第16話 俺だけは分かっている

「部屋が無い?」


「はい……最初は姉の部屋で寝起きしてて、今はリビングで生活してます」


「でも、府川さんの部屋に妹さんの私物は無かったよね?」


「姉と、共有してました……」


 違和感は残る。

 だが、これ以上追及したら俺が呪いについて探っている事を感づかれるかもしれない。

 ひとまず、これくらいで引いておこう。


「そっか……ごめんね、変な事聞いちゃって。部屋、入ろうか?」


 考えられるのは、府川さんと妹さんとで親からの愛情に偏りがあったパターンか?

 それなら妹さんが府川さんを邪険に扱うのにも合点がいくし、呪いの動機にも繋がる。


 案外、一緒に遊んだ時に言っていたスマホを持っていないというのも事実かもしれないな。

 知れば知るほど、妹さんが怪しく思える。


 少し気まずい空気の中、俺は妹さんに続いて部屋に入った。


「白石さんも、座って下さい」


 妹さんはベッドに座り、自分の横に座るように促してくる。


「別に、寝てても良いんだよ? 昨日から、あんまり寝てないでしょ」


「それなら、添い寝して下さい」


 グイグイ来るな……。

 この子は結局、俺の事をどう思っているのだろうか?

 俺に優しくする動機が分からない。


 府川さんへの当てつけか? あり得るな。

 でも、だとすれば妹さんがあまりに不憫だ。


 恐らく、俺は府川さんから保護者代理くらいにしか思われてない。

 つまり、妹さんは俺みたいな好きでもない男と添い寝をしたところで、府川さんにそれほどダメージを与えられないのだ。


 ベッドに入りやすいように掛布団を持ち上げている妹さんを無視して、俺はベッドに腰掛ける。


「……眠くなるまで、話し聞くよ」


 俺のつれない態度を見て、妹さんは静かに掛布団を被る。


 静まり返った部屋で手持ち無沙汰になった俺は、なんとなく部屋を見渡した。

 大きなドレッサーに、これまた大きな化粧台。

 小金持ちの婦人の寝室といった様相だ。


 こぎれいに片付いた部屋の居心地は悪くないが、どことなく空虚な印象を受ける。

 部屋の主が数日帰っていないからだろうか?


 ふと、化粧台に立ててある写真に目が行く。

 その写真には、笑顔の母親と父親と、少女が一人写り込んでいる。

 その少女が府川さんか妹さんかは分からないが、俺は何となく府川さんのような気がした。


 ……嫌だな。

 この家のどこからも、妹さんの存在を感じられない。


「白石さん」


 ずっと無言だった妹さんが話しかけてくる。


「白石さんは、なんで私に傘を差してくれたんですか?」


「なんでって……」


 ポツンと一人で佇む様子がなんだか寂しそうだったから……いや違う。

 そんなに優しい理由じゃない。

 俺は、妹さんの好感度を上げようとしただけだ。


 俺はすぐにそれらしい事を言おうとしたが、何故か言葉に詰まってしまう。

 いつもはこんな事ないのに。


 一向に口を開かない俺に痺れを切らしたのか、妹さんが再び話し始めた。


「白石さん、前に言ってましたよね? 白石さんが優しいのは好きな人に対してだけだって」


「いや、それは……」


 それでは、まるで俺が妹さんを府川さんの代わりにしているみたいではないか。

 ……みたいというか、実際にそうなのか?


 思えば俺は、ずいぶんと妹さんに甘かった気がする。

 そもそも、府川さんに呪いを掛けた事がほぼ確定している妹さんに対して、俺は全くと言って良いほど負の感情を抱いていない。

 府川さんの問題について冷静に考えられるようになったおかげかと思っていたが、もしかして俺は府川さんから、妹さんに目移りしていただけだったのか?

