第2話 実に気持ちの悪い存在

 府川さん、可愛すぎるぜ。


 俺の席は、府川さんの後ろだ。

 故に、ここ数週間は毎日府川さんの耳の裏を眺めて、日々をニコニコ生きている。

 まあ、悪夢のせいで一日の始まりと終わりは最悪の気分なのだが……。


 人生の山と谷を、こんなにハイペースで駆け抜けている人間は俺以外にいるまい。

 そんな事を考えていると、府川さんがクルっと振り向いた。


「ね!」


 どうしよう? 耳の裏を眺めているのがバレたか?

 ヤバいな、冷静になって考えるとキモすぎるだろ、俺。

 どうしよう? バレたかな? いや、流石にバレないだろ。

 真後ろにいる俺が何を見ているかなんて、分かるはずがない。

 そもそも、俺が前を向いている以上、いくらでも誤魔化しはきく。

 大丈夫だ、大丈夫だ。


 表情筋は、揺らいでない。


「なに?」


 俺は努めて冷静に返事をする。完璧だ。

 完璧過ぎて、嫌になる。


「消しゴム、かして?」


 こういう時の為に予備の消しゴムを持ってきておいて良かった。

 好感度が少しは上がるかな? 等と考えながら、俺は新品の消しゴムを筆箱から取り出す。


 ……まてよ?


 なにげなく消しゴムを借りようとしたのに、相手が新品を貸してきたら引かれないか?

 いや、府川さんはそんな人ではない。

 何なら、何も考えずに四つ角全て使っちゃって、返す段階で角を使うと相手が嫌がるかもしれないと思い至り、心底申し訳なさそうに謝ってくるような人だ。

 絶対に、新品の消しゴム程度で引く人間では無い。


「はい、これ」


 俺は府川さんに、さっきまで使っていた角の潰れている消しゴムを差し出しす。

 影で、そっと新品の消しゴムを筆箱にしまいながら。


 俺は、府川さんが新品の消しゴム程度では引かない人間だと信じ切れなかったのだ。

 本当に、自分が嫌になる。


「ありがと!」


「うん」


 俺の自己嫌悪とは無関係に、府川さんは笑顔だ。可愛い。

 府川さんの可愛さは無限大なのに、何故か胸がざわつく。


 ……あ。

 ヤバい。うわあ、どうしよう。

 あ~……どうしようか? 

 府川さんに貸した消しゴム、ケースの下に府川さんの下の名前書いてあるじゃん。


 クソ! 過去の俺! なんで気まぐれで、しょうもないおまじないを試した!

 消しゴムに好きな人の名前を書いたくらいで恋が叶う訳ないだろう!?

 もしそれで叶うのなら、結婚相談所なんていう商売は成り立たないし、雑誌の占いコーナーは消しゴム紹介コーナーと化している筈だろうが!


 どうしよう? 本当にどうしよう?

 高校生にもなって、ケースの下に好きな人の名前を書くおまじないをするキモイ奴だと思われる!

 いや、落ち着け。そもそも府川さんがケースを外さなければ問題ない。

 だいたい、府川さんが消しゴムのおまじないを知らない可能性だってある。

 そう自分に言い聞かせる事で、なんとか冷静さを保つ。


 チラリと、府川さんの方に目をやる。


 背中越しにも分かる。

 まじまじと、府川さんは消しゴムを見つめている。


 引かれた。はい、告白前に引かれて試合終了。笑える。笑えねぇよ。

 終わった……。


 ……いや! 諦めるな! 考えろ、打開策を。

 現状を、どうにかする言い訳だ。言い訳を考えるのは得意だ。

 大丈夫、大丈夫。どうする? どうしよう? しらばっくれるか? うおおお!


