第12話 ブルエ村

 しばらく歩き続け、リゼットはへとへとだった。喉も乾ききり、おなかもすきすぎてどうにかなりそうである。頭痛もしてきている程だった。

「神の愛子まなごは身体能力がすごいって本当ですか……?」

 レオナールに疑いの視線を投げるのも仕方がないだろう。


「君も私の動きを見てただろう。反動はあるが本当だ。ただ、痛いものは痛いし、疲れるものは疲れる。今の私は、大量の水を飲み干し、肉にかぶりつき、そして寝台に飛び込みたいぐらいだ」

 レオナールの顔を見ても、はじめて出会ったときの表情との違いは見られない。痛そうにも疲れているようにも見えなかった。ただ、見えないだけでレオナールも疲れているのだと知り、リゼットは少しだけ親しみを感じた。


「もっと疲れてる顔をしてもいいと思いますよ」

「そのような顔をして疲れが取れるなら、やっても構わない」

 表情を変えることこそが疲れるのだと言わんばかりの発言に、レオナールは変わっているなとリゼットは思った。


 さらに歩いて会話をする気力も失っていた頃、村が見えた。太陽はもっとも高い位置を過ぎて傾いていた。

「村ですよ!」

「ああ見えている」

 村が見えた喜びに、2人は久しぶりに声を出した。

 その時。


「何者だ!」

 声が響いた。

 村を囲う木の柵を越える高さの物見やぐら。そこから猟銃を向ける男の声だったようだ。銃を見てリゼットは身を硬くしたが、レオナールは平然としたまま両手を上げた。


「聖サンビタリア保安隊オードリックの子レオナールだ! 村で休息を取らせてほしい!」

「聖サンビタリア保安隊……?」

「この子だけでも入れてくれないか!」


 そう言われ、男はリゼットを見た。

「……わかった。少し待ってくれ」

 銃を下ろすと、物見やぐらを飛び降りどこかへ消えた。

 それを見てから、レオナールは少し咳き込んだ。


「大丈夫でしょうか……?」

「大丈夫だ。最低でも君は入れるだろう。しかし……」

 唇と顎に指先を当ててから続ける。

「私を警戒するとは、魔人裁判のうわさがここまで来ているということだな」

 しわついた唇をなで、思案するように視線を下げた。


「確かに普通なら、聖地の人が来たってなったら歓迎ですよね。うたげがはじまってもおかしくないです」

「そのような歓迎をされることはないが……警戒されたのははじめてだ」

 2人がそう話していると、村を閉ざしていた門が開いた。


「お二人とも歓迎いたします」

 髪が白く、顔や手にたくさんのしわを作っている男がしわがれた声で言った。この村の長老ではないかと思われるこの男は穏やかな笑みを浮かべていた。

 ただ、一緒に立っているもう1人の顔は険しかった。最初に会話した男とは別の男だが、猟銃を持っている。肩幅があるがっしりとした体つきをしているのもあり、リゼットは男に対して怖いという印象を受けた。


 彼らから警戒されているのは明確だったが

「助かる」

 感謝の意を示し2人は門をくぐった。長老に案内されるまま村の中へ歩いていく2人の後ろを、猟銃を持った男が付いてくる。

 レオナールは男をちらりとだけ見て、すぐに長老へと視線を戻した。一方リゼットは顔を動かす余裕もなかったため、黙々と歩いていた。


 門の中では、丸みの帯びたクリーム色の建物たちが思い思いの方向を向いていた。秋とはいえ、カメリア村と比べると植物が少なく、茶色い空間に時折枯れかかった緑色が見えるといった程度であった。


「こちらにどうぞ」

 そう言われて通されたのは、村の中では大きい建物だった。集会所なのだろう、広場に面している。広場には誰もいない。もしかするとレオナールとリゼットが来るからと皆を家に帰らせたのかもしれない。

 2人は猟銃の男ににらまれながら、建物の中に入っていった。


 中は広い。30人ぐらいは入れるだろう。大きなテーブルが2つ置かれており、その周りを円柱状の飾り気のない椅子が囲っていた。


「お食事をお持ちしますので、こちらでお待ちください」

 そう言って長老は立ち去り、猟銃を持った男と2人だけが広い空間に残された。2人はその広い空間の左端を陣取ることにした。リゼットは椅子に座ると大きく息を吐き、さらに軽く咳をする。

「何か飲みたいです……」

 レオナールは大きくうなずき、後ろに立つ男を見た。


「水をもらえないだろうか」

「……長老が戻られるのをお待ちください」

「朝から歩き続けている。リゼットにだけでも飲ませたい」

 男はリゼットを見て、目を見開いてから顔をしかめた。


「わかりました。今すぐ持ってきます」

 男は駆けて外に出ていった。

 その様子を見てから、レオナールはゆっくりとリゼットを見た。


「リゼット、随分顔色が悪くなっているな。体調はどうだ?」

「頭がぐわんぐわんしてます」

「それは良くないな」

 そう言ってレオナールはリゼットの額に手を当てた。

「熱いな……」


 手を離してから「すまない」とレオナールは謝罪した。

「随分と君に無理させてしまったようだ。もっと休憩を挟むべきだった」

 リゼットは首を振ろうとしたが、頭がずきっと痛んだために途中でやめた。なるべく動かないように慎重になりながら口を開く。

「ゆっくりしたところで飲み物もなかったですし、大丈夫です」


 笑う余裕もなくなっているリゼットをレオナールが何も言わずに見ていたとき、男がコップを持って帰ってきた。一緒に髪を結った女性も入ってくる。女は、きれいな顔立ちとつり目のせいできつい印象があった。


