第19話 自分を律してその先は?

「結論から言うと、あの家に呪いの痕跡は無かった」


 俺の目を真っ直ぐに見つめて、香菜ちゃんはそう告げる。


「っ! じゃあ犯人は妹さんじゃないのか……」


 完全に想定外だ。

 俺は思考をまとめようと、無意識に自分の机を指で叩く。


 ……現状、最悪の状況では無いのか?

 府川さんはピクニックの後、山に消えた。

 そして、そのまま家に帰ったらしい。


 妹さんの話によると、ずっとベッドに蹲っているのだという。


 今の不安定な府川さんを妹さんに任せるのは怖かったが、呪いを掛けたのが彼女で無いならまだ安心だ。

 とはいえ、捜査が振り出しに戻ってしまった事に変わりはない。


「となると、次の犯人候補は元彼氏……千場かな」


 俺がそう結論付け、クッションに座りなおす。

 そのまま、これからの捜査について話を進めようとすると、香菜ちゃんから待ったが掛かった。


「お兄ちゃん、やっぱり今回の件からは手を引かないか?」


「なんで? 犯人候補は少ないし大丈夫でしょ」

 もし千場が犯人でなくとも、諦めるほどに大変な任務とは思えない。


 俺の言葉に、いつもは即断即決の香菜ちゃんが珍しく悩んでいた。

 十秒ほど唸った後、ようやく香菜ちゃんが口を開く。


「…………犯人は、人間じゃないかもしれない」


 どういう意味だ?

 俺の疑問が顔に出ていたのだろう、香菜ちゃんがすぐに言葉を続ける。


「人間じゃない。それはつまり、化け物。私達よりも、もっと上位の存在が呪いを掛けた犯人かもしれないってことだ」


「そんな……」


 化け物が掛けた呪いなんて、俺達にどうにかできるのか?

 そもそも、なんで府川さんが化け物に呪われなきゃいけないんだ。

 府川さんは、普通に生きてきただけではないか、そんな不満が漏れそうになった。


 でも、俺には一つ心当たりがある。


 肉塊に傘を差す悪夢、告白、肉塊になった府川さん、呪い、それらの情報が脳内で組み合わさる。

 そして俺は、最後に一つの仮説へと辿り着いた。


 足から力が抜ける。


「……俺の、せいか? 俺が悪夢を見る度、肉塊に傘を差したりしたから……」

 府川さんが、肉塊に目を付けられた?


「お兄ちゃんのせいじゃない!」


 咄嗟に香菜ちゃんが俺の言葉を否定する。

 しかし、俺はもう香菜ちゃんの目を真っ直ぐに見る事ができなかった。


「いや……俺のせいだよ。府川さんが肉塊になった日から、あの悪夢を見なくなったんだ。俺が変に肉塊に関わったせいで、府川さんが呪われた。状況的に、そう考えるのが自然でしょ」


 府川さんが泣いたのも、府川さんが悩んだのも、府川さんが苦しんだのも、府川さんが変わったのも、全部! 全部、全部、全部、俺が原因だ。


 最悪だ。

 犯人候補は妹さん? 千場? ふざけるな。

 俺の利己主義が原因じゃあないか。

 泣きたくなる。吐きたくなる。


 でも、俺は浅い呼吸を繰り返す事しかできなかった。


「俺が、俺が終わらせないと」


 呪いも、化け物も、全部。

 俺はフラリと立ち上がる。


「香菜ちゃん、何でもするから……どうすれば良いか教えて欲しい」


 香菜ちゃんは悲しげな顔で俺を見ると「付いてこい」とだけ呟いて、足早に歩き始めた。


+++++


 香菜ちゃんについて行った先は、精神病院だった。

 蓮一が入院している所だ。

 そのまま、香菜ちゃんは慣れた様子で手続きを進める。

 どうやら、蓮一の病室に行くつもりらしい。


 呻いている人、独り言をつぶやき続ける人、足早に歩き去る人、静かに椅子に座っている人、様々な人を後目に、俺達は病院の廊下を進んでいく。

 偶にお見舞いに行くときと変わらない、いつも通りの様相だ。


 そしてついに、俺達は蓮一の入院している病室に着いた。


「蓮一兄さん、入るぞ?」


 香菜ちゃんが病室の扉をノックし、静かに開ける。

 いつも通り、蓮一はベッドからボンヤリと窓の外を眺めている。

 部屋に入ってきた俺達に反応する様子は無い。


 香菜ちゃんは、そっと蓮一の手に自分の手を添える。

 雲に太陽が覆われたのか、部屋が少しだけ暗くなった。


「お兄ちゃんに、蓮一兄さんがどうしてこうなったか教えてやる」


「良いの……?」


「ああ。本当は誰にも言わないつもりだったけど」


 香菜ちゃんは、蓮一の手を撫でながらそう言った。


 今まで、蓮一の件は原因不明だと説明されていた。

 だから正直に言うと、聞くのが怖い。

 しかし、ここまで来て聞かないという選択肢はありえなかった。


 俺は全てを終わらせると覚悟を決め、何でもすると言った。

 そして、香菜ちゃんは俺をここに連れてきたのだ。


 俺が居住まいを正すと、香菜ちゃんはそっと口を開く。


「蓮一兄さんがこうなったのは、私が原因なんだ……」


「……え?」


「蓮一兄さんが、UFOとか、こっくりさんみたいなのが好きだったのは、お兄ちゃんも知ってるよな?」


「え、ああ、そうだったな」


「蓮一兄さん、結構オカルトの本とか物とか集めて色々やってたんだけど、ずっと何も起こらなかったんだ。たぶん、オカルトの才能が無かったんだな、はは」


 そう言って、香菜ちゃんはぎこちなく笑う。


「……でも、私には才能があったみたいだ」


 香菜ちゃんは寂しげにそう言うと、泣きそうな顔で蓮一を見る。


「私が冗談半分で蓮一兄さんの本に載ってる儀式をやったら、中途半端に成功したんだ」


「……っ! じゃあ、それが原因で……」


「うん、化け物が……化け物が現れた。蓮一兄さんは、化け物から私を守ろうとして……結果がこれだ」


 無理やり吐き出すように紡がれた言葉は、普通なら到底信じられないような内容だ。

 しかし、俺はもう見てしまっている。人知を超えた存在の片鱗を……。

 府川さんを肉塊に変えたり、蓮一を廃人に変えたり出来るような、そんな理外の化け物は確かに存在する。


 怖い。それが紛れも無い俺の本音だ。


 府川さんの相手だけでも精神がギリギリだったのに、府川さんを肉塊に変えるような正真正銘の化け物を相手取るなんて、とてもじゃないが俺にはできない。

 怯んだ俺に追い打ちをかけるように、香菜ちゃんが口を開く。


「化け物を相手にするって事は、冗談抜きで死ぬかもしれないって事だ。だから、今回の件は私に任せてくれ……私は、ほら、慣れているから」


 香菜ちゃんは俺を見て、へたくそな笑みを浮かべた。

 気持ちが揺らぐ。

 化け物を、死を、府川さんを恐れてやまない俺にとって、香菜ちゃんからの提案は飛びつきたくなるほど魅力的だったのだ。


 しかし、そんな選択肢を前に、それでも俺は踏みとどまる。

 だって今の状況を作り出したのは、他の誰でも無く俺なんだ。

 無責任に傘を差し、無関係の府川さんを巻き込み、無意味に引っ掻き回した。


 そんな俺が今更、日常に逃げ帰る事なんてできない。


「香菜ちゃん。それでも俺は、俺にできる事をしたい」

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