第9話 列車

 窓の外を見ていると、景色が瞬く間に流れていく。建物は一瞬でなくなり、今はたくさんの木々が見えていた。どこまで行っても変わらない風景だったが、事件が起きるまで村の外に出たことがなかったリゼットにとっては十分に新鮮な光景であった。

 最初の方こそリゼットを見ていた2人だったが、リゼットを視界から外すとダミアンからレオナールに話しかけた。


「まさか感謝祭が終わる前に帰ることになるとは思いませんでしたね」

「そうだな」

「今頃、隊長は悲鳴上げてるんだろうなあ」

「仮にも隊長だ。問題ないだろう」

 レオナールは腕を組むと、目をつむってうなずく。


「隊長がというか、他の隊員の方が問題ですよ。副隊長がいないからと気が抜けた仕事してそうです。そして期日通りに仕事が進まなくて隊長が副隊長を恋しがる未来まで見えました」

 ダミアンは笑うが、レオナールはよくわからない様子で首をかしげ、縛っている髪を揺らした。

「どうして私がいないと気が抜けるんだ」

「そりゃあ、副隊長怖いですもん」

「私は怒ったり殴ったりしないだろう。皆の怖いの基準はよくわからないな、君だって私を怖いなど思ってないだろう?」


 レオナールは本気で言っているようで、ダミアンは肩をすくめる。

「僕はなんだかんだ付き合い長いですからね。副隊長が話しかけさえすれば案外よくしゃべることも知ってます。でも、それを知らない人が多いです。さっきも似たようなことを話しましたが、その顔で淡々と失敗した理由とか尋ねられると結構くるものがあるんですよ」

「そういうものか」

「そういうものです」


 そういうものかと言いつつ、レオナールは首をかしげた状態のまま唇に指先を当てた。納得していないようである。

「まあ、副隊長はそのままでいいと思いますよ。僕は笑顔を貼り付けた副隊長の方が怖いです。それより、車内販売が来ましたよ」

 ダミアンが個室の扉の方へ顔を向けると、それに釣られるようにレオナールも同じ方向を向いた。リゼットにも声が届いており、同じく扉へと体ごと向き直していた。

 扉は、皆が見るのを待っていたかのようにノックされると開いた。


「車内販売です。お食事や飲み物、お土産を用意しております。何かご要望はございませんか?」

「新聞はないのか?」

「ございますよ。銅貨2枚になります」

 レオナールはうなずき、服の隠しから財布を取り出すと銅貨2枚を差し出した。

「ご購入ありがとうございます」

 硬貨と引き換えに受け取った新聞には、ランメルト新聞と書かれていた。リゼットを助けてくれたノーランの新聞社のものである。


「飲み物も買っておいた方が良くないですか? あと、リゼットは何か欲しい物はないかい? せっかくだから何か買ってあげるよ」

「え!? その、いらないです……」

 レオナールが新聞を受け取っている間、車内販売のワゴンに何が入っているのだろうかと見ていたのを気付かれていたらしい。それが恥ずかしくてリゼットはうつむいた。

 その様子にダミアンは微笑ほほえむ。


「遠慮しないで。機関車の絵とかきれいだよ」

「いえ、その、じゃあ……その瓶が欲しいです」

 カートに置かれた瓶には、さまざまな色の丸い粒が入っていた。

「ああ、飴だね。飲み物は? シロップ水?」

 シロップ水は炭酸水をシロップで割った色鮮やかな甘い飲み物である。リゼットは首を振った。


「ミント水がいいです」

 リゼットは、レモンの薄切りが入っているミント水があっさりしていて好きだった。正直炭酸はぴりぴりして苦手なのである。

「わかったよ。副隊長はイチゴ割りですね?」

 レオナールがうなずいたのを見てから、ダミアンは販売員を見た。


「瓶詰めの飴と、ミント水2杯、シロップ水のイチゴ割り1杯お願いします」

「大銀貨1枚になります」

 ダミアンは取り出した小銀貨3枚を渡した。

 小部屋内の机に注文した品が置かれ、販売員は

「ご購入ありがとうございました」

 と言い残して去っていった。


 リゼットは早速瓶を開けようとするが、硬くて開かない。顔が赤くなっていくのを見て、ダミアンは笑った。

「代わりに開けてあげるよ」

「お願いします……」

 ダミアンはあっさりと瓶の蓋を開くとリゼットの手を取り、瓶を傾けて飴玉を1つ手のひらの上に転がした。

 リゼットは、飴を口に入れると今にも泣きそうな笑みを浮かべた。体に染み込む甘さは優しく、相手はかたきかもしれないというのに落ち着き安心してしまう自分がとても薄情に思えたのだ。

