第20話 理解して描いた誤解答

 香菜ちゃんは、俺の目を真っ直ぐに見つめる。


「お兄ちゃんにできる事、か……分かった。そこまで言うなら、少しだけ手伝わせてやる」


 俺の覚悟が伝わったのか、香菜ちゃんは諦めたようにそう言った。


「私は関係のありそうな都市伝説や怪談を捜査するから、お兄ちゃんは今まで通りに元カレや妹を調べてくれ」


「え、いや、呪いをかけたのは化け物なんでしょ? 現状で千場や妹さんの重要度はそんなに高くないと思うんだけど……」


 俺の問いに、香菜ちゃんは傲然として鼻を鳴らす。


「呪いをかけたのは化け物かもしれないけど、化け物をけしかけた人間がいるかもしれない。だからお兄ちゃんには今まで通り、怪しい人間に接触してもらいたい。ほら、適材適所だ。私よりもお兄ちゃんの方が、そいつらには接触しやすいだろ?」


 香菜ちゃんの言うことはもっともだ。

 だが同時に、俺を化け物から遠ざけたいという意図もあるのだろう。

 俺は少しだけ悩んで、結局折れる事にした。


「分かった……でも、無茶はしないでよ? 危なくなったらすぐ逃げる。それだけは約束してほしい」


 自分では動かず、危険な事は香菜ちゃん任せきり。

 そうするよう導いたのは香菜ちゃんだけど、それでもやはり、俺がそれに黙って従っているのは、俺の弱さでしかない。


 ……本当に、これで良いのか?

 お前の利己主義が、今の最悪な状況を作ったんじゃないのか?

 そもそも、香菜ちゃんが俺を手伝う必要なんてない。

 完全に俺が、善意に甘えているだけ。


 本当は、俺一人で全部を終わらせるべきなんじゃないのか?

 グルグルと、疑問と正しさが頭の中を巡る。


「香菜ちゃん……やっぱり俺が———」


「ねえ、お兄ちゃんの言いたい事は分かるよ。お兄ちゃんは優しいからさ、きっと私に迷惑がかかるんじゃないかとか考えてるんだろ?」


 香菜ちゃんは俯き、小さく拳を握り込む。


「……でもさ、幼馴染じゃんか」


「それは……」


 煮えきらない俺に、香菜ちゃんは更に言葉を続けた。


「私は、もう後悔したくないんだ。お兄ちゃんに大切な人を失って欲しくないし、お兄ちゃんの力になりたい……お兄ちゃんを、失いたくない」


 ぎゅっと、服の裾を掴まれる。


「なあ、お兄ちゃん。今度こそ、私が助けるから……だから、どうか助けさせてくれ」


 香菜ちゃんの縋るような瞳を見て、俺はようやく理解した。


 これはきっと善意ではない。香菜ちゃんのエゴなんだ。

 蓮一への贖罪に苛まれた、独善とも呼べるほどのメサイアコンプレックス。

 それが、彼女の抱える病理なのだろう。


 俺は少しだけ気分が軽くなって、重くなった。

 救いを求めているのが俺だけではないという、当然の事実に気が付いてしまったから。



+++++



 ……これから、どうしようかな?

 俺はボンヤリと歯を磨きながら考える。


 結局、今日は府川さんの家には行かなかった。

 考える事が沢山あったからだ。

 香菜ちゃんの事、俺がこれからやるべき事、妹さんの告白の意味、府川さんとのこれから、本当に沢山ある。

 そう、だから、俺は府川さんの家に行かなかった。


 ……なんて、やっぱり言い訳だな。

 府川さんが潰した小動物らしき肉片や、別れ際の言葉にならない声を思い出すと、もう恐ろしくて仕方が無くなる。


 本当は、今すぐにでも会いに行くべきなんだろうな……。

 だって今の府川さんは、俺に依存してなんとか心を保っている状態だ。

 俺は、府川さんの事が好きだから。


 ……そもそも、なんで好きになったんだっけ?


 たしか始まりは偶然で、二年になったばかりの頃に隣の席になったんだ。

 一年の頃に薄っすらと仲良くなった奴らが、二年になって二人とも別のクラスになったから、勇気を出して隣の府川さんに話しかけた。

 そう、そうだ。それで、凄く純粋で良い子だったから憧れて、次第に好きになった。

 思えば、自分の事が特別嫌いになったのも、府川さんを好きになった頃からだな。


 泡沫のように思い出した自分の記憶は、客観的に見て大した事の無い、ありきたりな話だった。


 あの頃は、楽しかったな。

 毎日、府川さんの反応に一喜一憂して……でも最近は、ずっと憂鬱だ。


 やはり、今日は府川さんと会う気になれない。

 もう遅いし、また明日にしよう。


 俺はそう結論付けると、歯ブラシを置いて洗面所に唾液を吐き出す。

 後はもう、寝るだけだ。


 とぼとぼと階段を上り、自室へ向かう。

 その途中でリビングの明かりが点いている事に気が付いた。

 母がテレビを見ているようだ。


 話せば楽になるとかいう、どこかで聞いたような言説が頭を過る。


 ……こんな事、相談なんてできないよな。

 そもそも、今までも母に何かを相談した事なんてほとんど無いし。


 俺はそっとリビングの明かりから目を逸らし、暗い階段に足をかける。

 一歩、一歩、徐々に周囲は暗く、明かりは遠くなっていく。

 でも、問題は無い。

 家の構造は覚えているから。

 記憶を探りながら、自分の部屋を目指して進んで行く。


 手の平で壁を撫で、そっとドアノブを回す。

 後は、ベッドに入るだけ。


 フラフラと死体のような足取りで歩き、パタリとベッドに倒れ込む。

 もぞもぞと布団を掻き分ける動きは、きっと客観的に奇妙なものなのだろう。


 ふと、無様な格好で動きを止める。


 後は、だんだんと眠くなるのを待つだけだ。

 それまでは、延々と脳内に渦巻く後悔と向き合わなければならない。


 ……府川さんに、会いに行けば良かったな。

 今日はもう会いに行けないと分かっているから、自然とそんな思考をする。


 はぁ。


 香菜ちゃんのエゴ、あんまり見たくなかったな。

 まさか、あそこまで蓮一に憧れているとは思わなかった。

 いや、違うか。憧れじゃないな。

 そういうのも含めて、コンプレックスとか、呪縛とかいうやつだ。

 ……香菜ちゃんは、俺なんかを救って自己慰撫になるのだろうか?


 ああ、ちょっと体勢が辛くなってきた。

 腕と首を動かしたいけど、めんどくさい。


 あー、めんどくせ。

 俺は少しだけ気合を入れて、腕と首を動かした。

 収まりの悪さにあまり変化は無かった為、諦めてまどろみを再開する。


 妹さんに関しては、訳分からん。

 何も分からん。

 唐突な告白も、もう少しですという言―――

 

+++++


 意識が覚醒する。

 だが、目が覚めた訳では無い。


 なんとなく無意識的に夢を観測していたのが、実感を持って夢に干渉できるようになったとでも言えば良いだろうか?

 とにかく俺は、自分が夢を見ていると自覚的になったのだ。

 そして、この現象は大抵の場合、肉塊の悪夢を見る時に起こった。


 夢の景色を見ようと、目を凝らす。


 そこには見た事も無い見慣れた、あぜ道。

 パタパタと傘を打つ雨の音。

 そして勿論、濡れて震える肉の塊。


 つまりは、悪夢の再来である。

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