りん子と夏祭り
夏です。連日暑い日が続いています。
この世界の夏もムシムシする嫌な暑さですね。まあ気持ちの良い暑さなんてそうそうありませんが。
私は今、女学校から出された夏休みの課題をしているところです。本を読んでいると思ったでしょう?流石にずっと本を読んでいる訳ではありませんよ。
夏休みはもう一週間と少し程終わりましたが、殆どの時間を家で過ごしています。瑠璃羽さんにはまだ一度も会っていませんし、煌太郎様でも三回か四回程度です。
ああでも煌太郎様と春乃さんをなるべく一緒に居させたいですね。前世でも夏は恋が進む季節の代表でしたから。
あれから私が仲介していない時にも何度か逢っているそうで。全て偶然だと春乃さんは仰っていましたが恐らくゲームのイベントでしょう。
「りん子お嬢様、神崎様がいらしていますよ」
「え?煌太郎様が?」
部屋の外から聞こえた八重の声に私は動かしていた手を止めました。そのまま椅子から立ち上がり八重を迎え入れます。
「一体何の用でしょうか?私何かしてしまいましたかね?」
「弟君様もいらしていたのでお出かけか何かのお誘いではありませんか?」
奏次郎くんもいらしているのなら何処かへ出かける可能性が高いですね。私実は煌太郎様二人で何処かに行ったことは無いのですよね。別にそこはどうでも良いんですけど。
「煌太郎様、奏次郎くん今晩は」
「義姉上!今晩は。急に押し掛けてしまい申し訳ありません」
玄関のドアを開けると煌太郎様が立っており、私はその後ろからひょこっと顔を覗かせている奏次郎くんと言葉を交わしました。
「それで、一体どうしたのです?」
「義姉上と夏祭りに行きたくて。兄上も連れてきたのです」
「あら。勿論私は良いですけど、煌太郎様は良いのですか?」
すると煌太郎様は眉間に皺を刻みながら口を開きました。
「俺は奏次郎が行きたいと言うから着いてきただけだ。一人で行かせるのは危ないからな。別に君のためでは無い」
「そうですか、無理されている訳でないのなら良いのです」
目の端で奏次郎くんが溜め息を吐いているのが見えました。何か気に障ることでもあったのでしょうか?
「りん子お嬢様、浴衣にお着替えなさいますか?」
後ろに控えていた八重がこそっと囁きました。そうですね、何時もは袴で過ごしているので気分を変えて浴衣でも良いでしょう。それにお祭りなら浴衣の方が雰囲気出てますし。
「そうしましょう。……すみませんお二人とも。私は今から急いで着替えますので少しだけお待ちいただけますか?」
「勿論!とびっきり美しい義姉上を見られるのが楽しみです。……序でに兄上を誘惑していただけると幸いです」
奏次郎くんが何か呟いていましたが私の所までは余り聞こえてきませんでした。最近奏次郎くんはよく遠い目をします。悩み事でもあるのでしょうか……。
「それでは応接室でお待ちになっていてください。煌太郎様、書庫に新しい本が入りましたので是非見ていってくださいね」
「本当か」
それまで無表情気味だった煌太郎様のお顔が瞬く間に上機嫌なものに早変わりしました。
▽
▽
八重に浴衣を着付けてもらい、私は煌太郎様、奏次郎くんと馬車に乗ってお祭り会場に来ました。沢山人がいますねぇ~。
「義姉上は何か欲しいものとかありますか?」
「欲しいもの、ですか。うーんそうですねぇ……」
周りを見回すと所狭しと並ぶ屋台が目に入りますがこれといって欲しいと思うものはありません。
「あ」
不意に奏次郎くんが呟きました。彼の視線の先には射的の屋台があります。懐かしいですね。
「兄上射的です!」
「射的だな」
「懐かしいですね!!」
「……何か取ってやろう」
煌太郎様は少しだけ微笑んで屋台へ向かいました。昔お祭りに行くと奏次郎くんは必ず煌太郎様に射的で景品を取ってもらっていました。もう奏次郎くんだって射的をするのくらい出来ると思いますがそうしないのがこの兄弟の可愛らしいところでもあります。
煌太郎様は屋台の人にお金を渡し、銃を受け取ると片目を閉じて狙いを定めました。
……かっこいいですね。やっぱり顔が良いのです。
「ほら」
「有難うございます!わあっキャラメルだ!」
そうでした。煌太郎様は毎回キャラメルを奏次郎くんに取ってあげていたのです。大きくなってからお祭りに行くことは少なくなっていましたが煌太郎様はまだ覚えていたのですね。
「あら、煌太郎様まだ何か取るのですか?」
「ああ」
奏次郎くんへあげていたものはキャラメルだけだったはずですが?成長した奏次郎くんのために何か新しい物を取るのでしょうか。
煌太郎様の操る銃の銃口が向かう先は『髪飾り』と書かれた箱です。分かりました、煌太郎様のお母様へのプレゼントですね。簪は御守りにもなりますから。
「これは君に」
煌太郎様は難なく手に入れた美しい簪を私に差し出して仰います。
……あら?あららら?これ簪、ですよね……。え、お母様に贈るのではないのですか……?