 だとすれば、利己主義者どころか最早ただのクズではないか。


 グルグルと気がつきたくない事実に近づく思考を放棄して、俺は口を開いた。


「……俺は妹さんの事も、府川さんの事も、大切に思ってるよ」


 馬鹿みたいに曖昧で人畜無害な言葉だ。

 だというのに、妹さんはこんなモノを前にして、はにかんだように笑っている。


「そう、ですか。やっぱり、白石さんは優しいです。えへへ」


 その表情は、文句のつけようが無い程に純粋で、府川さんにそっくりで……思わずドキッとした。

 その事実が、俺の罪悪感を更に強くする。


 さっさと呪いを解いて、もう府川さん達と関わるのは止めにするべきだ。

 そう決めた瞬間、頭の中の何かが切り替わったのを感じる。


 そして俺は、なんとなく脳内に漂っていた策を一気に組み上げた。


「あのさ、明日三人でピクニックに行かない? 人があんまり来ない場所があるから、府川さんも一緒に行けると思うんだ。それで、みんな一緒に息抜きしよう」


「わ! 良いですね! 白石さんとピクニック、楽しみです!」


「じゃあ、俺は府川さんをピクニックに連れ出せるよう説得するから、買い出しはお願いしていいかな?」


「はい! 今すぐ行ってきます!」


 そう言うと妹さんはすぐに準備を整え、部屋を出て行った。


 少し休んでからでも良かったのだが。

 まあ、本人が楽しそうにしているなら良いか。


+++++


 俺がピクニックについて話すと、府川さんは明るいうちから外に出る事を渋っていたが、なんとか説得に成功。

 その後は順調に準備が進み、明日に備えて皆早々に床に就いた。


 俺は府川さんが眠りについた事を確認し、スマホを開く。

 連絡先は香菜ちゃんだ。


 イヤホンから、呼び出し音が何度か鳴り響く。


「お兄ちゃんか、何の用だ?」


 ぶっきらぼうな声が聞こえる。

 電話越しだと仏頂面が見えないからか、かわいい声にばかり意識が行ってあまり威圧感を覚えない。


「香菜ちゃん、頼みたい事があるんだ」


「なんだ?」


「明日、五時間くらい府川家を空にするから、その間に呪いの手がかりを探してくれないか?」


「お兄ちゃんが調べちゃだめなのか?」


「正直、呪いの手がかりがどこにあるのか皆目見当もつかない。そもそも俺は呪いに詳しくないから、俺が探すより香菜ちゃんが探すのをサポートした方が良いと思った」


 香菜ちゃんは俺の言葉を聞き、少し考えた後で俺の提案を受け入れた。


「詳しく作戦を教えてくれ」


「俺は府川さんと妹さんを連れて明日の五時に家を出る。その後、少し遠くの沢でピクニックをして、早くとも昼の十時には帰ってくる予定になってる。だから、その間に呪いの手がかりを探してくれ」


「家にはどうやって入ればいい?」


「鍵を玄関の白い植木鉢の下に隠しておくよ」


「分かった。あと、最後に一つ言っておきたい……あんまり、入れ込み過ぎるなよ?」


 香菜ちゃんは、心なしか不安そうだった。


「ん? どういう意味?」


「……化け物って奴は、本当にろくでもないんだ。アイツがお兄ちゃんの好きな人じゃなかったら、本当はお兄ちゃんには関わって欲しくない。だから、化け物とか、その妹とかに、あんまり入れ込むなよって事」


「……別に、入れ込んでるからこんな強引な作戦を提案した訳じゃないよ。ただ、早く終わらせたいんだ」


 俺は、自分が情けなくて小さく息を吐く。


「最初は府川さんの外見が変わって、次に府川さんの親がいなくなって、府川さんの純粋さまで変わっちゃって、そしたら今は俺が府川さんの彼氏ってさ、もう訳が分かんないんだ。これ以上俺が府川さんに関わってても、どうにかできる気がしない。最初から、俺の手に余る問題だったんだよ。もう、俺は俺を信用できない。だから、これは丸投げしてるだけなんだ……」


 自分でも情けない話だが、結局の所これが俺の本音だ。

 俺は府川さんのヒーローにも、彼氏にもなれない。

 それだけだった。


 懺悔にも似た俺の泣き言は、香菜ちゃんにどう伝わったのだろう?


「大丈夫、お兄ちゃんは私が守ってやるからな」


 予想外に、いや予想通りに優しい声音が返ってきた。

 なんなら、俺は心のどこかでこの言葉を期待してさえいたのだ。

 香菜ちゃんの優しい言葉を求めて、俺は自ら弱みを見せた。


 香菜ちゃんの言葉は嬉しかったけれど、そんな言葉に縋る自分はやっぱり嫌いだ。


 香菜ちゃんに小さく感謝の言葉を告げ、すぐに電話を切る。


 顔が熱い。少し顔を洗ってこよう。

 俺は布団から立ち上がると、寝息を立てながらゆっくりと波打つ府川さんが視界に入る。

 急激に現実に引き戻された。


 ……明日吐かないように、先に吐いとくか。


 土曜の夜は、いつも通りに嘔吐の疲労感に苛まれながら過ぎていった。

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