第4話 来訪

 使用人になってから1週間が経過し、ひととおり仕事を経験した頃。リゼットは1階の窓を拭いていた。経験した仕事の中で気に入った仕事の一つである。太陽の光を浴びながら庭の草花を眺めつつ作業できるのが気持ち良かったからだ。

 リゼットが気分良く、さあ次の窓をと拭き終わった窓から手を離したとき、荒々しく扉を開く音が響いた。

 何事だろうと首をかしげながら布巾をバケツにかけたところでシャネルがやってきた。

「ノーラン様がお呼びよ」

 そう言ったシャネルも困惑顔をしており、なぜ真っ昼間にノーランが帰宅したのかわかっていない様子だった。


「何があったのでしょうか……」

 立ち上がりながら尋ねると、シャネルは頬に手を当て首をかしげた。

「わからないけれど、焦っているご様子だったわ。書斎にいらっしゃるから、急ぎなさいね」

「はい」


 不穏な雰囲気に、胸元を握り締めながら速歩き気味で廊下を進みはじめる。外は明るくまぶしいほどの日差しが差し込んでいるというのに、リゼットの心の中はぐるぐると不安で渦巻いていく。

 カメリア村出身であることがバレたのかもしれない。もう使用人としては雇えないと言われるのかもしれない。この家から放り出されるのかもしれない。いよいよ行き場所を失うのかもしれない。

 そんな考えがぐるぐると周っている間に、リゼットは階段を上り終え書斎の前に立っていた。喉からこぼれそうな不安を飲み込むと、リゼットにとっては重たい扉をゆっくりと開いていく。


 扉の向こうには、深刻そうな表情で肘を付き、手を組んで考え込むノーランがいた。

「お呼びでしたか……?」

「来たね。まずは座りなさい」

「はい」


 ノーランの声はいつもより低い。ただならぬ雰囲気に、やはりこの家を追い出されるのではないだろうかとリゼットは思った。

 不安を抱きながら、恐る恐るノーランの向かい側の椅子に座る。その様子を見てからノーランは口を開いた。

「カメリア村についての話があるんだ」

 出身の村について話を振られ、想像はしていたというのにリゼットはヒュッと息を吸った。


「警戒しなくていいよ。あの川の上流にある村だし、事件のことを知っていれば察しが付く」

 何者なのかを知っていてなお使用人として迎え入れてくれていたとの告白に、リゼットは何を言えば良いのかわからなくなっていた。


「その様子だと、記憶がないというのは僕を警戒したものだったのだね」

「いえ、あの、訂正できなくて、その……記憶がなかったのは川に落ちたことなのです。橋の下にいたはずなのですが、いつ流されたのか記憶になくて……嘘をつくつもりは……」

 青ざめた表情を見せるリゼットに、ふっとノーランは笑う。

「責める気はないから安心しなさい。僕も同じ状況だったら黙秘したと思うよ」


 本心であることがわかる優しい笑みに、すぐさま家を放り出されることはなさそうだとリゼットは力を抜いた。

「出会ったのも何かの縁だし、幼い君1人を助けるぐらいは簡単だと思っていたのだけれどね……。まずいことになったよ」

「一体……」


 何があったのかと尋ねる声に、ノーランはぐっと目をつむった。そして目を開くと、沈痛な面持ちで口を開いた。

「カメリア村の出身者が魔人裁判にかけられて処刑されていっている。君も間違いなく対象者になるだろうね」

「魔人裁判……でも、裁判を受けたからって魔人になるような罪を犯していなければ……」

「それが、今のところ全員処刑になっているそうだよ。聖水に触れた者は例外なく魔人になっている」

「そんな……!」


 つまり、リゼットは殺されるのだとノーランは言ったのである。信じられず、リゼットは首を振り「おかしいよ……」とつぶやいた。実際、聖水に触れたからといって全員が魔人になるなどといった話をリゼットは聞いたことがなかった。魔人裁判にかけられて無罪となった例も歴史で学んだぐらいである。


「まさか、カメリア村の出身であることが罪だというのですか……? 私たちが何をしたというのですか! ただ村で生きていただけなのに!」

 ノーランを責めるかのようにリゼットは叫んだ。ノーランを責める気もなければ、叫んだって何にもならないことは、リゼットもよくわかっていた。それでも1度口からこぼれた思いは、言葉は、涙は止められなかったのだ。


「パパは優しかった! 魔人になっても、逃げてって言ってたの! 神さまに裁かれるような罪なんてあるわけない! みんな! みんな魔人に! 魔人に……どうして、私は生き延びたの……? どうして……私も、みんなと一緒が良かった……!」

