2.いわゆる「友達から始めましょう」ってやつ。

 魂が口から抜け出ているような気がする。お客様に霊能力者はいらっしゃいませんか。もしいらっしゃれば、この抜け出しそうな魂を無理やり肉体に押し戻していただけませんでしょうか。なんちゃって。


 メイドさんが感情の起伏とは無縁の口調で、


「雌豚……もといお嬢様」


 今雌豚って言い切ったよね?


烏丸からすま様はあくまで友達からのスタートを望んでおられます。あまり無理やりなされては嫌な思いをさせてしまうのではないでしょうか。それは、お嬢様の望むところですか?」


 あざみは喉に物が詰まったような顔をして、


「そう、だな。すまない。つい性よ……愛情があふれ出てしまった。許してほしい」


 今性欲って言いかけたよね?君たちは言ってはならないワードを口に出しかけないと気が済まない主従なの?


 ただ、そんな言動はともかくとして、


「いいよ。許してあげる。私だって、久しぶりに会えてうれしいんだから、ね、あっちゃん?」


 と、昔の呼び方をする。薊は微妙に視線を逸らし、


「そ、その呼び方は子供っぽいからやめよう。うん」


 見つけた。見つけちゃった。薊の弱点。既に土俵際の崖っぷち、野球で言えば九回裏ツーアウトのノーボールツーストライクの状態だけど、ここから逆転するためのカギになるかもしれない。諦めたらいけないんだ。スリーアウト試合終了のはずが、振り逃げで逆転するなんて展開が待っているかもしれないんだから。


「しかしまぁ……凄い車だね、これ」


 私は改めて車内を見回す。そう。取り合えず公園で立ち話もなんだからということで薊の家に案内されることになったのだ。完全に向こうのペースになってしまっているような気がするけど、断ったら今度は私の家にクソデカリムジンで乗り付けるだけなので諦めた。私個人が豪邸に招かれる方がまだ現実味があるからね。

 

 あんまりきょろきょろ見ていると貧乏っぽいからやらないようにしていたんだけど、かといって、全く興味がないというのもおかしい気がするから言及してみる。これを当たり前と思うようになったらおしまいだ。そこがまさに転落の序章に違いない。慢心、駄目、ゼッタイ。


 薊は「そうか?」と首を傾げ、


「まあ、五月さつきが喜んでくれるなら、私は嬉しいよ」


 と言ってニッコリスマイル。これがまた反則級に美しい。ぶっちゃけちょっとどきっとする。一体そんな笑顔、どこで身に着けたんだ。


 私は、そんな疑問を、そのままぶつけてみることにする。


「ちょっと、いい?」


「なんだい?」


「薊ってさ……昔からそんな感じだったっけ?」


「ああ」


 薊は何かに気が付き、


「そうだね。確かに昔の私は弱虫だった気がするよ」


「そう、だよね」


 そう。


 私が知っている観音寺かんのんじ薊はもっとひ弱な子だった。着てる服とか、容姿の綺麗さとか、そういう根本的な部分は今と同じだったと思うけど、性格は今と真逆だった気がするんだ。なにをするのにもびくついて、怯えて、だから反論が出来なくて一方的に言いくるめられそうになってたんじゃないか。


 それが今じゃどうだ。今の薊はむしろロリ薊みたいな子を率先して助けに行きそうな気がする。守る側と守られる側。完全に立場逆転だ。


 薊はぽつり、ぽつりと、


「小さい頃の私はずっと臆病だった。あの日だって、君に助けてもらわなかったらどうなっていたか分からないしね。それでね、五月。あの時君に助けられて思ったんだ。こんなかっこいい人になりたいって。そして、隣に並び立ちたいって。それから私は、自分を変えようと努力した。ドラマ、映画、アニメ、演劇。様々な“演技”を見て、学んだ」


 私は後を継ぐようにして、


「その結果が、今の薊」


「そういうことさ。どうだろうか」


「どうって言われても……」


 薊の気持ちは分かる。今の状態に持ってくるまでの努力がどれほど大変だったのを想像するのは難くない。そういう意味で彼女は尊敬に値するし、凄いなと純粋に思った。


 だけど、疑問はある。


「えっと……更に質問いいかな?」


「なんだろうか?」


「薊は……小さい頃の私を見て、今みたいになったんだよね?」


「ああ」


「えっと……それと私と付き合いたいってことになんのつながりが?」


「言っただろう。あれが私の初恋なんだって。私も最初はよくわかっていなかった。だけど、段々とこれが恋なんだって気がついた。そうしたら、ますます自分を変えなくちゃいけないと思った」


「……私が女だってことに気が付いても?」


「もちろん。そんなことにとらわれるようでは観音寺の名が廃るからな」


 そういう時だけ家の名前を出してくるのやめない?


 ただ、薊の気持ちは分かった。彼女がどれだけの思いで自己変革をしてきたのか。それが私に対する初恋というエンジンによって推進されていたということも含めて、十分すぎるほど伝わって来た。


 とはいえ、それだけで動くほど現実は甘くない。


 少なくとも、私を動かすには、不十分だ。


「……薊の言い分は分かった」


 薊は表情をぱあっと明るくし、


「ホントか?妊娠してくれるか?」


「過程をすっ飛ばすのやめてもらえる?」


 後、妊娠は無理だろう。生物学的に、


 そんな私の考えを見透かすようにして、


「最近の医学っていうのは凄いからな。性別の違いくらいどうってことはないはずだ」


 謝れ。全医療関係者に謝れ。邪100%みたいな願望をかなえるために発展したんじゃない。


 私はわざとらしく咳ばらいをし、


「ゴホン……言い分は分かったけどさ。やっぱり実感はないよ。小さいころ以来久しぶりに再会したばっかりだし。薊は綺麗だし、いい話をしてくれてるのも分かる。分かるけど、やっぱりすぐには難しい」


 きっぱりと断る。拝啓以下略。不肖の娘を許してください。あなたの借金はまた元通りになってしまうかもしれないけど許してください。数倍に膨れ上がるのだけはなんとか私が阻止しますから。どうか許して、


「分かった」


「ん?」


 今なんて言った?分かった?


「つまり、つまりだ。別に五月は、私が嫌いなわけでもなければ、一緒に暮らすのがいやというわけでもない、というわけだな?ただ、まだ恋人としての実感がわかないということだ」


「実感がわかないってのは言い方がちょっと違う気もするけど……まあ、友達としてなら仲良くしたいと思ってるよ」


 それを聞いた薊は、まさに自信満々と言った笑顔で、


「それなら話は簡単だ。五月。友達から始めよう。そして」


 そこで言葉を切って、


「宣言するよ。きっと君を落として見せるって」


 そう言い切った。


 おかしい。こんなはずじゃなかったのに。

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