春乃とりん子

 ああ良かった、と春乃は思った。二人は仲良く笑い合っている方が良い。それが春乃の思いだった。

 昨日のことだ。女学校から瞳を潤ませた瑠璃羽が走り出てきたのは。そしてその後自棄やけに沈んだ様子のりん子も現れ、婚約者と帰路についた。

 春乃が瑠璃羽の涙について訊ねると、りん子は気まずそうに『私が泣かせてしまったのです』と囁いた。

 それから一日経った今日、りん子と瑠璃羽がまた笑って会話をしているのを見て、春乃は心から安心したという訳である。


「りん子様、榊さん今日は!」

「あらまあ春乃さん!」


 女学校の談話室で歓談する二人に声を掛けた。二人は現れた春乃を快くその輪に入れる。


「お二人とも仲直りされた様で良かったです」

「え。何故春乃さんがそれを知ってるの!?」

「昨日春乃さんは私たちが一緒に女学校から出なかったところを見ていらしたから。御免なさいね、心配かけてしまって」


 りん子の微笑みに春乃は内心舞い上がりながらも、問題の無いことを伝えた。


「……ねぇ、私春乃さんに聞きたい事があるんだけど」


 瑠璃羽がふと溢した言葉に、春乃とりん子は揃って頭に疑問符を浮かべる。


「聞きたい事、ですか?」

「そう!ついでだからりん子さんにも聞きたいわ!」

「えっ!私にも!?」

「そうね……ここで話すには少し人目が気になるから、私の家に行きましょう」


 くして、春乃たち三人は瑠璃羽の家に向かうことになった。






 ▽







 ▽







 瑠璃羽の邸はとても大きかった。人生の殆どを平民として生きてきた春乃には、瑠璃羽の家は城か何かのように見えたのだ。

 そういえば、と春乃は思う。自分はりん子の家には呼ばれたことが無い。まあ呼ばれたところで、教養もろくに無い自分が粗相をしないという保証もないので、そう気軽に行ける訳ではないが。今回が少し特殊なだけだ。


「それで瑠璃羽さん。聞きたいことって?」

「あのね……春乃さんって婚約者とかいる?」

「はい??」


 余りにも突拍子もない発言に無礼な聞き返しをしてしまった。自分は華族の仲間入りをしてからまだ一年も経っていないのだ。それなのに、婚約者などとは。


「い、いませんいません!」

「そうなの?じゃあ好きな方は?」

「す、すすす好きな方!?!?」


 全くもって意味が分からない。今日の瑠璃羽は自棄に積極的だ。こんな恥ずかしい話題なら、確かにあの談話室で話されたら困る。

 春乃は恥ずかしさの余り両手で顔を覆ってしまった。


「あらあらまあまあ。春乃さん恥ずかしがってしまわれたじゃありませんか。瑠璃羽さんどうなさったのです?」


 りん子が気を遣って春乃の背中を撫でてくれた。


「だって気になったんだもの。それにほら、りん子さんも気になるでしょ?」

「え、ああ成る程」


 何が成る程なのか春乃には全く分からなかったがりん子が言うなら成る程なのだろう。

 それにしても好きな方、か。春乃は自身の顔面を覆う指の隙間からりん子を覗き見た。

 別に春乃は同性が好きだという訳ではない。春乃は男性が好きだし、婚約者は男性がなる予定だ。だからりん子への想いは恋心ではない。純粋な尊敬と崇拝が入り交じったものだ。

 それでも今、春乃の心を占めているのは間違いなくりん子だ。それが恋だと錯覚できるくらいには。


「……私は、今好きな殿方がいらっしゃる訳ではありません」

「……煌太郎様については、どう思われますか?」

「神崎様?」


 りん子の口から出てきた言葉に春乃は首を傾げる。何故ここで彼女の婚約者が出てくるのだろうか。


「神崎様は只優しい方だとしか」

「本当ですか?だって春乃さん、煌太郎様にずっとお礼が言いたかったって前に仰っていたでしょう?」


 春乃の脳裏にあの日の事が思い出された。煌太郎に昔助けてもらったことを感謝したのだが、当の本人は露程も覚えていなかったという話。春乃自身大してそれに執着していなかったので、少々無礼ではあったが一方的にお礼を言ってそれで終わりにしていた。


「お礼についてはもう言ってあります。神崎様は覚えていらっしゃらなかった様でしたが」

「ああやっぱり……。それでは春乃さん、煌太郎様には恋愛感情を抱いていないのですか……?」

「?? 勿論です!」


 意味が余りよく分からず、元気に答えたらりん子は一気に力が抜けた様だった。

 そもそも何故りん子の婚約者に横恋慕したりなどするだろうか。


「春乃さんが神崎様を好きでは無いと分かったから、今度はりん子さんの番ですよ!」

「へ?」


 急に標的となったりん子は困惑の声をあげる。


「りん子さんは神崎様のこと、お好きでしょう?」


 それは春乃も気になる。この手の話は平民でも華族でも結構盛り上がるようだ。


「え、あ、その……。す、好きです……」


 多分先程の春乃より顔を赤くしたりん子が俯きながら小さな声で答えるのを聞くと、春乃と瑠璃羽はによによしながら顔を見合わせた。


「「可愛いー!!」」

「やめてください恥ずかしいです!」

「いつから?いつからお好きなの?」


 瑠璃羽の猛攻にりん子はしどろもどろになりながら答える。


「えっと、結構最近です」

「あれ、でもお二人って幼い頃からご婚約なされていたのではなかったのですか?」

「そうですけど……ちょっといろいろありまして」


 落ち着かない様で視線をあちこち飛ばしながらりん子は答え続けた。その顔はもう茹で蛸みたいなものである。


「りん子様と神崎様がご結婚なされるときには、私も式に呼んでいただけますか?」

「春乃さんまだその話は早いです!」

「そんなことないわよ!りん子さんと神崎様はもうそろそろ結婚するんだから」


 りん子の動きがぴたりと止まった。春乃と瑠璃羽は揃ってりん子を凝視してしまう。


「りん子さん?どうしたの?」

「あ、いえ何でもありません。……そうだ!瑠璃羽さんの話も聞かせてくださいよ!」

「え!?私!?私のはいいですよ~」


 思ってもみなかったりん子からの反撃にたじろぐ瑠璃羽。春乃は少し笑ってしまった。

 こんな時間が続けばいい。大好きな人と、優しいその友人と共に何でもない時を過ごせる時間が。


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