 俺の考えがまとまらないうちに、府川さんが再びこちらを向く。


「ケシゴム アリガト」


 府川さんの表情は、露骨にぎこちなかった。


「……あー、うん。あとさ……ケースの下、見た?」


「あう、う、うん」


 府川さんが、露骨に顔を赤らめる。可愛い。

 どうしよう? 言い訳まだ思いついてない、言い訳、言い訳、言い訳。

 ……そうだ! 架空の妹を作ろう。


 俺の妹が府川さんと同じ名前だという事にして、間違えて妹の消しゴムを持ってきた事にするのだ。

 実に言い訳じみた嘘っぽい話だが、というか嘘だが、妹の名前が書かれたノートとかプリントとかを偽造して見せれば、とりあえず事実だと信じてくれるだろう。

 うん、よし。勝ちだ。


「消しゴムに、さちこって書いてあったでしょ? あれ、妹の名前なんだよね」


「ああ! そうだったんだ、びっくりしたー」


 府川さんは口を大きく開けて、少しオーバーに思えるほど激しく驚く。

 口の中見えた、可愛い。


「はは、やっぱ勘違いしてたか」


 そんな薄っぺらい言葉を発しながら、俺はじっくりと府川さんの様子を伺う。

 ……とりあえず、この場は凌げたか? 


 しかし、あんなにオーバーリアクションで驚いて見せられると、府川さんの純粋な性格も、素直な反応も、実は全て演技なんじゃないかと疑ってしまう。

 そんな自分が、嫌になる。


 恐らく大抵の人間は、打算で消しゴムを貸したり、好きな人の純粋さを疑ったりしない。

 本当に、俺は何でこうなんだ? 


 新品の消しゴムを、意味も無くノートにガシガシと擦りつける。

 角が全てなくなった。


 はあ、俺みたいな表面だけ善良なふりをしている奴が、府川さんに好きだなんて言って良いのか?

 そんな事をしたら最早、結婚詐欺だろ。いや、結婚しないけど。

 ……できるなら、したいけど。


 エプロン姿で料理してる府川さんを見たい、なんなら一緒に料理したい。

 俺と府川さんが苦手な納豆を克服するために、二人で納豆を工夫して調理するんだけど、普通に不味くて、結局俺が頑張って全部食べてたい。

 俺が不味そうに食うのを見てられなくて、やっぱり府川さんも納豆を食べるんだけど、結局不味くて一口しか食べられず、申し訳なさそうな顔で納豆を食ってる俺を応援するんだ……うん、良いな。

 付き合ってもいないのに結婚する妄想をするな、俺。皮算用だぞ。


 …………今日、告白するのか。


 自分で決めた事なのに、どこか実感が湧かない。

 というか、学校が終わるまで後二十分も無いじゃないか!


 緊張してきた、どうしよう? 妄想している場合じゃねえ。

 本当にどうしよう? あ、そうだ! シミュレーションだ。

 脳内で、予行演習。そういうの、大切。


 最初は自然に、一緒に、いつも通りに帰る。

 それとなく、何気なく、キモくなく、一緒に帰ろうと誘うのだ。

 それで、良い雰囲気にする為に、少し前に貸していた恋愛小説の感想を言い合おう。

 うん、良いな。良い雰囲気だ。

 脳内府川さんも、少し恥ずかしそうにしながらキュンときたシーンについて語っている。

 可愛い。府川さん、脳内でも可愛い。


 それで、そこそこに話題も尽きてきたら、告白する。

 どこを好きになったとか、何故好きになったとか、言った方が良いのか? 

 もし言うなら、どうしよう?

 俺と違って、本当に善良な所が好きです! なんて、そんな捻くれた真実は言えない。


 府川さんは、俺の事を人畜無害で真面目な優太郎君だと思っている。

 であれば、優しい所が好きですとか、無邪気な所が好きですとか、そんな感じが無難だ。

 無難で、嘘じゃない。

 嘘じゃないだけ、だけど。


 告白って、こんなに不誠実で良いのか?

 いや、俺の目的は府川さんと付き合う事だ。

 俺の汚い部分を出して、振られる前提で告白する訳にはいかない。


 ……利己主義者め。

 そのまま悶々と告白の文言を考えていたが、理想の言葉は思い浮かばないままに、もう放課後だ。

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