瞬時に椅子へ座る姿が犬のようで、リゼットは面白くなって笑ってしまった。

 長老はごほんと咳払いをして、その空気を切った。


「誰1人として魔獣に傷つけられることがなかったのも、レオナール様に魔獣を倒していただいたおかげです」

「そうです! そうなんですよ! レオナール様はもっと自信を持ってください! 俺の! 俺の……とどめを刺した父は魔人になる前にと殺されましたから……全員が無事なのは、奇跡なんです……」


 元気いっぱいだったガレオの声が小さくなっていく。アンナは慰めるようにガレオの背中をなでた。その様子を見てリゼットは目を伏せる。

 なんて救いようのない話なのだろうか。

 魔獣が硬く、目にしか攻撃が通らないためにどうしてもとどめを刺すのは至近距離になる。至近距離にいれば魔獣が死んだ際の呪いの水を浴びてしまうのだろう。だから、呪いの水を浴びた者が完全な魔人となる前に殺したのだ。


 父親が魔人に変異していく瞬間の姿。あの時の驚愕きょうがくと絶望。この気持ちをガレオやガレオの父親を殺した人も知っているのかもしれない。

 リゼットは、胸周りの服をぎゅっとつかんだ。


「すまない……。そういうことだったのだな。わかった。感謝を素直に受け取ろう。皆が無事で良かった」

 その言葉に、ガレオは泣きそうな表情で笑った。


「ところで、以前も魔獣が出たとのことだが、この辺りは魔獣が多いのか? 見張りを立てていたのも魔獣が多いためだろうか」

「特別多いわけではありませんよ」

 答えたのはアンナである。彼女は続ける。

「7年前にガレオの父親が倒した魔獣以来です。見張りを立てていたのは魔人が近くに出没したと聞いていたので警戒していたのですよ」

「なるほど」


「魔人に襲われて列車に置いてかれた時は絶望的だったけど、レオナール様がこの村を救うためだったと思えば、魔人に襲われたのも幸運でしたね」

 リゼットはフォークを置くと、レオナールを見てにっこりと笑った。

「君は物事を良い方向に捉えるのが上手だな」


「能天気と言われたりもしますよ」

 兄にそう言われたことを思い出して、リゼットは少しすね気味に言う。

「前向きな考え方は良いことだ」

 そううなずきながら言ってくれるレオナールは、パパみたいに優しい人だとリゼットは嬉しくなった。


 そんな会話をしていると、ポコポコと音がしてきた。リゼットとレオナールが前を向くと、いつの間にか太鼓を抱えた人や笛をくわえた人が数人いた。

 彼らによって軽快な音楽が紡ぎ出されていくのに合わせるようにして、机が広場からよけられていく。最終的に広場にはリゼットたちの前にある机と中央の焚き火だけになった。

 そして、2人1組になって踊り出す人たちが出はじめる。音楽と同じく軽快なステップで互いの腕を組んでくるくると回る。


「お二人も、よければ踊ってください」

 そう言い残して、アンナとガレオも踊る人々の中に紛れていった。

 踊っている人も踊っていない人も楽しそうに音楽に乗っている。


「リゼット。踊りたいならば行くと良い」

 レオナールは、椅子の上でリズムに合わせて体を揺らすリゼットに提案した。しかし、リゼットは顔を振る。

「筋肉痛がひどすぎて、そんな気力ありません」

「確かにそうか。正直なところ、私も体が痛い」

 レオナールは強くうなずいた。


 2人揃って筋肉痛だと会話しているところに、長老が話しかける。

「それでは、お二人共ゆっくりお過ごしください。何かありましたら、お気軽にお声がけください」

 そう言い残して長老は離れていった。


 代わりに、村の若い娘が近づいてくる。一緒に踊りましょうとレオナールを誘っているが、リゼットのそばを離れるわけにはいかないと断っていた。

 他にも感謝を告げたり踊りを誘ったりを目的にした村人たちが近づいてくる。1人踊りの輪に戻れば、別の1人が抜けて話しかけてくる。入れ替わりの人数が複数人のときもあった。それを何度も繰り返しているうちに気が付けば誰も来なくなり、リゼットとレオナールの2人だけになっていた。


 レオナールはリゼットを見る。

「もしかして、眠たいのか?」

「はい。昼間いっぱい寝たのに不思議です」

 リゼットの瞬きは、ゆったりとした動きになっていた。

「それだけ疲れがたまっているのだろう。無理をするな」

 そう言ってから、レオナールは辺りに視線をさまよわせる。


 その視線にアンナが気が付いた。ガレオと共に向かってくる。

「どうしました?」

 アンナの尋ねにレオナールが答える。

「リゼットが眠そうだ。寝かせてあげたい」

「そうですね。そろそろお開きの時間ですし、行きましょうか」


 それを聞いて、リゼットはゆっくりうなずくと立ち上がった。続いてレオナールも立ち上がる。

 4人は、にぎやかな会場を背に、アンナとガレオの家へ向かって歩いていった。

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