第7話 神の愛

 鉄格子の扉が開いたが、外に出ていいのかリゼットにはわからない。横にいたダミアンへ視線を送ると、それを受け取ったダミアンはうなずきを返した。その返答に従ってリゼットは扉のある後ろへと振り返る。鉄格子の向こう側では長髪の男が立って待っていた。

 長髪の男に向かってリゼットは歩き出す。鉄格子を出ると、長髪の男も振り返って歩きだした。その後ろをリゼットは付いていく。さらにその後ろをダミアンも歩く。

 

 正面の外へ続く扉はゆっくりと開けられていく。二度と生きては出ることができないのだと覚悟していた扉が目の前で開いていくのは、リゼットを不思議な気持ちにさせた。


 この扉は、3人が目の前に着く頃には開ききっており、歩みを妨げてくることはなかった。

 階段も上がりきると、外のまぶしさに目がくらんだリゼットは立ち止まった。息も上がってしまっている。魔人裁判が無罪であった開放感や安心感などを味わえるような状態ではなかった。


「副隊長」

 ダミアンの声に、長髪の男が立ち止まり振り返る。

「どうした」

「ごめんなさい。少し、くらんだだけです」

 ダミアンの代わりにリゼットが慌てて答えると、長髪の男の視線はダミアンからリゼットへと移動した。

「そうか。歩けるか?」

「はい」


 リゼットの返事に、長髪の男はうなずくと再び歩きだした。そうして着いた先は最初に通された部屋である。部屋に着くとすぐに長髪の男は

「報告をしてくる」

 と言い残し、立ち去っていった。


 扉が閉まる音が消え、部屋にリゼットとダミアンの2人が残されると沈黙が部屋を包み込んだ。リゼットは座りダミアンが立っているという状況も、リゼットを落ち着かなくさせていた。


「体調は大丈夫かい?」

 沈黙を破ったのはダミアンである。彼もまた静寂に耐えられなかったのだろう。

「はい。大丈夫です」

 リゼットは、背もたれが横になるよう座り直すとダミアンの方を見てうなずいた。裁判前は見るのがつらかったダミアンの優しげな表情も、今は見ることができるようになっていた。


「それなら良かった。聖水は、その、あまりおいしいものではなかっただろう? 無理はしないようにね」

「ありがとうございます。でも、水と変わらなくて。あれは本当に聖水だったのでしょうか」

 死を免れた安堵に加えダミアンの柔らかな雰囲気に、ついリゼットは気になっていたことを口にした。

 それを聞いたダミアンは目を丸くする。


「間違いなく、あれは聖水だったよ。そうか、水と変わらなかったのか」

「何か問題でしたか……?」

 不思議そうにするダミアンを見て、リゼットは不安になった。

 そんなリゼットを落ち着かせるようにダミアンは笑う。

「問題ないさ。神は君のことをよほど愛しているということだろうね」

「神……ですか」


 『神に愛されている』に何か意味があるのだろうか。魔人裁判で無罪になったことと何か関係があるのだろうか。

 尋ねようと口を開いたところで扉が開いた。扉を開けたのは長髪の男で、前回座っていた椅子へと向かっていく。その間にリゼットは椅子に正しく座り直した。

 そして、3人は裁判前と同じ配置になった。


 長髪の男が口を開く。

「さて。これからのことだが。君には聖地に向かってもらう」

「聖地に、ですか。私は聖職者ではありませんよ?」

「問題ない。君は神に愛されている」


 また同じ言葉だ。リゼットは会話が成り立っているように思えず、首をかしげた。それを見てダミアンは苦笑いをすると会話に入ってきた。

「副隊長。一般的に聖地は聖職者以外の立ち入りは禁止と言われています。聖職者ではない自分が入ってもいいのか? と聞かれているんですよ」

「そうか、神の愛子まなごとは外では言わないのだったか」

 長髪の男は顎をなでた。


「一般的にということは、違うんですか? 聖職者以外でも入って良いのですか?」

 後ろにいるダミアンを見ながらリゼットは尋ねる。ダミアンはそれを聞いてうなずいた。

「聖地に立ち入りが可能なのは神の愛子まなごのみだからおおむね合ってはいるんだけどね。聖職者は皆、神の愛子まなごだから。それで神の愛子まなごというのは……」

「ダミアン。私から説明する」

「申し訳ありません。差し出口でした」


 ダミアンが下がったことで、リゼットは視線を長髪の男に戻した。

「そうだな……まずは聖水の話からした方が良いか。聖水が判別できるのは罪ではない。神の愛子まなごかどうかだ。神の愛子まなご以外は魔人となる。聖地は、入るだけで聖水の影響を受ける。先ほどの裁判で神の愛子まなごであるとわかった君は魔人になることはなく聖地に入れる」


