夜空に星の流れるとき
第4話 星が落ちた!
ある夜、いつものようにバルバラがおやすみを言ってランプを運び出してしまってから、ぼくはカーテンを開けて星を眺めていた。星は今夜もいつものように、いや、それ以上にきらきらと輝き、落ちて来やしないかというくらいに空一面で光っていた。
「今日は星がずいぶんチカチカする気がする。まるで騒いでいるみたいだ」
ぼくはそんな風に思っていた。
すると、いつもと違う夜空にもうひとつ違うことが起こった。屋根の裏からぼくが眺める方角に向かって光の玉が過ぎていき、そのまま大地に落下したのだ。
その夜、町ははひどい有様になった。光の玉が落ちた瞬間、地鳴りがして次にはとてつもない風が襲ってきた。ぼくの家はなんとか助かったけれど、どこかでは窓ガラスか何かの割れる音さえして、あちこちから悲鳴が上がった。
少しだけ身を隠した後、ぼくは外の様子を見た。通りには大人もこどもも出てきていて、赤く燃える山の中腹を指さしていた。犬はわめくし、こどもの泣き声も聞こえてきていた。
「マリウスさん、大丈夫でしたか? ものすごい地震がありましたね!」
バルバラがランプを手に慌てた様子で入ってきた。ぼくは興奮してバルバラに見たことを話した。
「星が落ちてきたんだよ。ものすごく明るく燃えた星だった」
「起きていたんですか? え、何かが落ちてきたんですか?」
そこまで言ったとき、バルバラは顔を青くした。
「それは……大砲の弾かもしれませんね。新型の大砲で襲われたのかも! ああ、なんてこと!」
バルバラは階下の父と母にそのことを伝えに行った。ぼくも下に降りていこうとしたけれど、バルバラに「危ないから大人しくしていなさい」と強く言われ、仕方なくベッドで待っていた。こっそりまた窓から下を眺めると、家から出てきた父が周りの大人たちに何か話して、それから町の中心に走っていった。そうして一晩中、町は喧噪に包まれた。
戦争が始まるかと思われた一夜だったけれど、朝になると疲れた人たちが家に戻ってきて、みんな少し遅めに仕事に取りかかっていた。少しばかり調子は狂って、みんな昨夜の事件について語るけれど、町はいつもとさほど変わりはしなかった。
学校は数日間休みになった。町が慌ただしくてこどもにまで手が回らないというのが理由だった。たくさんの大人が星が落ちたあたりに向かい、何が落ちたのかを調べたと聞いた。落下地点はやはり小高い丘の上だった。地面は吹き飛んで大きな穴が開いていたらしい。その中心には鉄の砲弾ではなくて、まだ真っ赤に燃えている小さな岩があり、大人たちもぼくが言ったとおりに星が落ちてきたのだろうと結論づけた。
数日後、再開した学校ではこの話で持ちきりだった。みんな、星が落ちたなんてことを信じられなくて、大人たちが何かを隠しているんじゃないかと勘ぐるものもいた。ぼくは自分の目で星を見ていたけれど、わざわざ出ていって水掛け論をやっても仕方ないと黙っていた。何人かが山に登って星の落下地点を見にいったらしいけど、道が悪くて途中で引き返したということだった。新しい情報はそれから特に入ってくるわけでもなかった。
町は次第に元の姿に戻っていった。兵隊に取り囲まれることもないし、犬は吠えるのをやめたし、新しい星も落ちてこない、窓ガラスも入れ替えられた。二週間もするとみんな星のことなど忘れてしまった。
流れ星を忘れないで夜空を見上げ、授業中でも青空を見上げているのはぼくくらいだった。
――落ちた星とはどんなものなのなんだろう。
そんなことを考えながら、また先生に教鞭で叩かれていた。
星が落ちたとき、バルバラは戦争が始まったのだとひどく動揺していた。バルバラがそこまで取り乱したのを見たことがなかったので、ぼくも最初こそ、本当に戦争なのかもしれないと考えたことは事実だった。
それに対して、父と母はそれほど戦争の勃発については本気に取っていなかったようだ。バルバラが大慌てなのを理解はしていたようだが、ふたりはバルバラをなだめて落ち着かせようとしていた。
「バルバラの慌て様ったらなかったね」
ぼくは笑い話として母にそう言ったけれど、母は真剣な目でぼくを見て落ち着いていった。
「バルバラはね、今から十年くらい前の戦争に巻き込まれたのよ。戦場のすぐ近くに住んでいて街道沿いに軍隊があちこちを占拠して、どこにもいけないし、ものは持っていかれるし……。軍隊がいるんだから、もちろんそこに砲撃されたこともあったらしいわ。だから、バルバラが慌てるのは無理がないの。あの顔の傷だって、そうなんだよ。だからあなた、そんなことを言ってバルバラをからかわないでね」
