第11話 呪いと祝福

「規模は違うが、私も君の境遇と大差はない。よって、詳しいことは何も知らない。ただ、聖地で過ごしてわかったことはある。祝福も呪いも本質は同じだ。神の愛子まなごと魔人もそうだ。同じものを都合良く呼び変えてるにすぎない」

「それは……つまり……」

 リゼットはレオナールの言葉の意味を必死に考えようとした。そんなリゼットを見ながら、レオナールはおもむろに腕をめくった。そこにあったのは黒く変質した魔人と同じ肌だった。


「っ!」

 リゼットは目を見開く。その反応に不快感を示すことなく、無表情でレオナールは語っていく。

「わかっただろう。これが聖地の、教会の秘密だ。神の愛子まなごとは正気を保っているだけの魔人ということだ。知られれば迫害される側の化け物でしかない。大聖堂でダミアンが説明しようとしたときは正直焦った。万が一でも一般人に聞かれたらまずいというのに。ただ、君は……」


 そこまで言ってからレオナールは指先を顎と唇に当てて思案した。

「君は、変異した箇所はないのか? 大なり小なり聖水に触れた者は変異するものなのだが……髪が変異していないのは珍しい。私も元は君と同じような髪色だった」

「変異、ですか」

 レオナールの灰色の髪を見ながらリゼットは少し考えてみるが、あの日以降で筋肉痛以外に体の変化を感じた記憶はない。

「してないです。背中は見えないですけど、触った感じは普通ですよ」

 そう言ってリゼットは自身の背中を触ってみせた。


「少し触らせてもらってもいいだろうか」

「いいですよ」

 許可をもらったレオナールは、リゼットの体を押すようにして、背中、おなか、腕、足と触った。リゼットはくすぐったく感じていたが、どうにか我慢していた。それでも顔は少し笑っている。


「やはり、変異していないのか」

 レオナールの手が離れて、リゼットは、ほっと息を吐いた。

「やはりなんですか?」

「聖水を水のようだと称していたと聞いていたからな。死にたくなるような苦痛を与えるあの聖水を、薄めたとはいえ水と変わらないと言える者は聖女だけだろうと思っていた」

 聖水がそんな恐ろしい物だとは思っておらず信じられないと目をぱちくりと瞬かせた。レオナールが暗にリゼットは聖女なのだろうと言っていることにも驚いている。


「聖水はそんなに怖い物だったのですか!? 善なる者が飲めば万病も治るようなものじゃなかったのですか!? それに、聖女って……」

「呼び方など、ただの記号だ。聖水を飲んでも変異しない者をそう呼ぶ。本質は魔人とも神の愛子まなごとも変わらないのにな」

 レオナールは、小さく皮肉めいた笑みを浮かべた。

「あと、万病に効くというのもあながち嘘ではない。神の愛子まなごが適切な量を飲めば回復するのは事実だ。痛みも生じるがな」

 

 一度ため息をつき、レオナールは空を見る。そして、再びリゼットに視線を戻して続きを語る。

「おそらく、君は聖地に着くと検査を受けてから聖女候補として遇されることになるのだろう。悪い扱いにはならないと思うが、間違いなく利用はされる」


 利用されるという言葉にリゼットは体を震わせた。

 ここまでのレオナールの話や村に起きた事は今まで信じてきた聖書に対して疑念を抱かせるものだった。


――神の力が宿る聖水は大地に恵みを与え、善なる者に力を与える。そして、神に見捨てられし罪ある者の正体を暴くだろう。罪ある者は人ではない。神にあだなす魔人である。


 完全なる嘘ではないが真実でもなかった。魔人の呪われた水も恵みを与えていたし、聖水に触れる者は例外なく魔人になるとレオナールは言っているようだった。

 聖なる場所だと信じてきた聖地がおどろおどろしく、正体がわからない不気味な存在でしかなくなっていた。そこに向かい、聖女と呼ばれるようになり、利用されるというのだ。恐怖しない理由などなかった。


 リゼットの恐怖心など知らないレオナールは続ける。

「あと、これだけは覚えていてほしい。聖地に着いたら誰も信じるな。耳当たりの良い言葉こそ疑え。私のこともだ」

「レオナール様もですか?」

 助けてくれたレオナールを疑う理由がリゼットには浮かばなかった。首をかしげて釈然としていないそぶりを見せる。


「私は命じられればなんだってする。変異した体では聖地以外で生きられないからだ」

 そう断言されて、リゼットは何も言えなかった。

 ここまでいろいろ話をしてくれて、保安隊の人間であっても頼れる人だと思いかけていたレオナールに暗闇で置いてきぼりにされたようで、不安になった。


「君を助けたのも忠誠を示すためでしかない。本当なら君を聖地に連れていかず逃がすべきだ。今なら魔人に殺されたと思われて聖地の手から逃れるかもしれない。そうか。そうだな」