 うつむいてしまったリゼットの手に、ダミアンはそっと飴入りの瓶を握らせてあげていた。


 そんな2人のやり取りを見ることなくレオナールは新聞に目を通していた。珍しく表情を変えており、眉間にしわが寄っている。

 うつむいたままのリゼットから目を離したダミアンは、顔を上げるとレオナールの表情の変化に気が付いた。


「どうしました? 随分険しい表情してますけど……」

「魔人裁判の件が1面に載っている」

 そう言って新聞を差し出した。ダミアンはそれを受け取ると広げて読みはじめる。リゼットも興味を示し、顔を上げると横からのぞき込んだ。


 確かに新聞には大きく『魔人裁判 不正疑惑』と書かれていた。要約すると、カメリア村の血縁者が魔人裁判にかけられているが皆処刑対象となっており、全員に神から罰せられるような罪があるというのは不自然である。聖地の者がカメリア村で起きた何かの証拠を隠滅するために不正を働いて全員処刑しているのではないか。という内容であった。


「不正はしていないのだがな」

 レオナールはため息をつく。

「聖地に対して正面から疑念をぶつけるなんて、勇気ありますね」

「それだけ聖地の力が弱くなってきているということだろう。神の愛子まなごとしての優位性なんて銃の一つでもあればひっくり返る」

「確かに、そうですね……」

 そう言ってダミアンがうつむいた瞬間。

 何かが割れる音と共に悲鳴が響いた。


 悲鳴に反応して、レオナールとダミアンは立ち上がり銃を構える。リゼットは椅子に座ったまま、不安げに2人を見た。

 レオナールは警戒しつつ、そっと扉を開け外の様子をうかがった。すると、先ほどの販売員が今にも転びそうな動きで走ってくるのが見えた。販売員は、レオナールを見ると叫ぶ。


「魔人です! 後部車両に! 襲われてます!」

 その瞬間、レオナールは銃から短剣に持ち替えながら駆けだした。

「ダミアン! リゼットの護衛は任せた!」

 あっという間に足音が聞こえなくなる。


 残されたダミアンはリゼットをチラッと見てから扉を閉めると、扉の向こう側に警戒しつつ言う。

「大丈夫だよ。副隊長はとても強いから。すぐに倒して帰って来るさ」

 それに対してリゼットは何度もうなずいた。恐怖心で声がでなくなっているのだ。どうしても、魔人と聞いて村での出来事を思い出す。目の前で変異していく父親。魔人から逃げたときの息苦しさ。その瞬間に戻ったかのようにリゼットの呼吸は荒くなっていく。


 そんなリゼットの様子にダミアンは気を取られた。リゼットの呼吸を落ち着かせるように、そっと背中を左手でなでてあげたのである。

 その時。

 個室の扉が開いた。そこには翼を持った1人の魔人が立っていて、赤い瞳でまっすぐにリゼットを見ていた。


「あ……」

 一瞬ダミアンは固まり、そして銃を発砲した。

 目に向けたつもりだったが、当たったのは魔人の額である。魔人の硬質化した皮膚には弾が通らない。もう一度引き金を引こうとするが、その前に魔人のごつごつとした左手がダミアンを殴り飛ばした。


「うぐっ……」

 衝撃にダミアンはうめく。

 リゼットは、悲鳴も上げられずにヒュッと息を吸った。


 そんなリゼットへ魔人は手を伸ばし、左手で抱え上げた。

「ゃ……」

 小さな、声になったかわからない程度の悲鳴しか上げられない。

 ダミアンは必死に魔人の足をつかんだが、障害にもならず軽くはねのけられてしまった。それどころか手がありえない方向に曲がった。

「っ!」

 声にならない悲鳴を上げて痛みに苦しむダミアンを、魔人は見ることなく個室を出ていく。そして、発砲音がした。


「リゼット!!」

 レオナールの発砲である。

 即座に後部車両の魔人を倒していたレオナールは、ダミアンの発した銃声を聞いて向かってきていたのである。

 1両分離れていたが、目を外したものの魔人の頬に弾を当てていた。


 魔人はレオナールを見ると、ためらいなく窓を割って外に飛び出した。リゼットの肌からは窓の破片でできた傷により血が滴っていたが、リゼットは痛みも何も気にならないほど恐怖に包まれていた。

 次の瞬間には、リゼットは赤や黄色の紅葉が彩る森の空へと連れ出されていた。


 空にぐんっと上がっていく重圧による胃の圧迫感。恐怖心により荒くなる呼吸と跳ね上がる心臓。そのすべてをリゼットは持て余した。

 遠ざかる車両と窓越しに見えるレオナールの顔は、かすんでよく見えなかった。

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