ハロウィン

 今日は10月31日。

 ハロウィンだ。


「あずさ、トリックオアトリート!」


 幼なじみの小倉あずさが家から出てきたのを狙って、両手を出してお菓子をせがむ。


「おはよ、みーこ。はいはい、ちょい待ち~……」


 あずさはがさごそと鞄をあさっている。あずさに呼ばれると、美依子みいこじゃなく、ひらがなで「みーこ」と聞こえる。

 あずさはわたしの手のひらに、饅頭まんじゅうを置いた。1個じゃない。ぽんぽんぽんと、ピラミッドができるくらい。


「ほいよ。よし、これでいたずらは回避した」


 あずさは満足げにうなずき、先に歩き出してしまう。わたしは手のひらに饅頭ピラミッドをのせたまま、視線だけであずさを追う。

 今動いたら、饅頭が崩れる……というか、ちょっと待って。今日はハロウィンよ?


「いやいや! これいつものおぐら饅頭じゃん!」

「だってしょうがないじゃん。うち和菓子屋だし」


 あずさはあくび混じりにそう言った。

 あずさの家は和菓子屋だ。明治時代くらいからつづいているらしい。彼女の家の付近はいつも、あんこを炊くほんわりとしたかおりが漂っている。


 あずさはそこのひとり娘。実は、小倉あずきという冗談みたいな名前になるところだったが、父親が出生届を出すときになって怖気づいたか正気に戻ったか、1本減らしてあずさになったとかいう、冗談みたいな逸話を持っていたりする。


 わたしは饅頭を両腕で抱くようにして、あずさに追いついた。あずさはへらへらと笑い、わたしの腕から饅頭を1個取ると、もぐもぐと食べはじめた。相変わらず自由すぎる。


「饅頭でもいいじゃん? お菓子には変わりないんだし」

「まあそうだけど……でももうちょっと……こう……あるじゃん! スイーツっぽいものが! サブレーとか、ブッセとか」

「そっちは人気で売れ残らないからさ~。あ、饅頭は明日までだから、今日のお昼と夜とお夜食と、明日の朝とお昼と……」

「さすがにひとりでは食べないよ。親にも食べさせる」


 わたしはあずさの手も借りて饅頭を鞄にしまい、代わりにコアラのマーチを取り出した。あずさが小さいころから好きなお菓子だ。


「はい、これはわたしから」

「おお~、エビで鯛が釣れた~」

「いいのか、自分ちの看板商品をエビって言って」


 わたしが幼稚園のとき、遠足に持っていったおやつがこのお菓子だった。当時、自家製の和菓子しかおやつを許されていなかったというあずさに、はじめて外のお菓子を食べさせてしまったのが、わたしなのだ。

 それまでは、家が近所だというだけの仲……いや、家が近い分むしろ適切な接し方がわからないような微妙な仲だったわたしたちは、急速に親密になった。


 今では、こうして毎日いっしょに登校し、時間が合えばいっしょに下校し、お互いの家を行き来してテスト勉強をしたり、ただだらだら過ごしたり、お彼岸でおはぎやぼた餅を大量に作らないといけないときはバイトに駆り出されたり……。

 人生の3分の1は、あずさと共に過ごしてきたと言っても過言ではない。


 だけど、わたしたちももう高校3年生。

 これから先もずっと、隣にいられるわけじゃない。


「ねぇ、みーこ?」


 あずさは饅頭の包みをかしゃかしゃと鳴らしながら、潜めた声でわたしを呼んだ。


「美依子」じゃなくて、「みーこ」と聞こえる、あずさのやわらかな声。


「みーこって、医学部……行くんでしょ?」


 どくん、と胸が疼いた。ふたりのあいだに別れの気配が漂うのははじめてだった。

 今日まで、進路のことは話題にしなかった。ふたりとも意識的に避けていたところがあった。

 あずさが和菓子屋のひとり娘なら、わたしは開業医のひとり娘なのだ。歴史の深い小倉和菓子店とは違って、父が開いた、まだ1代きりのクリニックだけど。


「うん。行くよ、医学部。小さな町医者だけどさ、なくなったらみんな困るでしょ?」

「そっかぁ……あたしも行かなきゃだめかなぁ」

「何であずさが医学部に」

「違うよぉ、製菓学校」


 あずさはいつも言葉が足りない。


「あずさは……お菓子の道に進みたくないの?」

「うーん……お菓子は好きだよ? でも、作りたいかと言われると、そんなことはない。だってさ、朝から晩まであんこ炊きたい? あたしは炊きたくない」

「あんこ炊く以外の仕事もあるでしょ。サブレー焼いたり、ブッセ作ったり」

「焼いたり作ったりするより、食べる方が好き」

「じゃあ、お婿さん探したら? お店を継いでくれそうな、お菓子の道を志す次男坊とか」


 わたし自身、よく言われてきた言葉だ。お医者さんをお婿さんにもらいなさいね、東雲しののめクリニックを継いでくれるお医者さんを、と。

 そんなのは絶対いやだから、自分が医者になろうと決めたのだけど。


 あずさの周りには、そんなふうに言う人はいなかったのだろう。思いもよらなかった、というようなびっくりした顔をしている。

 だけど、あずさはすぐにうつむき、困ったように微笑んだ。


「でも……あたしの好きな人、もう将来の夢決まってるからなぁ」


 好きな人。

 あずさに……好きな人が?


 そういえば、わたしたちは恋の話をしたこともなかった。いや、できるわけがなかった。

 だって、あずさに好きな人はいるのか、それは誰かと訊ねたら、自分も教えないわけにはいかなくなる。それは困る。


 わたしはあずさが好きなんだって、自分でもいまだに信じられないような事実を伝えなきゃいけなくなるから。


 こんなかたちで叶わぬものだと知るなんて……。あぁ、冗談でもお婿さんなんて勧めるんじゃなかった。


「へ……へぇ、好きな人。いたんだ、あずさに……」

「うん。お医者さんになるんだって」

「へぇ、医者か、そっか……忙しすぎて和菓子なんて食べる暇しかなさそうだな……」

「うんうん。東雲クリニック、いつもすんごい混んでるもんね」


 しんなりと元気を失っていた心が、しゃきっと生き返る。今、うちのクリニックの名前が聞こえたんだけど……気のせい?


「え、うち……?」

「うん」


 ということは、あずさの好きな、医者を目指している人って……。


「わ、わたし!?」

「うん」


 あずさは平然とうなずいた。わたしが何年もひた隠しにしてきた想いを、こんなに簡単に……。


「あたし、みーこが好きなんだよねぇ」

「いや、そんな……コアラのマーチ好きなんだよねぇ、みたいな軽さで言われても……」

「えー、ほんとなんだけどなぁ」


 どうしよ。好きが溢れてくる。

 気づいたときには、あずさの手を握っていた。そして、通りに誰もいないことを確かめてから、あずさの頬にそっと顔を寄せた。キス……はさすがにできず、鼻先でつん、と頬をつつくことしかできなかった。ふわりとあんこの香りが鼻腔をくすぐる。あずさの口から、ほわ、と吐息が漏れる。


「え、なになに? なにこれ。プロポーズ?」

「違う……けど、違くもない……というか」

「んー、じゃあ……うちとみーこんちを合わせて……小倉東雲和菓子クリニックとかどう?」

「何そのキメラ」


 ふたりで笑いあう。お菓子よりも甘い気持ちになれることってあるんだな。

 あずさの頬に触れた鼻先には、まだ優しいあんこの香りが残っていた。

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