 レオナールは良いことを思いついたとでも言わんばかりにうなずき

「君は私を殺して逃げるべきだ」

 平然と言い放った。その態度に、リゼットは信じられないと目を見開いた。


「何を、言っているのですか」

 返事ができたことを褒めてほしいとリゼットは思った。

「自殺する気はないが、君に殺されるなら受け入れても構わない。君には権利がある」

 レオナールの突拍子もない言葉にリゼットは何も答えられない。

 レオナールは保安隊の人間で、家族を殺した人である可能性が高いのはリゼットもわかっている。それでもだ。ダミアンもレオナールも身をていして魔人からリゼットを守ってくれたという事実は揺るがないのだ。どうあがいたって、殺すことが可能だったとしたって、リゼットには殺すなどという選択肢を選ぶことは、もうできなかった。


「できないか」

「できるわけないじゃないですか!」


 リゼットの叫びに、レオナールは視線を一度下げ、再び上げた。

「変なことを言ってすまなかった。しかし、本心だ。だが、そうだな。一緒に聖地へ向かおう。聖地までの安全は保証する」

 聖地に着いてからの安全は保証できないと言われたような気がして、リゼットは一層不安に心を締め付けられた。


 殺す殺さないを置いておくにしても、聖地に行かず逃げた方がいいのではという考えはリゼットの中にももちろんあった。ノーランの家で名乗り出たときも、名乗らず逃げた方がいいのではという考えが頭をよぎった瞬間があった。それでもそれを選択しなかったのは、逃げたところで働き先もなく生き延びることなどできないと思ったからだ。そして何よりの理由が一つだけあった。

 それを思い出して、リゼットは深呼吸すると真っすぐにレオナールを見つめて口を開いた。


「レオナール様。私は不安で怖くてたまらないです。でも、レオナール様を殺さずに逃げられるとしても、私は聖地に行きます」

「それは、なぜだ?」

 当然の質問に、リゼットは答える。

「真実を知りたいからです。だから私はノーラン様の家で名乗り出たのです。聖地の人間に近づけば真実にも近づけると、なぜ私の家族が魔人にならないといけなかったのか知ることができるのではと思ったのです」


「君は、強いのだな」

 一度言葉を切ってから、リゼットと同じぐらい強い目を作るとレオナールは続けた。

「だが、その真実ならすでに知っているのではないか? 君の村からは聖水が噴き出した。そこに人為的なものはなく、災害と呼べるものだった」

「はい。それは本当にそうなのだろうと思っています。あれだけの水を人為的にどうこうできるとは思えません。私が知りたいのは、聖水の正体です。どうして魔人になるのか。どうして私の体には変異がなかったのか。それを知りたいのです。そして、なぜ大規模な魔人裁判が行われたのかも」


 リゼットの言葉にレオナールは目を細める。強い風が吹き、リゼットとレオナールの髪を揺らした。

「それを知って、君はどうする?」

「……どうもしません」

 リゼットはうつむいた。

「もう、私には何も残ってません。家族も、友達も、帰る家も、あるはずだった未来も……全部、全部なくなりました。そんなのを、それを……受け入れるだけの情報を、知れれば、私はっ」


 ぽたぽたと地面に吸い込まれていく涙にレオナールは気が付いた。すぐにひざまずき、リゼットの顔をのぞき込むと頬に手を触れた。

「できる限りは協力しよう。私にできることは少ないが、君よりは情報を得やすい位置にいる。そして、君が新しい帰る場所を見つけられるよう尽力しよう」

「……でも、信用してはっ、いけないの、ですよね?」

「そうだな。誰に対してでも完全に信用するのは危険だ。多方面から情報を集めて真実を探るべきだろう。私のことは情報源の一つぐらいに思いなさい」

「わかり、ました……」


 本当は、わかってはいない。

 命を助けてくれた人を、泣いている自分を慰めるように頬からぬくもりを与えてくれるこの人を、どう疑えばいいのかリゼットにはわからない。信用するなと言いながら、さまざまな忠告をしてくれるレオナールがとても誠実な人に思えて仕方がなかった。かたきかもしれないと思っていても、どうしても信用してしまう。


 ぐちゃぐちゃになる感情を消化できず、リゼットはレオナールの手首をつかみ泣き続けた。レオナールは、一切表情を変えぬままリゼットが泣きやむのを待っていた。


 どれほど泣いていたのだろうか。

「もう、大丈夫です」

 リゼットは泣きやむと、そう言いながら真っ赤になった目でレオナールを見た。

 それを聞いたレオナールは、そっと頬から手を離すと立ち上がった。


「そうか。無理はするなと言いたいが、早く村に着かないと危険だからな」

「はい。行きましょう」

 リゼットは涙を裾で拭うと、レオナールと共にレオナールが見たという村に向かって歩きだした。

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