人が小説を読む動機として、『ここではないどこか』、その世界へと身も心も浸したいというのがあるだろう。異世界ファンタジーが大人気というのも、その反映であろう。書き手は多くその中から様々な道具立てを用いて、それを現われ生じさせようとするのだが。
ただ、本作の場合、異世界から借用する道具立ては少なく、また、地味である。とはいえ、そもそも本作はそこに頼る必要も無い。3人の主要人物(主人公と親友とその父親)の互いを深く思いやる共感世界が、読者を「ここではないどこか」へといざなう。
ところが、1世代上(親友の父親)への少女の恋心は、その世界を壊しかねないものである。読者はその耽溺する共感世界が続くことを望むゆえに、少女の恋心の行方をハラハラしつつ見守ることになる。巧みな構成である。
あと、貴方がなすべきは、身も心も浸すのみ。