第2章 聖地への旅路

第8話 出発

 リゼットは夢を見ていた。


 今より幼いリゼットが、学校の外で友達と走り回って遊んでいる。

「リゼット。帰るよ」

 そんなリゼットに話しかけたのは、リゼットの姉だった。

 リゼットと同じ栗色の髪、緑色の目をしていて、何も言わなくても姉妹であるとわかる顔立ちをしている。


「はーい! じゃあ、また明日ねー」

 リゼットは友達に手を振ってから駆け寄ると、姉の手を握った。

「学校は楽しかった?」

「うん! 今日は数字を教えてもらったよ!」

「そう。よかったね。数字書けるようになったの?」

「うーん。まだ無理かなあ……」

 落ち込むリゼットを、姉は優しげなまなざしで見ていた。


 2人はそうやって他愛のない日常を話ながら、土が丸見えになっている道を歩いていく。しばらく歩いて自宅が見えてきた頃。

「リゼット! おかえり!」

 大きな声で迎えてくれたのはリゼットの父親である。夢の中の彼は変異していなかった。髪は白くもないし赤い目でもない。リゼットとお揃いの髪色で、おでこが見えるほどの短髪だ。

 農具を置くと、リゼットたちに近づいてきた。一方、父親のそばで一緒に農作業をしてた兄2人はチラッとリゼットの方を見ただけで、作業の手を止めることはなかった。


 リゼットは、近づいてくる父親を見て目を輝かせると、姉から手を離して父親に駆け寄った。

「パパ!」

 手を広げる父親へ飛びつく。それを抱き留めた父親は、しっかり抱えると立ち上がり、リゼットに問いかけた。

「リゼット。つらいことはなかったか?」

「うん! 学校は楽しいよ!」

「それは良かった」

 父親の笑顔を見て、リゼットも一層笑みを深くした。


 次の瞬間。

 辺りが暗くなった。景色は何も見えないし、誰も見えない。

 気が付けば、抱き上げられていたはずなのに地面に下ろされている。


「パパ? お姉ちゃん?」

 問いかけても答えはない。

 もう一度呼ぼうと口を開いた瞬間。


「うぐっ……」

 苦しそうな声がした。声のした方を見れば、魔人へと姿を変えていく父親の姿が見える。

「パパ!」

 リゼットは手を伸ばし、走り出す。しかし、父親には近づけない。どんなに必死に駆け寄っても届かない。


 どうして届かないのかと泣きたくなったとき、父親の横に誰かが立っているのが見えた。

「レオナール様……?」

 長髪の男だ。赤茶色の冷たい瞳が、父親を見つめている。そして、剣を振り下ろした。


「いやあああああああああああ!」

 真っ赤に世界が染まる。

 気が付けば、母親も姉も兄2人も祖母も血まみれで倒れている。立っているのはリゼットとレオナールだけだ。


 リゼットは、夢の中で意識を失った。



 夢見が悪くとも朝は来る。

 魔人裁判の翌日。3人は聖地に向かうべく、駅に来ていた。

「わあ……」

 夜に泣いた痕跡が残る腫れぼったい目をしながらも、リゼットは駅の様子に目を奪われ、感嘆の声を上げた。


 白い窓が映える赤レンガでできた横長の建物に多くの人間が出たり入ったりしていく。建物前の広場にある噴水もきらめいていて美しい。噴水の周辺には待ち合わせをしているのであろう人たちが何組か見える。建物の中央にある時計をちらちらと見ている人は、いとしい人を待っているのかもしれない。