「ミント水だ。飲めるか?」

「はい」

 男の大きな手から渡された水をリゼットは口に流し込む。瞬間、咳き込んだ。

 その様子に、村の2人はうろたえた。


「思っていたよりリゼットの体調は悪いようだ。体温も高かった。ベッドで休ませられないだろうか」

 レオナールの言葉に女がうなずく。

「もちろんです。私の家に来てください」

 そして、男を見てから続ける。

「抱き抱えて連れてきて。歩かせないで」

「わ、わかった」

 そう言って男がリゼットに近づいたが、その前にレオナールがリゼットを横向きに抱き上げた。


「私が運ぶ」

「では、こちらへ」

 3人は歩き出す。リゼットは少し気恥ずかしいという思いがあったが、それよりも体のつらさが勝った。力を抜いてレオナールにもたれかかり、目をつむった。


「ガレオ。水をくんできて」

 女は歩きながら男に指示を出した。

「わかった」

 そううなずいて、男は駆けだしていった。


 残ったレオナールと女は道を右へ左へと曲がり、家の横に花壇が設けられている家に入った。

 中に入ると、女は左奥にある扉を開けた。その部屋は、ベッドと小さな棚があるだけでこぢんまりとしている。

 レオナールは何かを言われる前にリゼットをベッドに寝かせた。


「ありがとうございます」

 かすれた声のリゼットにレオナールは首を振る。

「私の責任だ。君は訓練した隊員ではないのだから、もっと考えるべきだった」

「魔人に襲われたせいですし、レオナール様のせいではないですよ」

 リゼットは笑うが、とても弱々しいものだった。


「あまりしゃべらせるものではないですよ」

 そう言って入ってきた女は、濡らした布を持っていた。それをリゼットの額にそっと乗せた。

 いつの間にか水をくみ終わって家に入ってきていたらしい男ガレオも、心配そうに部屋をのぞいている。


「気兼ねなく休んでね。ご飯ができたら持ってくるわ。ミント水はゆっくり飲むのよ」

 そう言って、女はミント水を差し出した。

「ありがとうございます。えっと……お名前は……?」

「アンナよ」

「はい。アンナさん。私はリゼットです」

「そう。リゼット。安静にしているのよ」

「わかりました」


 そうして、リゼットはゆっくりと喉にミント水を染み渡らせた。その様子を見届けてから、アンナは部屋を出ていった。そして、トントンと包丁の音を響かせはじめる。懐かしさと安心感がある音だ。リゼットはコップをレオナールに渡すと、横になって目をつむった。疲れもあったからだろう。母親の作る食事を思い出して、少しだけ目尻を濡らしていた。


「申し訳なかった……。真っ先に体調を気にかけてあげるべきでした……」

 ガレオがこぼすように謝罪を述べた。今にも泣きだしそうな表情を見て、レオナールは首を振る。


「構わない。むしろ、こうしてベッドを貸してもらえて感謝している」

「しかし……常時であればもっと早くに対応してあげられていました」

「やはり、魔人裁判の件で警戒したのか?」

「はい……」


 レオナールは一つ息を吐いた。

「そうか。いや、そう落ち込まないでほしい。責めるつもりもない。君たちには感謝しかない」

「はい……ありがとうございます」

 それでも落ち込んだ声色のままであった。


「ガレオ。いい加減にしなさい。そうやって落ち込まれても迷惑なだけよ」

 そう言いながらアンナはトレーを手にして帰ってきた。トレーの上には水差しに入ったミント水と2つのコップ、そしてチキンスープが2つ乗っていた。


「二人共、どうぞ」

 そう言うと、ベッドとほぼ同じ高さの小さな棚の上にトレーを置いた。


「ありがとうございます」

「感謝する」

 2人のお礼を聞きながら、アンナはスープとスプーンを手に取り、リゼットに差し出した。

「布団の上で食べて構わないわ」

「はい」

 リゼットは素直に受け取ると、早速スープを口に運んだ。暖かさを胃の辺りまで感じ、疲労が溶けていくような心地がした。しょっぱすぎない程度の塩加減で鶏の味がよくわかる。にんじんは少し硬かったが甘みを感じておいしい。ゆっくりと味わうように、リゼットは一口一口丁寧に飲んでいった。


 一方、レオナールの食事は一瞬だった。鶏肉や野菜すらも飲むのと変わらない速度で流し込んでいく。

「レオナール様、食べるの早いですね……」

 リゼットがそう言っている間にレオナールは完食した。


「習慣だ。何があってもすぐ対応できるように食事の時間は短いに越したことはない」

「健康には良くないですよ」

 少しあきれた気持ちになりながらも、リゼットは再びスプーンを口に運んだ。


 その時、半鐘が鳴った。

「何事だ?」

 家にいた全員が家の出入り口を見た。レオナールは立ち上がる。


「見てきます」

 そう言ったのはガレオだ。彼は扉に向かって歩き出す。

「私も一緒に行こう」

 レオナールも扉に向かっていく。そして、2人は家を出ていった。

 食事の手を止めてその様子を見ていたリゼットの瞳は不安で揺れていた。

 そんなリゼットの頭を、アンナはそっとなでる。


「大丈夫よ。何かあったら呼ぶから、あなたは寝ていなさい」

「はい……」

 こんな不安な気持ちでは寝られないとリゼットは思ったが、たまった疲労はリゼットを眠りへといざなう。

 食事を終えて目をつむったリゼットからは、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。

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