そんな理由があったとはまったく想像もしていなかった。ぼくは笑い話にしたことを恥ずかしく思ったし、たとえ本人に言ったわけでなくとも、バルバラには悪いことをしてしまったと反省した。しばらくバルバラには後ろめたさを感じてしまい、ぼくはしゅんとしてしまっていた。
十年前の戦争はぼくも知らないわけではなかった。けれど、生まれた頃のことだし、ただ「あった」ということしか知らなかった。気になったので図書館に行って調べてみた。あまり大したことのない図書館で、戦争について製本されたものはなかったけれど、新聞の地方紙は残っていた。
戦争についての詳しいことはわからなかったけれど、ずっと仲が悪いと聞いている隣国との国境線で起こったことはわかった。聞いたことのある町、聞いたことのない今はもうない町、そのいくつかが焼かれ、あるいは相手の国を焼いたりしていたようだ。断続的に続く戦闘でたくさんの人が死んだ。最終的に、戦争は国境をまったく変更することなく停戦協定が結ばれた。
「バルバラはそんなところに住んでいたのか」
バルバラはきっと、星の落下で砲弾が飛んできた日を思い出したのだろう。開戦後、いったいどんな風にして逃げ延びたのか、ぼくは考えてみた。ぼくが知っている限りでは最近は戦争はない。新聞の写真には持てるだけのものを持ち、夫婦や親子でぞろぞろと逃げていく様子が映されてる。
それがどんな様子だったのか、バルバラがそんな様子だったのかぼくは聞きたくなった。母には別に「聞いてはいけない」とは口止めされていなかったし、ぼくが最初にからかおうとしていたことはもうずっと心の奥底にしまい込んでいた。何より、バルバラが辿った運命というものに興味があった。
次の日曜、午後に洗濯物を取り込んでいるバルバラの後ろからぼくはこの前の流れ星の話をした。
「この前の流れ星、すごかったよね」
バルバラは服を取り込む手を止めずに「そうでしたねえ」と答えた。
「この前、ずいぶん慌てていたけど、バルバラって戦争に巻き込まれたんだって?」
「まあ……誰に聞いたんです?」
バルバラは振り返って驚いた目でぼくを見た。
「母さんに聞いたんだ。ねえ、大砲って流れ星が落ちるのと同じくらい大きな音がするの?」
ぼくはこのあたりから少し後悔し始めていた。バルバラがとても悲しそうな顔をしていたからだった。あまり深く聞かずに立ち去った方がいいかもしれない、とぼくは考え直していた。
けれど、バルバラはいろいろな話をしてくれた。
「そうですね、砲撃のひとつひとつはこの前の流れ星くらいあったかもしれません。間近に落ちたことはないですが。でも、見えるくらいの距離であんなのが次々に降ってきて地面を吹き飛ばしていくんです。町外れの家ではついに庭先に一発撃ち込まれたらしくて、家はほとんど残っていませんでした」
「命からがらで逃げていきましたが、前線近くでは非常線が張られて遠くへは逃げられませんでした。そのうちに戦線が広まって、なんとか逃げて……という具合に。そうしているうちに知っている顔の人たちとも散り散りになってしまって、心細かったものですよ」
「バルバラはひとりきりだったの?」
「最初は……夫と一緒でしたよ。夫は仕事で軍事物資を運んでいたんです、逃げるにしてもお金がいりますから。それで……夫は巻き込まれて死んでしまいました。まあ、生きて帰ってこなかった言うだけで、死んだ顔を見たわけではないんですが。待っていても来ませんでした」
「ねえ、マリウスさん。戦争はいろいろなものを奪っていきます。だから、私は慌てたんですよ。大事な人たちをまた失ったりしたくないって、もう心配で心配で」
バルバラはほとんど泣きそうに、いや、もう涙がこぼれる寸前だった。スンスンと鼻を鳴らしていた。
「そんなに怖かったんだ……」
ぼくの言葉に何度も頷いたバルバラはまた物干し台に向かって洗濯物を取り始めた。黙ってしまった背中を見て、ぼくはその場を後にした。
夜、いつものようにバルバラがランプを持っていった後、星を見ながら考えた。
「戦争なんてなければ、バルバラももっとしあわせな生活をしていたんだろうな」
そして急に、ぼくはそれがバルバラがうちに来るか来ないかの人生の分岐点になっていることに気付いた。戦争がなければうちにも来なかったのかもしれない、と。
バルバラの本当の幸せを考えながら、ぼくはバルバラがいる自分の幸せな生活を考えて、秤にかけてしまった。
いろいろと複雑な気持ちを抱えて、その夜は早めに眠りについた。
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