第238話 旅立ちの朝 5
エルメアーナを抱きしめていたリズディアは、エルメアーナの両肩に手を当てて、体を離すと、エルメアーナの表情を伺った。
エルメアーナは、リズディアを見ようとはせず、ただ、顔を少し横に向けて、下の方を見ていた。
エルメアーナも、リズディアの視線は感じており、見られていると分かっているのだが、なかなか、声が出てこないようだ。
しかし、それでも、リズディアは、エルメアーナから視線を外そうともせず、ジーッとエルメアーナを見ていた。
その沈黙が、示すものは、エルメアーナに対して心配する、リズディアの心なのだ。
それが、エルメアーナにもわかるので、苦痛になってきたようだ。
「リズディア様。 私は、フィルランカの事を恨んでは居ない。 それに父のことも恨んではいない」
リズディアは、エルメアーナを見て、黙って聞いている。
「私は、……。 今は、まだ、話せない」
すると、フュェルリーンもリズディアの手にも重なるように、エルメアーナの肩に手を置いた。
「大丈夫よ。 そんな事、今、ここで、あなたの口から言うものじゃないわ」
ヒュェルリーンは、リズディアに視線を送った。
その視線には、これ以上、エルメアーナのトラウマに触れないでと言っているように、周りからは見てとれた。
モカリナもイルーミクも、ヒュェルリーンとリズディアの様子から、エルメアーナの言おうとしていた事は、触れてはならないと思ったようだ。
「リズディア様。 今は、気持ちの整理をするために、南の王国でヒュェルリーンの世話になるつもりだ。 だけど、それは、一時の事だ。 気持ちの整理さえつけば、きっと、父とフィルランカと一緒に暮らせると思う。 だから、このまま、私は、帝都を発つ。 だから、申し訳ないが、フィルランカが、父から離れないように見て置いてほしい。 きっと、私が出ていく事が、フィルランカの重荷になっていると思う。 だから、私が戻ってくるまで、見守っていて欲しい」
エルメアーナの言葉を聞いて、リズディアは、ホッとしたようだ。
「大丈夫よ。 フィルランカの事もお父さんの事も、私達がちゃんと見ておくわ。 だから、安心して、南の王国に行ってらっしゃい。 エルメアーナは、南の王国に留学するのよ。 だから、卒業したら帰ってくるの。 それだけよ」
学校を卒業してないエルメアーナに、リズディアは、留学と言った。
どちらかと言うと、仕事の長期研修のようなもので、新たなものを知り、その技術を習得して帰ってくるという事になるのだろうが、大学の4年間程度になるのか、それ以上になるのかは、まだ、分からない。
そして、ジュエルイアンが、エルメアーナに行わせようとしている、その新たな技術が、そんな時間で完成できるのかは、今の段階では不明であり、なおかつ、リズディアは、ジュエルイアンが、これからエルメアーナに行わせようとしている仕事について、何も知らされてない。
ジュエルイアンの思惑は、ジューネスティーンという、始まりの村に居た、転移者の考えていた、パワードスーツを完成させるために、必要なパーツの製作を、エルメアーナに手伝わせようと考えていたのだ。
その話については、ジュエルイアンもヒュェルリーンも、イスカミューレンとリズディアには、話をしていない。
今の段階では、ジュエルイアンも、どんな事になるか先は見えてないので、商会内でもヒュェルリーンと他には、数名にしか話をしていない内容なのだ。
そんな事もあり、リズディアには、これから先、エルメアーナが、どんな事をするのか、見えてはいないが、ジュエルイアンとヒュェルリーンが、目を光らせているなら、酷い事になるはずは無いと考えているのだ。
「きっと、向こうには、あなたを夢中にしてくれる何かが、きっとあるわ。 だから、どんなに大変でも、必ず、達成させるのよ。 絶対に途中で投げ出さないようにね」
エルメアーナも、少し、気持ちが落ち着いてきたようだ。
「リズディア様、ありがとう」
すると、エルメアーナは、少し、ためらったようだが、口を開いた。
「モカリナ、頼みがある」
モカリナは、少し驚いたようだが、直ぐに何かと思って、エルメアーナの顔を覗き込んだ。
「何?」
モカリナは、優しく答えてくれた。
「ベンガークにお礼を言って置いてほしい。 私の鍛治は、あの中庭から始まったと言っても過言ではない。 あの庭の繊細な造形があったからこそ、見えない部分を、表面の状況から、その奥にあるものを見極める事が思いついた。 ベンガークが、丁寧に庭の設計についてまで教えてくれたことが、今の私を作ったと言っても過言じゃない。 私の中では、ベンガークも師匠の1人だ」
モカリナは、エルメアーナの言っている内容について、理解できたかというと厳しいみたいだ。
だが、エルメアーナの鍛治には、ベンガークの造園の設計思想が、参考になったことだけは、理解できたようだ。
「わかった。 ちゃんと、ベンガークに伝えておくわ。 ベンガークも、今の話を聞いたら、とても喜ぶわ」
「よろしく頼む」
すると、エルメアーナは、後ろを振り返るようなそぶりをするが、後ろのヒュェルリーンを見る事はなかった。
「さあ、ヒェル。 もう、行こう。 これ以上、ここに居たら、きっと、泣いてしまう。 だから、泣かないうちに出発したい」
「そうね。 行きましょう」
「こっちの事は、私たちに任せて。 きっと、向こうに何かが待っているわ」
エルメアーナが、出発を促した。
それにヒュェルリーンが、同意すると、リズディアも同意した。
周りにいるモカリナもイルーミクも異論は無いようだ。
その動きを見て、ジュエルイアンも立ち上がると、リズディアに向くと正式なお辞儀をした。
そして、顔を上げると、そこには、嬉しそうなリズディアの顔があった。
「鍛治用の機械の、ご購入、誠にありがとうございます。 戻りましたら、早速、見積もりと、納入に関する手続きなど、日程の確認をさせていただきます」
リズディアは、先ほどのヒュェルリーンの話を忘れてなかった。
リズディアのイスカミューレン商会の工房区に最新式の鍛治用の機械が展示されていたのを、ヒュェルリーンは、エルメアーナのために、ジュエルイアンに購入させるつもりでいた。
そして、リズディアは、その話を購入すると受け取ったのだ。
ジュエルイアンは、困ったような表情はしているが、否定する様子もなく、黙って聞いていた。
だが、そんなジュエルイアンを、リズディアは、ジーッと、見ていた。
ジュエルイアンは、仕方なさそうに、ため息を吐いた。
「分かった。 これは、ジュエルイアン商会ではなく、俺個人の投資だ。 高い買い物だが、エルメアーナを連れていくのだからな」
すると、リズディアは、深々とお辞儀をした。
頭を戻すと、その様子をジュエルイアンは、ジーッと見ていた。
「まあ、イスカミューレン商会の機械を売ってもらえるなら、きっと、安い買い物になるな」
その一言で、今まで、高額な機械の購入に喜んでいたリズディアの表情が一変した。
(ジュエルイアンったら、何か、とんでもない情報を持っているの? あの余裕は、中金貨3枚になる機械を購入しても、それを超える利益を得られるといった、ニュアンスだわ。 南の王国に、何かあるという事なのね。 ……。 それを私は、見落としているというわけなの? いいわ、全部、調べてあげるわ。 いつまでもやられっぱなしで終わらないから!)
リズディアは、引き攣った笑い顔をして、ジュエルイアン達を見送った。
馬車に乗り込み、通りを進み、南門から皇城まで続く大通りを、南に曲がるまで、金糸雀亭の前で、モカリナとイルーミクの3人で見送った。
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