 きょろきょろと辺りを見渡すリゼットを、ダミアンは優しく見守っていた。表情の変化がないままに辺りを警戒するレオナールと対照的である。

「駅を見るのは、はじめて?」

 ダミアンの質問に、リゼットは大きくうなずいた。

「はい。都会はすごいですね! 人も多いし、建物は大きいです」

 リゼットは、つらい気持ちを隠そうと大げさに笑ってみせた。

 そんなリゼットの内心をダミアンが気付いているのかはわからない。ダミアンはにこりと笑うと

「駅の中には、それは美しい神の像があってね。見せてあげたいな」

 そう言ってレオナールの方へ視線を送った。


 レオナールは、その視線を受け取っても表情を変えなかった。

「……列車に遅れない範囲なら構わない。好きにするといい」

 ただ、止める気はないようだ。それだけを言って正面に視線を戻した。


「ありがとうございます。良かったね」

 お礼を述べてから、リゼットを見る。

 リゼットは作った笑みを貼り付けてうなずいた。

「はい。楽しみです」


 リゼットの返事に、微笑ほほえみを返してからダミアンは先頭を歩きはじめた。リゼットは、その左斜め後ろぐらいの手をつなげそうな位置を維持して歩く。レオナールは一歩離れた位置にいるため、端からは一緒に行動しているようには見えなかった。


 3人は開け放たれたままの正面入り口を抜け、右手に歩いていく。誰もいないというわけではないが、一気に人通りが少なくなった。

「あまり、人は通らないのですね」

「普通は、入ったら真っすぐ歩いて列車に向かうからね。お昼でもないし休憩所に用のある人があまりいないんじゃないかな」

「なるほど」


 そう話している間に、いくつかの木製のベンチが置かれている休憩所と思われる場所が見えてきた。

 ダミアンが言っていた美しい神の像は、中に入って左手にあった。


 リゼットは目を見開く。

 天窓からの光を浴びるそれは、本当の神のようであった。大聖堂に飾られていた数々の像も精巧だったが、それと同じかそれ以上に細部まで彫り込まれている。

 涙を流しながら胸を押さえ、右手で天に向かって手を伸ばしている神の像だ。

「これは、神さまが最初に添い遂げた人が亡くなったときの姿を彫ったものだそうだよ」

 ダミアンの説明を聞きながらも、リゼットは神の像を見つめていた。


「本当に泣いているように見えます」

「そうだろう。僕もこれをはじめて見たときは感動したよ。大聖堂に置いた方がいいのではと思うけど、制作者がより多くの人に見てほしいということでここに設置したそうだよ」

 リゼットは、ダミアンの方を見る。

「よく知っていますね」

「受け売りだよ。保安隊の人が彫ったものだから先輩に教わったのさ」


 肩をすくめるダミアンに、なるほどと納得したリゼットは再び神の像を見つめた。

 大切な者を亡くした悲しみは、今のリゼットには痛いほどわかる。家族を思い出してしまい、目をつむった。


 正直、神の像を見なければ良かったとリゼットは思った。家族を思い出さないように考えないようにとしていたのに、思い出してしまったからだ。

 どうしても少しでも思い出せば考えてしまう。どうして村に聖水が噴き出したのか。どうして家族は死ななければなかったのか。このまま、かたきでしかない保安隊の人間について行って大丈夫なのか。もしかすると、今一緒にいるレオナールやダミアンが、夢のように家族を殺した人間なのではないだろうか。

 考えても答えが出ないことを、リゼットはぐるぐると考えてしまっていた。


「もういいだろう」

 レオナールの声に、リゼットは現実へ引き戻された感覚になった。

 慌てて笑顔を取り繕って振り返る。

 レオナールは神の像など何とも思っていないような表情で

「行くぞ」

 と顎で指し示した。


 ダミアンは、示されるままに歩きだしながら口を開いた。

「副隊長は、何に感動するんですか?」

「……なんだ突然」

「いえ、何となくです。この像を見ても表情を変えませんし」

「誰もが芸術に感動するわけではないだろう」

「まあ、そうですけど。恋人と一緒でも無表情じゃないですか。何になら心動かすのかは気になります」

「気にするな。ふられたときぐらいは多少動く。それよりリゼット。もう少しこちらに来なさい。何かあったときに困る」


 家族を思い出してぼうっとした心地になっていたリゼットは、2人の会話を右側から少し離れて眺めていた。呼ばれたことに気が付くと慌てて駆け足で近づく。レオナールはそれを見てからリゼットの右後ろに移動した。

「すみません」

「怒っているわけではない。謝らなくていい」

 レオナールはそう言うが、きれいな顔立ちで表情も変えずに淡々と言われるのは、どうしても怒られているように感じるものである。

「はい。すみません」

 つい、リゼットは改めて謝罪を述べてしまった。


 その様子を見てダミアンは苦笑いをする。

「子どもには笑顔を見せなきゃダメですよ。どう考えても怒っているようにしか見えませんよ」

「笑顔か……」

 

