3.その頃リムジンは速やかに車庫へと戻っていた。

 私、烏丸からすま五月さつき。どこにでもいる普通の女子高校生。こっちは平凡な人生を送っていたらまず間違いなく足を踏み入れることは無いであろう超大豪邸。


「はぁ~…………」


 ため息しか出なかった。


 いや、正直なところこれでも思っていたよりはまだ「現実に近かった」方なんだ。都心の一等地に西洋風の御城がドカンと立っていたりとか、練馬区の半分が全部屋敷の敷地とか、そういう頭のネジが大半すっぽ抜けてどっかに転がっていったしまったみたいなレベルではなかったのは事実だし。そういう意味では安心したともいえるかもしれない。


 ただ、だからといって驚かないというわけではない。


 敷地自体は「国立公園か何かですか?」と尋ねたくなるくらいに広い。門は私の身長の倍くらいの高さがある上に、二、三操作をすれば自動で動くシステムになっているというとんでもない代物だ。


 門から邸宅までは当然車での移動になるし、その間庭師と思わしき人と、メイドさんと思わしき人と、執事さんと思わしき人が、それはそれは洗練された会釈でお迎えしてくれた。


 両隣(敷地が大変広いため隣接する家の数は当然二つではない)の家も、私の基準からしたら十分大豪邸なのに、最終的にはそれらが質素に見えるレベルの馬鹿でかい豪邸にたどり着いたもんだからもう訳が分からない。


 あの噴水と生垣は一体どういう意味を持って整えられているんだろう。作るだけでも相当な値段だろうし、維持費だって馬鹿にならないはずだ。


 まあきっと、このお嬢様にそんなことを言っても「綺麗だろう?私のお気に入りなんだ」とかそういう言葉しか返ってこないのは分かり切っているから、そっと胸の内にしまっておいた。住む世界が違い過ぎる。


「お待たせしました」


 運転手を務めていた初老のおじさんがそう告げると、遅れてドアが静かに開く。ここも自動なのか。金持ちは自分で扉を開けないのかもしれない。


 薊は「ありがとう」と一言告げて車外に出て、私に向かって手を差し伸べ、


「さ、お嬢様。お手を」


 お手を、じゃないよ。アンタだろ、お嬢様は。


 と、そんな視線をメイドさんに向けてみると、


「諦めてください。この人は一度やると決めたら、譲らない人です。エスコートされるくらいは甘んじて受け入れないと日が暮れますよ」


「……マジ?」


「大マジです」


 その顔にはあまり感情が無かった。そもそも片方の目が隠れているから読み取るのは至難の業だ。ただ、彼女が嘘をつくようには思えなかったので、


「はぁ……」


 ため息ひとつで覚悟を決めて、


「ん」


 手を差し出す。するとあざみはその手を取って、私をぐいっと車外に引っ張り出し、いつの間にか腰に手を当てて、自らの胸元に引き寄せて、


「さ、行こうか?さーちゃん」


 そう囁いた。


 ずるい。その呼び方はずるい。昔のことを、二人仲良く無邪気に遊んでた頃を思い出すから、ガードが薄くなるじゃないか。そこに飛び切りいいお顔でイケメンスマイルをぶつけてくるんじゃないよ。脳がバグるじゃないか。あ、まつ毛長いなぁ……好き。


「う、うん」


 いかんいかん。このままだと完全に向こうのペースだ。私は別に薊と結婚するつもりはない。


 と、いうかそもそも付き合うつもりはない。あくまで二人は友達だ。平凡な人生にはちょっとそぐわないレベルの家柄をもった友達ではあるけれど、それくらいならギリギリ許されるはずだ。


 一般の生徒も受験するお嬢様学校には皇族だって通っているらしいし、そういう友達がいるくらいならギリギリ普通の域を出ないはずだ。友人の友人がアルカ○ダな政治家がいるくらいだ。友人にお嬢様がいても不思議じゃない。はずだ。


 私はやや強引に腰に回された手をひっぺがし、つないでいた手も放して、


「一人で歩けるから。平気」


 それを聞いた薊が、


「そうか。うむ。そうだよな」


 とあっさり引いた。あれ、意外。もうちょっと粘るものかと、


「それなら純粋に、友達として、手をつながないかい?せっかく久しぶりに再会したんだ?ね?」


 訂正。


 やっぱりそう簡単に諦める女ではなかった。薊は再び私に手を差し伸べる。その目的はさっきまでと同じ。私と手をつなぐこと。だけど、理由は違う。今度は純粋に、友達として、手をつなぎたいというのだ。


 ずるいと思った。そんなの断れるわけがない。私だって、久しぶりに薊と会えたことは嬉しいんだ。それを理由にするなんて。


 まあいいや。薊だって友情を懐かしむ心は持っているだろうし、それを無下にするのはよくない。昔に比べると大分印象は変わったけど、薊はやっぱり、薊だから。


「じゃあ、ん」


 手を差し出す。すると、薊はぱあっと表情を明るくして、


「嬉しいよ、さーちゃん」


 と囁き、私の手を、


「…………ちょっと待て」


「なんだい?」


「手をつなぐのはまあいい。これはどういうことだ?」


 そう。


 手をつなぐだけならいい。高校生にもなって仲良くお手々をつないでなんていうのもどうかとは思うけど、小さい頃の友達との再会だ。それくらいの無邪気さはあってもいいと思う。決して変じゃない。だけど、そのつなぎ方が、


「……これ、恋人繋ぎってやつじゃないの?」


 そう。


 薊はがっつりと指と指を絡ませる恋人繋ぎをしてきたのだ。一瞬のことで抵抗が出来なかった。おまけに結構力が強いから、振り切るにはかなり無理やりにしないと難しそうだ。


 薊は楽しそうに、


「いいじゃないか。この方が五月を感じられて私は好きだよ」


 そう言い切った。駄目だ、こいつ早く何とかしないと。

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