「それは……」

 説明を聞いたリゼットの思考は、聖地に入れるか否かではなく聖水がどういったものなのかという方に移っていた。何度か口をぱくぱくさせてから言葉を紡ぐ。

「つまり、私の村で噴き出した水は聖水で間違いなくて、みんなは罪がないのにただ神さまに愛されていなかったというだけで魔人になったのですか……?」

「その通りだ」


 なんて理不尽なことなのだろうか。

 リゼットは、やはり父親に罪はなかったのだという安堵と、ならばなぜ皆魔人となり死ななければならなかったのだという怒りと、理不尽でも元には戻らないという事実への悲しみに、胸の中がぐちゃぐちゃになった。

 感情が追いつかず、何も言えずにただただ呆然と座り尽くした。


「村の事は災害だったと言うしかないだろう。君だけでも生き残ったのは幸運だった」

 君だけでもという言葉にリゼットは強く反応した。それはつまり、リゼット以外は皆死んだというのと同義である。

「村のみんなは……私以外は……」

 死んでしまったのかとリゼットは尋ねようとしたが、言葉にできなかった。

 その様子を静かに見ながら長髪の男は口を開く。


「ああ。君以外の生き残りは見つかっていない。魔人になったか否かにかかわらず、全員亡くなった」

 決定的な言葉に、リゼットは体ごと遠くへ放り出されたような感覚になった。何も頭に入ってこなく、考えられない。

 動揺しているリゼットが落ち着くまで待っているのか、長髪の男とダミアンは何も言わずリゼットを見つめていた。


 どれほど時間が経過しただろうか。

「……村は災害だったとして、魔人裁判は何なのですか?」

 どうにか戻ってきた思考でリゼットは言葉を絞り出した。

 ただでさえ理不尽に村のみんなは魔人になり死んだというのだ。それなのに、神に愛されているか否かを判別するだけの裁判を決行し、さらに死者を増やしている。それがリゼットには理解できなかった。


「……おそらく聖水で魔人に変異した者たちには罪があるという建前を保つためだろうな。村として罪があったとするのならば、村の関係者を何もせずに許すこともできないだろう」

 建前のために人を魔人にして処刑したのだと告げられ、あまりにもの理不尽さに、リゼットは怒りを通り越して恐怖した。

 その理不尽な権利を振るう彼らを知っても、リゼット1人の言葉では誰にも伝えられない。そして、これだけの話を聞かせたということは、リゼットを逃がす気がないということである。理不尽を飲み込み従うしかないのだ。


「さて、話を戻そう。君は聖地へと向かうわけだが、私と、そこのダミアンが君を護衛することになった」

「聖地マルスランの子ダミアンです。短い間だけど、よろしくね」

 裁判を受ける前までの真剣な表情とは変わって、ダミアンは優しく微笑ほほえんでいた。常時であれば親しみを感じる笑みだが、今のリゼットには響かなかった。リゼットは、目を揺らしながら見つめ返すだけである。


「私は聖地オードリックの子レオナールだ」

 続いて長髪の男レオナールが名乗りだけを述べる。端整な顔立ちと相まって冷たい印象である。

 リゼットはレオナールへ視線を移した。

 そんなリゼットを静かに見ながら、レオナールは再び口を開く。


「さすがにこの時間からの移動だと遅くなる。出発は明日だ」

 そして、ダミアンの方へと視線を移してから発言を続ける。

「ダミアン。リゼットの護衛を頼む。宿泊先は変わらないが部屋の移動がある。行けば案内してもらえるだろう」

「はっ!」


 ダミアンは敬礼をしてから、リゼットを見た。

「さあ、行こうか」

「はい」

 穏やかに微笑ほほえむダミアンと共に、表情を暗くしたままリゼットは部屋を出ていった。


 部屋に残ったレオナールは、表情も姿勢も変えずに扉を見つめている。

 しばらくしてから、1人でつぶやく。

「総隊長は何を考えているのか……あの子1人を見つけるために、一体何人を犠牲に……」

 目をつむり、深くため息をついてからレオナールは立ち上がる。そして、彼も部屋を立ち去り、誰もいない空間だけが残った。

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