りん子と夕焼け


「三日後の土曜日、学校が終わった後は暇か」


 煌太郎様の口から珍しい言葉がこぼれました。私は開いた口が塞がりません。我が家の玄関を無言しじまが占めます。


「りん子お嬢様」


 後ろで控えていた八重に小さくぽそりと呟かれ、私はハッとしました。


「ええと、はい、問題ありません」

「そうか、良かった。それじゃあその日は空けておいてもらいたいのだが」

「承知致しました」


 去っていく煌太郎様の背中を見送りながら、八重に話し掛けます。


「珍しいこともあるものですね。奏次郎くんならよくありますけど」

「神崎様の中で何かしら変化があったのでしょう。とは言え私ごときでは神崎様のお考えを理解することは出来ませんが」

「そんなこと言わないでください!八重は賢い人ですよ」


 すると八重は数秒目を見開いてからふっ、と笑いました。表情を変えることが少ない八重にしては珍しいことです。


「私は幸せ者です。りん子お嬢様のようなお方に仕えることができて」

「八重に仕えてもらえた私の方が幸せ者ですよ」


 二人して奇妙なことを言い合い、可笑しくなって笑いあいます。

 私は幸せでした。






 ▽







 ▽






「あらまあ、煌太郎様だけですか?」

「何か問題があるのか?」


 女学校の正門で待ち合わせをしていたので、授業が終わって直ぐにそこへ向かうと、もう既に煌太郎様が待っていました。


「いえ……。奏次郎くんもいらしているのかと思っていたものですから」

「奏次郎は連れてこなかった。君と出掛けようと思っていたから」

「…………」


 これ、わざと……じゃないですよね。煌太郎様がこのような高等技術をお持ちになっている訳がありませんものね。純粋な煌太郎様のお気持ちですよね。

 ……何故、口に出してしまったのですか??これは嫌がらせの類いのものでしょうか。女性を人前で赤面させるのが趣味なのですか?随分と鬼畜な趣味ですこと!


「どうかしたか」

「な、何でもございません!それで、今日はどこへ行くのですか?」

「ああ、久し振りに縁日にでも行こうかと思っていたが。君はどこか行きたいところはあるか?」

「縁日、行きたいです!懐かしいですね」


 私に前世の記憶が甦ってから暫くのうちは煌太郎様の中の信用度を上げるために、奏次郎くんも交ぜて縁日に行ったものです。今はその必要が無いので行くのは本当に久し振りです。

 煌太郎様のお家の馬車に乗って近くの縁日に向かいます。屋台が沢山出ていますね。いつ来てもこういった場所は人で賑わっているので、騒ぐのは苦手だけれど楽しい雰囲気が好きな私にはぴったりの場所です。


「何か買ってやろう。欲しいものはありそうか?」

「そんな、申し訳ないです。煌太郎様に買っていただくなんて、いくら婚約者でも」

「それなんだが」


 煌太郎様が突然仰りました。私の脳内は疑問符で埋め尽くされます。


「まず、俺は君の婚約者。そうだな?」

「? はい」

「それでは君。黄金浦のことをなんと呼んでいる?」

「?? 柊人様、です」

「俺のことは?」

「??? 煌太郎様です……」


 なんです、これ。この問答何が目的なのですか?煌太郎様の様子がおかしいことは最近気になっていた事でしたけど、ここまでとは思ってませんでした。一緒に出掛けている場合ではないのでは?

 煌太郎様は一度軽く咳払いをしてから私を見据えて口を開きます。


「婚約者と、ただの友人を同じような呼び方で呼ぶのは如何いかがなものかと思う」

「……はあ」


 …………つまり?煌太郎様は私が柊人様と呼ぶのが嫌だと?でも柊人様の呼び方の許可を出したのは煌太郎様ですよ。


「自分勝手なことを言っている自覚はあるんだが。一度気になるとそれからずっと引っ掛かって仕方がなくてな」

「……それって」


 駄目よ東堂りん子。それ以上考えては駄目。期待しない、期待しない。


「それでは、何と呼べば良いですか?」

「君の呼びたいように呼んでくれ。無理を言っているのはこちらだ」

「そうですね……煌太郎さん、とかどうですか?」


 すると煌太郎様……煌太郎さんはスンッと真顔になってしまいます。あらら、何か間違えましたかね?


「嫌でしたか?」

「そんなことは無い。これからも頼みたいのだが」

「勿論です。お任せください」


 それから私は煌太郎さんに飴細工を買ってもらい、奏次郎くんへのお土産も選んだりしました。

 いつの間にか縁日を抜けて小高い丘の上に立っていました。この街が見下ろせます。


「夕焼け……綺麗ですね」

「そうだな」


 私も煌太郎さんも夕焼けを一心に眺めていました。世界に私と彼と夕焼けしかないような錯覚をしてしまいそうになります。


 この時の私は、本当に幸せでした。


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