第5話
やっと見られたシャーナさんの顔は。
ゾクッとするほど綺麗な……女の人だった。
切れ長の目、ツンと尖った鼻、化粧もしていないだろうに紅色の唇。
「神様……」
シャーナさんが顔を上げ、俺と目を合わせた。
琥珀色した瞳に潤むもの。
美人は泣き顔も綺麗だと言うけれど、ああ間違いない、シャーナさんは美人だ。
俺の顔を見て、泣きそうな顔をして、呟いた。
「やっと、御降臨くださったのですね……」
さて、何と言うべきか。
俺に神様みたいなことができることは分かった。そして生神になりたいと言ってここに来たのも覚えている。端末の反応を見ても、俺がこの「モーメント」なる世界の神様になったんだろうが、こういう場合、何と言ったらいいものか。
その時。
きゅうるるる……。
シャーナさんの顔が赤く染まった。
「も……申し訳ありません……」
穴があったら入りたい、というような表情のシャーナさん。
「神子に選ばれた者でありながら、空腹に負けるなど……」
ふと、俺は上空からこの世界を見た時のことを思い出した。
空は何処までも青く澄んでいたけれど。大地は荒れ果て、海は茶色く濁っていた。
滅びかけている世界、であれば、食べ物なんか手に入るはずもない。
あの海に魚がいるとは思えないし、あの大地に動植物が生きられるとも思えない。
そんな世界に最後に生き残っているのが人間で、シャーナさんもその一人だと思った。
とりあえず、なんかないか。
俺は【神威】のアプリを開いた。
使えるのは【再生】と【神子認定】と【浄化】。俺の現在のレベルではまだまだそこまでだ。
【神子認定】はとりあえず関係ないな。【再生】と【浄化】でなんかできないか……。
あ。
「……食糧庫はある?」
「あ、は、はい」
消え入りそうな声でシャーナさんは言った。
「ただ……全部腐っています……。両親がほとんど飲まず食わずで遺してくれたのですが……」
つまり、それだけ長い間、シャーナさんは一人空腹と……恐らくは渇きに耐えながら、ここで祈っていたのだ。
そう考えると、とにかく何とかしてあげたいと思うのが人間だろう。
俺はシャーナさんと一緒に、神殿の地下貯蔵庫に向かった。
地下貯蔵庫は綺麗になっていたけど、シャーナさんの言う通り、食べ物は全部腐っていた。燻製肉や干し魚はカビにやられているし、その他の物も全部アウト。
酒……多分ワイン……の樽も、顔を近付ければ酸っぱいニオイが感じられる。
要するに、俺が【再生】したのは神殿で、食糧ではないということだ。
M端末を出し、目の前の腐った食糧に向ける。
【神威:再生:食糧】を選び、Yを押す。
次の瞬間。
腐ったパンやかびた燻製肉が、焼き立てふわふわパンやいつでも食べられる真新しい香ばしい燻製肉に早変わり。
「すごい! 神様の御力……食べ物が……このモーメントにもたらされて……」
感激に目を潤ませるシャーナさん。
俺はパンを手に取った。
カチカチの上腐っていたパンは、焼きたての香りさえ漂わせている。
でも、元が腐ってたんだ、確認してからでないと渡せないよな。
一切れ千切って、口の中に放り込んだ。
……うん、美味い。焼き立てパンの味だ。異臭や異常は感じられない。
これなら大丈夫かな。
「ほら」
俺はシャーナさんに、ひとかけら千切ったパンを差し出した。
「俺が食べて大丈夫だったから、多分大丈夫だと思う」
シャーナさんの目に、見る見る光るものが。
「ちょ……なんで泣くの、俺なんかした?!」
「い、いえ! そうではなく……そうではなくて……」
手の甲で涙を拭って、シャーナさんは微笑んだ。
「ありがとうございます。いただきます」
「ああ。……急いで食べたら駄目だよ」
俺は慌てて付け加えた。
「水分と一緒に、ゆっくり、よく噛んで食べるんだ。飢えて食べると胃袋がびっくりするから」
胃袋、の意味が分からなかったのか、でもシャーナさんは頷いて、ゆっくりゆっくりパンを食べる。
空腹にワインはまずかろう、と、グラスに注いだワインを【浄化】して、綺麗な水にしてから一応毒見して大丈夫だと確認してシャーナさんに渡すと、シャーナさんは何度も何度も頭を下げて、俺が言った通りにゆっくり、ゆっくりと食事を進めた。
「ありがとう、ございました」
一時間ほどかけて、やっと満足したのか、シャーナさんは食べる手を止めた。
「空腹に負けて、お見苦しい姿を見せたことをお許しください。そして、その御力で神殿を再生したにも拘らず、毒見までして頂いたこと、非常に嬉しく思います。モーメントに降臨したのがこんなに優しい神様だったなんて……」
また震え出す声を押し殺すように、シャーナさんは奇妙に低い声で言った。
「私はこの神殿の守主、リザー家最後の生き残り、シャーナ。リザー家の役割は、滅びゆく世界に降臨する神様をお助けすることです」
「俺は遠矢真悟。……生神、なんだろうな。多分。なんかこの世界をやるって言われた」
シャーナさんは微笑んだ。
まずい。今まで見たどの女の人より綺麗だ。
まだ目は潤んでキラキラしてる。がりがりに痩せ細ってはいるけれど、これからちゃんと食事をできたなら、きっとすらっとした感じの美人になるだろう。
まだ立ち続けているのが辛そうなので、俺は俺も座るから君も座ってと神様の前でそんなとか何とかいうシャーナさんを何とか座らせて、話の続きを始めた。
「この神殿には言い伝えがあるのです」
「言い伝え」
「はい。この神殿は、モーメントにあるどの神殿より古く、伝統があります。しかし仕える神はいない。今はもういない古き神の神殿だと言われていました。だから、リザー家以外でこの神殿に祈る人はいません。その血筋もわたくし一人になってしまいましたが」
「でもシャーナさんは祈ってるんだろう? リザー家の人たちも」
「そ、そんな畏れ多い!」
シャーナさんは座ったまま飛び上がるという器用なことをやって、それから俺に向かってひれ伏した。
「ど、どうぞ、シャーナと、お呼び捨て下さい。この世界で、貴方様がさん、などと呼びつける必要はありません。そんな不敬を……」
……う~ん。無神教徒日本人からすると、この感覚は分からない。
自分と同年代であろう彼女相手を呼び捨てるのは、俺のポリシーじゃない。だけど、このまま話が進まないのもどうもなあ……。
彼女は顔も上げない。『不敬」だからなんだろうけど、これもなあ。
「……、じゃあ、シャーナ。顔を上げて、答えてほしい。リザー家の人たちが、この神殿で、祈る必要があったんだ?」
「……はい」
シャーナさんはそろそろと顔を上げた。俺と目が合う。
「も、申し訳ございませんっ!」
「うん、視線が合ったくらいで俺は怒らないから、話を続けてくれる?」
どうやら話以外の所で長くなりそうだ。
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