第3話

「よっ、と」


「きゃぁっ!え、ちょっと、何なの!?」


なんとなく気まずい空気が流れていると、何を思ったのか、男は無言でベッドに乗り上がってきた。


ベッドのギシリという音と共に体が揺れる。


急なことに思わず悲鳴が漏れた。


衝撃に眉間を寄せる私を見た彼はいたずらっ子のような笑い声を上げている。


まったく、憎らしい。


「どうせやることねーし。ここでお前の寝顔でも見ておこうかなと」


何をしているのかと尋ねるとそんな答えが返ってきた。


してやったりとでも言うような憎らしい表情が、今はやけにキラキラ輝いて見える。


おかしなことだ。カーテンは締め切っていて、光は青年に届いていないはずなのに。


「はは、別にいーだろ。減るものじゃねーしっ」


無邪気な彼の様子はまるで、十年前のまだ幼い少年にそっくりだった。


不意に昔のことを思い出した。


『おい、どうしてものが浮いているんだ!?』


『なんだこれ……すぱげってぃ?っていうのか?……へえ、けっこううまいじゃん!』


『なあなあ、魔女!空のとびかたを教えてくれよ!』


幼い彼の声が脳内に響く。


初めて魔法を見せたとき、食の知識に乏しい彼に色々な料理を作ってあげたとき、初めて彼が魔法を使ったとき。


青年の笑顔が、幼い頃の彼と重なった。




「もっとあっち側に寄れよ」


ぐいぐいとベッドの端の方に寄せられて、はっと意識が現実に帰ってくる。


やけに押しの強い彼を見ながら、それにしてもと思い返す。


彼と暮らし始めて十年が立つが、こんなことは今までに無かった。


意地っ張りな彼は目に見えて甘えるようなことはしない。


なんと言えばいいのかわからなくて沈黙している私を無視して、勝手に布団の中に入ってくる。


されるがままに抱きしめられ、青年の胸に顔を寄せる形になる。彼の腕は思ったよりも力強いせいで動きにくい。


寝顔を見られるなんて絶対嫌だし、何よりついこの間までおんぶに抱っこをしていた男に宥められているなんて私のプライドに障った。


と、抵抗していたが5分経つ頃には抜け出すことを諦めていた。力の差には勝てないのである。


「なんなの、もう...」


私がおとなしい様子を見せると、安心して眠くなったのか頭上から穏やかな声が聞こえた。


「お前が寝てる間も、ちゃんと守っててやるから……」


どきりと心臓が軋んだ。切実な想いが、胸に刺さるほどに痛く感じた。


「だから……まだ………、…んじゃ……だめだ……」


よくわからない言葉を残して、掠れた声が掻き消えていく。


深い寝息が頭の上から聞こえて、大げさにため息をつきたくなった。


散々振り回したくせに、先に寝てしまうなんて、本当に自由な子だ。



彼の腕の中で、起こさないようにゆっくり体制を変えて顔を見上げた。


幼い頃と全く変わらない、あどけない寝顔。


じっと見ているとその目元には薄っすらと隈があることに気づいた。


なんとなく手を伸ばして目元をなぞると、何らかのまじないがかかっていることに気付く。


簡単な魔法のようなのでその場で解いてみると、先程よりも濃い隈が浮かび上がってくる。


このことを私に隠したかったのか。


どれくらいまともに寝ていないのだろうか。


けれどこの顔を見れば、やけに素直な様子であることや寝付きがいいことに納得がいった。


「アンタだって疲れていたんじゃない」


あんなに元気溌剌な様子だったのに。


こんな状態なのにいつも通りの散策に同行しようとしていたのか。


隠し事をされていた事が、彼が何だか遠くにいるようで寂しく思う。


昔は何かと私に相談してきたのに、もうこの子は私の庇護無しで、自分の判断ができるのか。


まるで親離れしていく息子を見る母親のような気持ちになった自分に自笑する。


まさかこの年でこんな気分を味わうことになるなんて、思ってもいなかったな。


「この、嘘つきめ」


さっきの仕返しの意味も込めてぐにっと青年の頬を引っ張った。


嫌そうに顔が歪んでいくのが面白い。


青年は少しだけ唸った後、邪魔だとでも言うように私の腕を掴んで更に抱き込んできた。脚までからめて来て、とても重いし苦しい。


けれど伝わってくる体温が、重さが、彼が生きていることを証明しているようで、心の奥が暖かくなった。


今度こそ眠りに落ちる。その寸前で彼に答えるように身を寄せて、そして呟いた。


「………おやすみ」


明日もまた、目が覚めますように。



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