 レオナールは口角を上げて見せたが、ひくついていた。

「それは笑顔ではないですね……」

 ダミアンの言葉にリゼットは大きくうなずいた。目が笑っていないからだろう。笑顔というよりは何か企んでいるような表情だった。


「私には無理だな。2人が私の代わりに笑ってれば問題ないだろう」

「そういう話ではないんですが……」

 ダミアンは困ったように笑うと

「まあ、1.5人分笑うようにしておきますよ。じゃあ、切符買ってきますね」

 そう言って、改札横の窓口へと向かっていった。


 こうしてレオナールとリゼットの2人が残されたわけだが、何も話すことがない。リゼットは居心地悪く感じながらも改札に吸い込まれていく人々を眺めていた。レオナールは辺り全体を警戒して視線を常に動かしている。


「お待たせしました」

 ダミアンが駆け寄ってきてリゼットは、ほっとした。保安隊の人間に対してほっとするというのも変な話ではあるのだが、無言のレオナールと2人きりよりはマシであった。

 レオナールがうなずくと、ダミアンを先頭に改札へ向かって歩き出す。


 改札には黒い服と帽子をかぶった男がいた。3人が近づいても彼は何も言わない。無言で手を差し伸べるのみである。ダミアンはその手に3人分の切符を差し出した。男はチラッと切符を見てから素早く切って返してきた。それを再びダミアンが受け取ると改札を抜けた。

「うわあ!」

 改札を抜け、視界が広がると黒い機関車が止まっているのがリゼットの目に飛び込んできた。


 運転席のある先頭車両の煙突からはゆるゆると煙が出ている。次の車両は真っ黒で特別特徴がない。それ以降に連なる車両には真ん中より少し下に白い線が真っすぐ引かれていた。線のすぐ上には、いくつもの窓が設けられている。窓のある車両の前後の扉は開放されていて、何人もの人が乗り込んでいく。


 3人が向かったのは窓のある車両としては先頭の車両である。ダミアンは乗り込むと後ろを振り返った。リゼットもすぐ乗り込もうとしたが、列車までの隙間が怖い。暗く深く落ちたら死んでしまうのではとまで思っていた。

 リゼットの心境を察してか、ダミアンが手を差し伸べてくれる。リゼットがその手をつかむと、ぐっとダミアンはリゼットを引き寄せてくれた。


「ありがとうございます」

「ちょっと怖いよね。実は僕も怖いんだ」

 本気か冗談かわからないが、そう言ってダミアンは笑った。

 そんな2人が車両の奥へと足を進めたところでレオナールも乗り込んだ。


 車両の内部に入ると、かろうじて2人歩ける程度の通路があった。その左側にはいくつかの個室があり、個室内の窓がホームに面している。この入ってすぐの個室が切符に指定された席であった。


「到着は夜になりますね」

 ダミアンが椅子に座りながら言った。

「聖地は遠いと聞いてましたが、それでも1日で着くのですね」

「蒸気機関がある時代で良かったね。ほんの数十年前は何日もかかって移動していたそうだから。祭事の準備のたびにそんなに移動してたなんて考えたくもないな」

 ダミアンは嫌そうな顔をしながら首を振る。そして、自分の隣、窓に近い側をポンポンと叩いた。

「外が見える方がいいよね。ここに座るといいよ」

「はい」

 リゼットは案内されるままに座った。


 窓から外をのぞき込むと、先ほどいたホームが見える。人が行き来する様子を、リゼットは眺め続けた。何も考えないように意識しながら目を動かし続ける。

 ダミアンもレオナールも、リゼットの目があっちへこっちへと動く様子を何も言わずに見ている。

 しばらくそうしていると、ホームに出発を告げるアナウンスが響き渡った。同時に駅員によって列車の扉が閉められていく。


 そして、フオーッと音を立てた機関車が黒い煙を煙突から勢いよく噴き出した。ガタガタと車輪を回し、3人を含めた多くの人たちを乗せて駅を出発していった。

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