「要らなかっただろうか」
「あ、いえそんな!……ただこれが私にだとは思いもしなかったので」
「まあ君は何時もリボンを使っているから
「いえ!有難う、ございます」
小さく震える手で煌太郎様から差し出されたそれを受け取ります。心の奥がじんわり暖かくなって少しだけ口角が上がってしまいます。春乃さんと幸せになってほしいという思いが大きいですが、煌太郎様は私のすきなひとですから嬉しくなってしまうのです。
頂いた簪をいそいそと巾着に仕舞っていると後ろから声を掛けられました。
「りん子様?」
「あらまあ春乃さん!」
そこには幾人かのお友達らしき女の子とお祭りに来ていた春乃さんがいました。
春乃さんはお友達に断って私達の方へ駆け寄って来ます。
「りん子様もお祭りに来ていらしたのですね!」
「ええ、煌太郎様と彼の弟君様と共に」
「神崎様、今晩は。この間は有難うございました」
「え!?兄上はこの方とお会いになられた事があるのですか!?」
急に奏次郎くんが大声を上げました。何か気になる事があったのでしょうか?
「ああ。この間本屋で会ったんだ。彼女の母君に贈る本を見繕うのを手伝って」
「そ、そうですか……」
そのまま奏次郎くんはぶつぶつと考え事をしてしまいました。こうなると彼は自分の世界から帰ってくるのに時間がかかるのですよね……。
それでも今は奏次郎くんをこちらに戻してしまわなくてはなりません。今がチャンスです!二人きりにしなくては!
「奏次郎くん」
「義姉上。どうかしましたか」
「私、あっちの方の屋台も見てみたいのです。一緒に来てくださいませんか?」
「それなら兄上と行かれるのが良いと思いますよ!」
おっとこれはよろしくありませんね。奏次郎くんの空気を読むスキルが今ばかりは不都合です……。
「煌太郎様は春乃さんにお祭りを案内してあげてはいかがですか?春乃さん、ここへ来たばかりですし!」
「私りん子様に案内してもらいた――」
「それでは煌太郎様、よろしくお願いいたしますね!」
春乃さんが何か言っていた様な気がしますが、皆まで聞かず奏次郎くんの手を取り、人波を縫って歩きだします。
御免なさい奏次郎くん。貴方の気遣いを無駄にしてしまいました。でもこちらの方が大事なのです!
ちらりと後ろを振り向くと煌太郎様と春乃さんが見えました。何やら話をしているようです。二人の立ち姿はとてもお似合いで先程暖かくなった心がきゅうっと痛くなりました。
でも、気が付かない振りをします。
「義姉上!急にどうしたのです?兄上の所に戻りましょう」
「駄目ですよ奏次郎くん。二人きりにしてあげましょう」
そう言うと奏次郎くんは泣きそうでいて歯痒そうな顔つきをします。
「何故です……!兄上の婚約者は義姉上じゃないですか!」
「……今は、ですよ」
どうして奏次郎くんがそんなに悲しそうな顔をするのでしょう。私は彼の絶望した表情を見ていられず、そっとその背を撫でました。
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