 いっそのこと自分も父親と一緒に魔人になっていればこんなに苦しい気持ちにならずに済んだのにという考えをそのまま吐き出すと、リゼットは荒い呼吸を繰り返す。


 そっと肩に手を置かれて、リゼットは、はっとした。言葉も涙も止めて、いつの間にか横に立っていたノーランの顔を見上げる。

「僕は君に罪があるようには思えないし、村人全員に罪があったとも思えないよ。だから、君だけでも生き延びてくれて良かったと思っているよ」

 リゼット以外の村人は全員亡くなっている前提での言葉に、リゼットの心は絶望と不安が占めていく。それでも、優しさからの発言であるのは間違いなく。リゼットは言葉を絞り出した。

「どう、して、優しくしてくれるんですか?」


 リゼットが尋ねると、ノーランは少し困ったような表情を見せた。

「優しくするのに理由がいるかな? でも、あえて言うなら娘を思い出すからかもしれないね。今君が着ている服は娘の物なんだ」

「え……」

 リゼットは言われてはじめて気が付いた。男性の独り暮らしで成人男性の料理人が1人と成人女性の使用人が1人。そんな家に、少し大きいとはいえリゼットの着られる服があったのだということに。


流行病はやりやまいでね。妻もその時に」

「それは、その……」

「もう何年も前の事だから、気にしないでいいよ。でも、だからってわけでもないけれど、君には生きてほしい」


 そう言うと、ノーランは強いまなざしでリゼットを見つめた。

「そこで、君を拾った日を1日早かったことにしようと思うんだ」

 ノーランが言わんとしていることがわからず、リゼットは眉を寄せ怪訝けげんそうな表情を作った。

「どういうことですか?」


「君に調査の手が伸びるとすれば、使用人として登録した書類からになる。そこには君の出身地や父親の記載はなく孤児となっているのだから、登録したタイミングで怪しいと判断した程度でしかないんだよ。君を拾った日を偽ればごまかせるかもしれない」


 ノーランの提案を聞いて、そう簡単にごまかせるのだろうかとリゼットは思った。使用人に登録された日付まで確認して調査しているのであれば、書類以外の発言など証拠にもならないだろう。何より、魔人裁判は無罪であれば痛くもかゆくもなく一瞬で終わるものとされている。疑わしいのであれば裁判にかけてしまうのが手っ取り早いのだ。

「それは、ノーラン様が危険です」


 少し責めるような口調になってしまったが、ノーランは微笑ほほえみを見せるだけであった。

「大丈夫。調査が来たら、僕が何とかするから安心しなさい」

 大丈夫には思えない。そう言いたかったが、うまい言い回しが浮かばずリゼットは口をつぐんでしまった。


 その時、ノックが3回響いた。

「失礼します。ノーラン様。聖サンビアリア保安隊の方がいらっしゃいました」

 シャネルの言葉に、リゼットよりもノーランが驚愕きょうがくし目を見開いた。

「まさか! 早すぎる……」

 ノーランは下ろした手をぎゅっと握り締め歯ぎしりをする。

「リゼット。君はここから出てはいけないよ。僕が対応するから大丈夫だよ」

「ノーラン様、それは……」


 リゼットの言葉を待たずに、ノーランはそのまま玄関へと歩き出す。シャネルは不安げな表情でリゼット一度見てから、ノーランを追いかけていった。

 閉まる扉の音。

 ノーランの言葉に従ったらどうなるのだろうかとリゼットは考える。きっと、ノーランが何を言ってもリゼットが魔人裁判にかけられるのは避けられないだろう。そして有罪だったら魔人をかばったとしてノーランまでもが処刑されるのではないだろうか。

 いっそ、今のうちに逃げてはどうかと考えるが、お金も持っていないリゼットに行き場はない。逃げきれたところで村に帰ることも叶わないまま餓死する未来しか想像できなかった。何より、こちらの場合も魔人をかばったとしてノーランが処刑される可能性が拭えない以上選びにくい選択肢だった。


 ノーランはいい人である。見ず知らずのリゼットを拾って使用人という仕事まで与えてくれるようなお人好しだ。巻き込みたくは、なかった。それに、魔人裁判に出ることで聖地の人間と会話する機会を得られるかもしれない。そうすれば村に何が起きたのかわかるかもしれない。


 リゼットは追い立てられるように立ち上がると扉を開けた。書斎を出て階段を見下ろせば、2人の男と話すノーランが見える。

 リゼットはためらわず、子どもらしい高い声を皆に届かせるようにホールへ響かせた。


「私がカメリアの村クレールの子リゼットです。私を連れていってください」

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