りん子と春乃


「ねぇ楓。私ずっとこれは煌太郎様ルートだと思ってたんだけどそれは本当なのかしら?」


 私の部屋のベッド上で微睡まどろんでいた可愛い可愛い愛猫あいびょう――楓を撫でながら問い掛けます。当然ながら彼は真っ当な猫なので私の質問に答えることもなくただ一度こちらを見ただけでした。

 私はこれ迄ずっと春乃さんは煌太郎様を選ぶ前提で色々な事を考えてきていましたが昨夜ふと思ったのです。この世界は本当に煌太郎様が選ばれる展開を迎えるのだろうかと。

 有り得ない話ではありません。よく考えれば柊人様だって奏次郎くんだって攻略対象である可能性は大いにあります。二人とも顔立ちは恐ろしい程整っていますし。

 私の希望としては勿論煌太郎様を選んでもらいたいですが春乃さん自身の意思もあるでしょうから強要は出来ません。


「はぁー……。どうしましょうねぇ」


 溜め息をくと同時に部屋の扉がノックされます。


「りん子お嬢様、八重です。紅茶をお持ちしました」

「あら、有難うございます。入って良いですよ」


 八重はそろそろと部屋に入り、机の上に紅茶の入ったカップを置いてくれました。ハイカラな物がお好きなお父様とお母様の趣味で家には結構洋風の物があります。この街で『西洋のお屋敷』と言えば東堂邸が連想されますし。


「最近お疲れの様ですが、大丈夫ですか」

「ええ、問題ありませんよ」


 にっこり笑うと八重は私をじいっと見てそれから諦めたように視線を逸らしました。

 八重が部屋を出てから私はまた物思いに沈みます。この間煌太郎様と出会いイベントをやったとしてもまだ他の二人とのイベントがあるかも知れませんよね。というか攻略対象ってもう出揃っているのでしょうか?若しかして増えたりします?倍率増えるじゃないですか!!

 あ、でもそうなると悪役令嬢も増えることになるのでしょうか?奏次郎くんは長男の煌太郎様に私という婚約者が居るのでまだ婚約していませんが、柊人様はしているのでは……?こういう小説は前世で余り読まなかったので勝手が分かりません……!

 とりあえず春乃さんに接触してみることにしましょうか。






 ▽






 ▽





 その日は案外早く来ました。

 馬車で帰る日だった為、女学校の門の前で本を読みながら馬車を待っていたのです。勿論例の宮嶋先生の新刊を読んでいたのですよ。


「あの、困ります。私、迎えが来るのを待ってて……っ!」


 集中していた頭にふっと声が入ってきます。聞き覚えのあるそれに私は直ぐ様視線を向けました。

 若草春乃さん。彼女が柄の悪い一人の男性に声を掛けられていたのです。前世でいうナンパのような感じでしょうか。この時代にもあるのですね。男性の方は嫌がる春乃さんを無視して何処かへ連れていこうとしています。

 こうしてはいられません。私は急いで彼らに駆け寄り、春乃さんの腕を引く男の手を掴みました。


「すみません、彼女は私のお友だちなのです。手を離していただけませんか」

「ああ!?誰だお前って……へぇ、お嬢ちゃんなかなか別嬪べっぴんさんじゃねぇか。一緒に来い……よ……」


 始めは私を睨んでいたものが次第に品定めをする視線に変わります。そしてそのまま全身を舐め回す様に眺め、見付けてしまったのです。私の袴に入れられたの家紋を。東堂はこの辺り一帯のお金、土地、仕事等色々なものを牛耳っている名家ですからね。わざわざ手を出す馬鹿はいません。煌太郎様の神崎家も同様です。


「離して、いただけますか」


 もう一度告げると彼は悔しそうな表情をして逃げていきました。こういう時に役立ちますね、権力。権力万歳です。

 私は背中に庇っていた春乃さんを振り返ります。


「すみません、急に声を掛けてしまって。びっくりさせてしまいましたね」

「…………」

「……あの……?」

「あ、御免ごめんなさい!本当に助かりました。有難うございます」


 春乃さんは一度私を凝視してから慌てて頭を下げました。そんなことしなくても良いんですよ~!可愛い女の子に頭を下げさせるなんて私、悪役令嬢っぽいじゃないですか!!


「頭を上げてください!私そんなに感謝されるようなことしていませんよ」


 実際私は権力に物言わせただけですし……。権力万歳とか思ってただけです。


「いいえ、本当に本当に助かりました。このご恩は一生忘れません!」

「是非忘れてください」


 つい呟いてしまいました。私なんかの事ずっと覚えていなくて良いので煌太郎様への恋心を速攻で抱いていただきたい気持ちで一杯です。


「えっと、お名前を伺っても宜しいですか?私は若草春乃と申します!」

「東堂りん子と言います。どうぞ宜しくお願いいたします」

「りん子様!はい、宜しくお願いします!……あ」


 春乃さんが恐らく私越しに誰かを見ています。私も後ろを振り返りました。


「あら、煌太郎様。こちらに何かご用事が?」


 そこにいたのは我が婚約者様である煌太郎様でした。一体何故でしょう?


「奏次郎の為に画材屋に行こうと思ってな。君こそ何をしているんだ」

「少しだけ色々ありまして。馬車が来たら帰ります。ああそうだ、煌太郎様。彼女この間手巾を飛ばしてしまった方ですよ。覚えていますか?」


 そう訊ねると煌太郎様は私の後ろで隠れている春乃さんをじっと見詰めます。あ、この感じ駄目ですかね。煌太郎様多分誰か分かっていません。


「いや、分からん」


 ですよねー。そうですよねー。学問と家族以外に特に興味の無い朴念仁の煌太郎様にはまだちょっと早かったですねー。

 落胆を隠しながら少し煌太郎様とお話をして、彼の背中を見送りながら気が付きました。

 あれ、若しかして私、煌太郎様のイベント奪ったりしてしまったのでは??

 だって余りにも煌太郎様がここへ来たタイミングが良すぎます。若しもこれが煌太郎様のイベントだったらどうしましょう!!他の方よりもアピール回数が減ってしまったということです。これは由々しき事態ですよ……。


「あのりん子様、どうかなさりましたか?」

「あら御免なさい春乃さん。考え事をしていただけです。春乃さんは迎えの馬車が来たりしますか?」

「いえ、その、お恥ずかしながら私は歩いていまして……」


 顔をほんのり赤くさせながら春乃さんはそう言いました。うっ!可愛いです。矢張ヒロインは強いですね。

 確かに歩いて女学校へ行ったり帰ったりするのは華族では珍しいかも知れませんが、存外普通の事ではないでしょうか。まあ徒歩で帰ったりする事がある私が言えたことではないのですが。


「それなら私の馬車で帰りましょう。御者さんは優しいですから少しの寄り道くらい許してくださいますよ」


 なんて言っていますが、私はただ春乃さんと話したいだけなのです。打算まみれでございます。悪役令嬢って感じですね。


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