りん子と婚約者

「さてさて、困りましたね。どうしましょう」


 私が目覚めてから二日が経ちましたが、依然としてベッドの上で過ごすことを余儀なく強いられています。そして今日、例の婚約者が私を見舞いに来るらしいのです。正直言って来ないでくれると助かります。

 まあ婚約者のお見舞いに行かないのは体裁がよろしくないのでしょう。仕方の無いことです。

 八重に怪しまれながらもなんとか手に入れた情報によれば、彼は同い年の九歳だそう。小学校三年生辺りの男子を相手するのはブランクがありすぎて気が重いですね。

 家柄は私と殆ど変わらず、華族のお家に生まれた長男で頭が本当に良いのだとか。ああそれからお名前は神崎かんざき煌太郎こうたろう様とのこと。全く聞き覚えが無いうえに顔が思い出されることもありませんでした。残念ですね、ええ本当に残念です。

 午後に来られるということなので一眠りしてしまいましょうか。









 ▽











 ▽










 お昼頃にナツに起こされ、軽い昼食を摂ってから煌太郎様の来訪に備えて身嗜みを整えました。流石に寝間着で婚約者に会えるほど私の肝は座っていません。

 もうベッドから降りても良いと思っているのですがお父様とお母様がそれを許してくださらない為、大人しく連日ベッドの上で暇をもてあそんでいます。


「はぁ~。嫌だわ、会いたくない……」

「りん子お嬢様は神崎様のことをお嫌いになられてしまわれたのですか?あんなに首ったけでしたのに」


 八重は私の髪をかしながらたずねます。


「嫌いという訳ではないのですが得体が知れない者への恐怖というか……ん?ちょっと待ってください?私煌太郎様に首ったけだったのですか!?」

「ええ。神崎様とお逢いになられた日はそれはそれは楽しそうでした」


 八重の返答に背筋が凍ります。嫌なことを聞いてしまいました。私は何故かゲームに関係のある人物、即ち煌太郎様に関しての記憶は完全にリセットされているので今までの自分がどういう風に彼に接していたのか分からないのです。

 彼に夢中だったのなら如何いかにも『貴方様に恋をしております!!』みたいな反応をした方が良いのでしょうか?それは私の性格的にあまり向かないので、できれば遠慮したいのですが。


何時いつもの髪飾りに致しますか?それとも違う物に?」


 必要以上に飾り立てられた髪飾りを見せられ、「あらら」と呟いてしまいます。確かにには似合うのでしょうがそれをが身に付けるのは気後れがします……。


「他の物を見せてくれるかしら?」

「承知致しました」


 八重は一度部屋を出るとその手に色とりどりのリボンや髪飾りを持って直ぐに戻ってきました。


「そうですねぇ……ああ、これが良いです」


 私が選び出したのはシンプルな赤い幅広リボン。私はこう見えてリボンが好きなのです。


「随分とご趣味がお変わりになられたのですね……」

「変かしら……?」

「いいえ、そんなこと絶対にありません。りん子お嬢様はどのような格好をされても美しいですから」


 そう自信を持って断言する八重。嬉しいけど恥ずかしいですね。


「そうか……そうだわ!」

「りん子お嬢様?どうされました?」


 ハーフアップにした髪にリボンを結んでいた八重の手が止まりました。ハーフアップは私が好きで八重に教えてやってもらっているのです。て、そんなことはどうでも良くてですね。

 これから私は沢山の決断をしていくのでしょう。その決断は私がするのです。まりこれは人生なので、無理に東堂りん子をなぞる必要は無いということ。気付いてしまえばなんだか心が軽くなりました。


「りん子お嬢様……?」

「何でもありませんよ。さあ頑張って乗り切りましょうね!」

「乗り切る……そんなに嫌なら会わなくても良いのですよ!」

「あ。違うのですよ、楽しみです!」


 八重が切羽詰まって言うので私は焦ってそう言いました。八重はちょっと過保護すぎな気がしますね。ナツに似ています。








 ▽












 ▽









 八重が連れてきたのは美しい少年でした。りん子も美しいですがそれとはまた種類の違うもので、彼はまるで造形物のような美しさです。

 短く切り揃えられた黒髪に切れ長の二重。スッと筋の通った鼻と形の良い唇。神崎煌太郎という少年は此の世のものでは無いのではなかろうか、と思わせる程の美少年でした。

 八重が立ち去って沈黙が部屋を占めます。気まずいったらありません。


「……三日寝込んだと聞いた。大事ないか」


 煌太郎様は私の居るベッドから少し離れた所に突っ立ってそう問われました。その瞳には特に何の感情も無いように見えます。それはそれで手古摺てこずりそうです。

 これは予想でしかありませんが、しかしたらりん子だけが煌太郎様のことを好いていたのではないでしょうか。煌太郎様の中でりん子の印象が最悪だったらどうしましょう。なんとか普通くらいに登り詰めたいものです。

 私は煌太郎様に失礼で無いよう言葉を返しました。


「はい、今はもう元気です。このような所からのご挨拶となってしまい申し訳ありません」


 深々と頭を下げると何とも言えない無言しじまが私たちを包みます。

 そろそろと顔を上げると僅かに目を見張ってこちらを凝視する煌太郎様が。あらまあ、デジャブですね。


「あの……煌太郎様?」

「……すまない、気にしないでくれ」


 それきり、煌太郎様は私から視線を逸らしてしまい最後まで窓の外を眺めていました。その間交わした言葉はごく少数で、元気になったのなら尋常小学校に来れるのだろうかということ。どうやらりん子は週に一度婚約者と共に学校に行っていたようで、恐れ多いことに彼に迎えに来させていたようです。申し訳ないので止めてもらいました。その時も煌太郎様は違和感を感じていたご様子でしたので、きっと今の私とりん子は全然違うのでしょうね。

 煌太郎様がお帰りになられてから私は彼になるべく干渉しないようにしようと決意しました。今まで多くの心労を与えてきてしまったのでしょうからせめてもの罪滅ぼしです。


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