第10話 魔人と祈り

 レオナールは魔人が窓を越えたのを見ると、即座に連結部の隙間から飛び降りた。ためらいは一切ない。両足で着地し、その勢いのまま走りはじめる。

 人間とは思えないようなスピードで跳ねるように木々の隙間を駆けていく。リゼットを抱える魔人を視界に捉えたまま走り、魔人の真下まで追い付いた。

 そして、右足で地面を蹴り上げ、木の上へ左足を置いた。その左足で枝が折れるほど力を入れ、さらに跳躍した。


 すさまじい跳躍で、空を飛ぶ魔人にまで届く程だった。

 レオナールは魔人の肩をつかんだ。この衝撃で、魔人の体が揺れる。

「きゃあっ!」

 リゼットが悲鳴を上げたが、レオナールはためらわない。

 手を軸に体を持ち上げると、魔人の頭を挟むようにして肩に乗る。この勢いのまま腰の剣を引き抜き、それを魔人の目に突き立てた。


「うぎゃああああああ!」

 魔人が叫び、左の手から力が抜けた。リゼットがずり落ちていく。

「ひぃっ!」

 レオナールは悲鳴を上げるリゼットを見た。突き立てていた剣をさらに押し込んでから手を離し、魔人から体を離す。落下しながらリゼットを引き寄せ、奪い取った。

 リゼットは、もう悲鳴を上げる余裕すら失っていた。両目を思いっきりつむっている。


 空中で、リゼットを両腕に横向きで抱え上げるような形に体勢を整えたところで地面に着地した。着地の衝撃で土煙が舞う。

 リゼットは盛大に吸い込んでしまい、大きく咳き込んだ。


 レオナールは空を見る。

 魔人はゆっくりと落下し、途中でぜるように水になって消えた。

 水が落ち切るのを見届けてから、レオナールはリゼットを見た。


「無事か」

「げほっ。だ、だいっじょうぶ、です」

 リゼットの返事に、レオナールはほんの少しだけ口角を上げ、目を細めた。

 そのわずかな微笑ほほえみを見たリゼットは、砂でゴロゴロする目に耐えながらも精いっぱい笑顔を返した。


「ありがとう、ございますっ」

 土を吸った喉がかゆくて、リゼットはうまく話せない。もう一度咳き込むと、今度は煙が消えていたからだろう、喉のかゆみが消えてリゼットは力を抜いた。

 そんなリゼットを、レオナールはそっと下ろした。


「無事なら良かった」

「まさか、あの状態から助けてもらえるとは思わなかったです。どうやったんですか?」

 リゼットは怖くて目をつむっていたのもあり、レオナールがどのように助けてくれたのかがわかっていなかった。


「跳躍しただけだ」

「え?」

 普通の人間は跳躍で空を飛ぶ生き物を捕らえることなどできない。リゼットは、目を瞬かせた。


「神の愛子まなごの能力だ。君も訓練すればできる」

 そうは言われても、リゼットは自分の体がそんな能力を秘めているようには思えなかった。走ったら普通に疲れるし、ほんの少し高いところから飛び降りるだけで足は痛い。レオナールのように空から落ちたのに平然とした顔で立つことなど絶対にできない。


 レオナールは、どこからか取り出した小さな袋に入った水をぐいっと飲み干してから独り言のように小さく言葉をこぼす。

「列車は行ってしまったな」

 木々に遮られて見えるわけではないが、線路の方向に顔を向けた。釣られてリゼットも同じ方向を見る。

「あの、ダミアン様は無事でしょうか……」

 レオナールは、心配げに揺れる緑色の瞳へ視線を移した。

「ダミアンはどのような状態だったか?」

「私を助けようとして、手が……骨折を……」

 おかしな方向へ折れ曲がった手を思い出して、リゼットは顔を青ざめさせた。


「手の骨折か。それぐらいなら死ぬわけでもない。大丈夫だ」

「大丈夫って……すごく痛そうでした……」

「無事街に戻ったら見舞いへ行けばいいだろう。今は自分のことを考えなさい」


 そうは言われても心配なものは心配である。リゼットは地面に視線を移して納得いかなさそうにしながらも

「わかりました……」

 と答えた。

 そんなリゼットの様子に対して特別言及することはなく、レオナールはこれからどうする予定なのかを告げる。

「では、近場の村へ向かおう。空から集落らしい場所が見えた」


 落下時に辺りを観察する余裕があったのかとリゼットは驚いてレオナールの顔を見た。

「よく見つけられましたね!」

「観察していただけで、普通だ」

 普通とはいうが、リゼットは辺りを見るような余裕なんてなかった。そして、レオナールと同じ聖地の人間であるダミアンは魔人に吹き飛ばされて痛みにうめいていた。リゼットにはレオナールが聖地の人間として見ても普通とは思えなかったが、魔人を瞬殺したこの人と一緒にいれば大丈夫だと確信できるほどの安心感がある点については心強かった。


「では行くぞ。歩けるか?」

「はい」

 リゼットの返事にレオナールがうなずくと、2人は歩きだした。


 少し歩くと、不自然に草花が生えている箇所があった。わずかではあるが、秋になり枯れた葉が舞う空間に生えてるものとしては違和感を覚える。


「少し待っていてくれ」

 レオナールは、その不自然な場所にひざまずくと左手を右手で包み額に当て目をつむるという祈りの姿勢をとった。

「神のしもべたる命よ。大地に帰り恵みとならんことを」

 レオナールが口にしたのは、死者を悼む言葉だった。


 それを見たリゼットは、死した魔人や魔獣は呪われた水となり死体すら残らないと学んだことを思い出した。きっと、この場所が先ほどの魔人が死んだ場所なのだろう。

 リゼットは、自分を命の危険に晒した魔人を追悼すべきか一瞬考えたが、魔人となった父親の姿を思い出してレオナールと同じ姿勢をとった。魔人になる前は善良な人間だったのかもしれないと思ったのだ。

「神のしもべたる命よ。大地に帰り恵みとならんことを」

 リゼットも同じ言葉を発する。


 しばらくしてからレオナールが立ち上がった気配を感じて、リゼットは目を開くと同じく立ち上がった。

「一緒に祈ってくれるとは思わなかった。魔人になった者は、もう人ではないだろう」


――罪ある者は人ではない。神にあだなす魔人である。


 確かに聖書にはそう書かれている。けれどもとリゼットは首を振った。

「人間です。私の家族は人間です」

 声が震えている。それを聞いてレオナールは視線を地面に向けた。


「すまなかった。軽率なことを言った」

「いえ……。でも、祈ったということはレオナール様も魔人を人間だと思っているのではないのですか?」

「……完全な魔人になったときがその人の死だと思っている。祈るのは人間であったときの彼らに対してだ」

 その言葉はリゼットの心に素直に響いた。魔人になる前と後では別の生き物だと思えば、村も家族もきれいな記憶として残せると……残していいのだと思えた。


「私も、そう思うことにします」

 レオナールの表情は変わらず、静かにリゼットを見ていた。リゼットは、そんなレオナールを見つめ返す。

「レオナール様。魔人とは何なのですか? 草花が生えるなんて、呪われた水どころか祝福に見えます。まるで聖水のような……」


「聖地に着いたら、そのような問いはするな。私も詳しいことは知らない。知らないが……」

 レオナールは言い淀む。リゼットは続きをじっと待った。


 一度強く目をつむり「今しかないか……」とつぶやいてから、レオナールは目を開いた。

「リゼット。これから話すことは他言無用だ」

 リゼットが大きくうなずいたのを見てからレオナールは続きを話しはじめた。

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