第2話
三日前。
オレは疲れ切って町を歩いていた。
何故かというと、二桁目の会社の面接を終えたから。
在学中に就職先が見つからなかったので、なけなしの金で買ったスーツで、中途採用の会社に履歴書を送りまくっていた。
そのうちの一社の面接を終えて、家に帰る途中だったのだ。
緊張して話していたので、喉が渇いてきて、持ち歩いている水筒に口をつけて……一滴もないのに気付いた。
何で面接が終わって帰るのにここまで喉が渇くんだろう。
とはいえ、貧乏暮らしの俺に、自販機でミネラルウォーターを買うという選択肢はない。コンビニ? そんな魔の住む場所、行ったことない。
どっか水飲むところないかな。トイレでもあれば洗面所で飲めるんだが。
きょろきょろと見回して、何か黒いものに気付いた。
黒スーツと黒サングラスの……おじいさん?
白い髪に白いひげ、赤い服を着ていれば痩せ気味のサンタクロースにも見えるおじいさんが、ぐったりと道端で座り込んでいた。
どうしたんだろう。何か病気?
おじいさんの姿が、高一の時亡くなったおじさんに重なって、俺は慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
おじいさんはゆっくりとこっちを見上げて……サングラスしていても分かるほど、驚いた顔をした。
「……何か用か?」
「あ、いえ、具合でも悪いのかなって」
ヘルプマークはないけれど、具合が悪そうだったら救急車を呼ばないと。未だガラケーを使っているけど緊急連絡には問題はないはずだ。
「……すまんな、ちょっと疲れただけだ」
「具合が悪いなら救急車を呼びますよ」
「大丈夫だ……喉が渇いただけだ。この年になると、それだけでも具合が悪くなる」
「ちょっと待っててください」
俺は魔窟に飛び込んだ。
魔窟と呼ぶコンビニには色々なものがお高い値段で売られていたけど、俺は真っ直ぐに行って冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出すとレジに行く。
百円。
う~ん、高い。
家の水道水ならもっと安いのに。
だけどまさか喉が渇いているならそこらのトイレの水でも飲めなんて言えない。俺だったらどんな水でも飲むけど、あのおじいさんが飲んでお腹でも壊したらどうする。
五十円玉と十円玉をさらえて差し出して、全力でおじいさんの所へ戻った。
「……?」
ぐったりと座り込んでいたおじいさん。サングラスで表情がよくわからないが、多分お疲れなんだろう。
「水です」
俺はミネラルウォーターを渡した。
「買ってきてくれたのか?」
ミネラルウォーターと俺を交互に見て、おじいさんは言った。
「自分だって金がないだろうに……」
「え」
何で俺が貧乏だって分かったんだ? 俺、貧乏くささが肌に染みついてる?
「いや、いや、そうじゃない」
おじいさんは手を振った。
「この六月に求職中ってことは、どうしても就職しなければならない理由がある。そして働かなければならない理由は、金がないということだろう」
「……当たりです」
「すまんな、君の素性をどうこう言うつもりはなかった」
おじいさんは頭を下げる。
「ありがたくいただくよ」
おじいさんは両手で水を受け取ると、ペットボトルの蓋を開いて口に当てた。
ごくっ、ごくっと、御老体には厳しいんじゃないかって思うくらい一気飲みする。
ペットボトルが空になって、おじいさんは頭を下げる。
「本当にありがとう。助かった」
「よかった」
「そんな若いのに、わざわざこんなじいさんに親切にしてくれて感謝する」
「いえ、当然のことをしたまでで」
おじさんは言っていた。困っている人は、可能な限り助けてやれって。
情けは人の為ならず、という。誰かを助けたら、その行いは必ず自分の身に戻ってくる。だからと言って、恩返しを目的に人を助けるな。下心のある親切は必ず報いがあるとも。
口数少ない叔父さんが何か言う時は、含蓄のある深い言葉ばかりだった。小学生の時からそうだった。子供にも真剣に教えてくれた人だった。両親の記憶は遠ざかっているけれど、叔父さんと暮らした九年間は俺の根底を成していると言っていい。
だから、ここでおじいさんを見捨てるのは俺の選択肢にはなかった。それだけ。
「本当にすまんな。君だって時間がないのに」
「時間は……たっぷりありますが」
「いや……うむ……そうだ」
おじいさんはゆっくりと立ち上がった。
……百七十センチある俺より背が高い。予想外だ。
おじいさんはサングラスを外した。
下から現れた顔に、最初に抱いた「痩せたサンタクロース」の印象はなかった。
闇に紛れて牙を磨く肉食獣の目。
年老いた外見にそぐわない、強い目力。
思わず俺が後ずさったほど。
軍人に会ったことはないけれど、多分そういう関係の人が持っている……いいや、それ以上に磨き抜かれた目。中学の時美術展で見に行った日本刀にも似ていると思った。
「この礼はさせてもらうよ」
ほんの少しだけ、獣の目が笑った。
「三日後」
おじいさんは人差し指を立てた。
「君は、選択を迫られる。何になりたいか、と問われる」
「え、それって」
もしかしたら、明後日受ける、別会社の面接のことか、と身構える俺に、おじいさんは続けた。
「そうしたら、こう言いなさい。
「いき、がみ?」
何を言われたか分からず、俺は間抜けな顔をしていたと思う。
「誰に聞いたか、と問われたら、「
どういう意味かさっぱり分からない。
「君は、そうなるだけの価値がある」
おじいさんは深々と頭を下げると、俺に背を向けて歩き出した。
思わず突っ立って、その背が路地を曲がって消えたところでようやく我に返った。
「生神……?」
おじいさんに言われた謎の言葉から、別の単語が出てきた。
死神。
……そうだ、俺はあのおじいさんに、死神を見たんだ。
全身に鳥肌が立っていることに気付いて、俺は大きく息を吐いた。
「なんだろ……なんだったんだ……」
俺は思わず、そう呟いていた。
答えは返らず、俺は大急ぎで家へ帰った。
それから。三日。
どことも知れない空間で、誰とも言えない職員さん相手に、俺はこう言っていた。
「生神になりたい」
と。
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