第88話 フィルランカのマナー


 フィルランカは、カインクム達の話の邪魔にならないように、カウンターに戻った。


 お客は、ジュエルイアンとフュェルリーンの2人だけなので、カウンターに戻ると、2人が入ってくる前まで見ていた石板の内容を確認していた。


 カインクムが、テーブルで仕事の話をしている時は、聞こえていても知らないふりをするのだ。


 そんな事をしていると、奥からエルメアーナが扉を開けて入ってきた。


「なあ、フィルランカ。 ちょっと、小腹が空いた。 なにか」


 エルメアーナは、部屋に入ってくるなり、フィルランカに話をするのだが、来店していたお客の顔を見るなり、話を止めると、その方に走っていってしまった。


 すると、エルメアーナは、ヒュェルリーンに抱きついた。


「ヒェル! 合いたかった。 ヒェル、ヒェル」


 フュェルリーンは、驚いた様子もなく、自分の子供が甘えてきたような様子で、エルメアーナを優しく受け止める。


「ヒェルは、全く変わってない。 ああ、この柔らかい感触も昔のままだ」


 エルメアーナは、久しぶりに会った母親に甘えるような態度をした。


「まあ、幾つになっても、エルメアーナは、お子ちゃまね」


 ヒュェルリーンも、そんなエルメアーナの態度を嫌がる事もなく、受け入れていた。


「ヒェルは、昔と全く変わらない。 昔通りだ」


「何言っているの。 私は、99歳なのよ」


「だけど、昔と全く変わってない」


「私は、エルフなのよ。 それは仕方が無い事なのよ」


 エルメアーナの、その様子に周りは、黙って見てしまっていたが、ジュエルイアンが、カインクムに視線を向けた。


 カインクムも自分の娘であるエルメアーナが、客人であるヒュェルリーンの胸に顔を埋めて、嬉しそうにしているのを、なんとも言えない顔で、ただ、見ているだけで、何を言う様子も無かった。


(おい、お前の娘が、うちの嫁に、母親のような態度をとっているのに、父親は、見ているだけかよ。)


 ジュエルイアンは、仕方がなさそうに、ヒュェルリーンを見る。


 ヒュェルリーンは、ジュエルイアンの視線を感じると、ジュエルイアンの意図を感じたようだ。


「ねえ、エルメアーナ。 あなた、お腹が空いているのではなかったの?」


「うーん。 そうだったかも。 でも、このままがいい」


「仕方がないわね」


 ヒュェルリーンは、エルメアーナを胸に抱えたまま、立ち上がると、フィルランカを見る。


「あなたも、一緒に行きましょう。 そうね。 何か、簡単なものを一緒に作って食べましょう。 フィルランカさん」


 フィルランカは、立ち上がって、ヒュェルリーンに応える。


「かしこまりました」


 そう言って、お辞儀をするのだが、その立ち居振る舞いが、ヒュェルリーンには、意外に思えたようだ。


 第1区画の飲食店を回る時に、テーブルマナーと一緒にマナーも覚えていたフィルランカは、高等学校に入り、モカリナと付き合う事になり、儀礼的なマナーについても磨きがかかっていたので、そのフィルランカのお辞儀を見て、ヒュェルリーンは、この第3区画あたりでは、正式なマナーを観れるとは思わなかったのか、意外そうな表情をするが、すぐにフィルランカに聞く。


「では、お台所を使わせていただけますか?」


「はい、……。 いえ、私が何か用意します」


「ああ、構わないわ。 それに、ひょっとすると、南の王国の料理を教えられるかもしれないわ」


 ヒュェルリーンは、笑顔で答える。


「えっ!」


「簡単にできるお菓子を作るわ。 うちの人が、好きなのよ。 帝国には無いから、覚えてみる気はないかしら?」


 フィルランカは、知らないレシピと作り方を覚えることができると聞いて、表情が変わる。


「はい。 ぜひ、お願いします」


 フィルランカの嬉しそうな表情で、店から奥へ続く扉を開けて、ヒュェルリーンを導いた。


 そして、エルメアーナに抱きつかれたままのヒュェルリーンは、仕方なさそうな様子で奥に行くと、その跡を追って、フィルランカが奥に続いて、入っていった。




 その3人を、ジュエルイアンとカインクムは、見送った。


「なあ、カインクム。 あの娘は、何なんだ。 話し方、仕草、礼儀が、あれだけできているって、お前、なんで、あんな気品のある娘を雇っている。 大体、第3区画には、不釣り合いだろ。 どこの子なんだ?」


「ん? ああ、隣の孤児院から引き取ったんだ。 エルメアーナと、歳も同じで仲が良かったからな」


 ジュエルイアンは、何気にカインクムの話を聞いていた。


「ほーっ、隣の孤児院の子供だったのか。 ……。 何? あの娘は、孤児だったのか?」


 ジュエルイアンは、カインクムの話に驚いていた。


「ああ、そうだよ。 親の名前も顔も分からないらしい。 赤ん坊の時に、孤児院の玄関に捨てられていたらしいからな」


 ジュエルイアンは、信じられないといった表情をする。


「おい、本当なのか? あの仕草も、お茶の淹れ方も、何を取っても、どこの貴族の家でも、引けは取らんぞ。 とても孤児だったなんて思えない。 それに、エルメアーナと同じ歳って、16・7歳だろう。 あれだけの仕草ができるのなんて、貴族の令嬢位だろう」


 それを聞いて、カインクムは、ニヤリとした。


「ああ、フィルランカは、家事全般をおこなってくれている。 特に食事なんだが、あいつに払っている給金で、時々、第1区画の飲食店を食べ歩いているんだ。 マナーは、その時に覚えたんだ」


「そうなのか」


「ああ、どうも、その飲食店で気に入られたようでな。 テーブルマナーもだが、それ以外にも教えてもらえたみたいなんだ。 それに、最近は、高等学校で、ナキツ侯爵家の四女と付き合いがあるんだ。 2人、いや、エルメアーナも含めて、3人で行ったり来たりしている」


「おい、おい、おい、おい。 ナキツ家って、建国から続いている貴族じゃないか。 そんな家の娘とも交流があるのか」


 ジュエルイアンは、驚いて答えた。




 ツ・バール国の建国の際に、建国の父であるツ・エイワン・クインクヲンと共に、街道の警備に当たり、建国の際から、軍の一角を担う名家であり、近年の貴族の腐敗粛清にも引っかかる事なく、誠実で力に溺れる事なく、貴族の鑑と言われている家なのだ。


 皇族との血縁ではないので、侯爵であるが、皇族からは、公爵と同格に扱われている。


 貴族となると、持たされた権力から、選民意識が先行することが多いが、この家は、代々、民を守るため、そのもたらされた権力を使うのだ。


 決して権力を自分のために使わないと言う家訓を守るという家だった。


 ジュエルイアンは、イスカミューレン商会に雇われていた際に、帝国にも大きなコネクションを持っており、情報も持っていた。


 その頃から、ジュエルイアンは、帝国の情報を集めて、自分の商会のために使っていた。


 そして、イスカミューレン商会の家も、爵位の無い下級貴族の家である。


 ジュエルイアンが、イスカミューレン商会に所属していた際には、直ぐに頭角を表したので、当時、支配人だった、スツ・メンヲン・イスカミューレンの目にも止まっており、当時から帝国の貴族ともイスカミューレンを通じて面識があり、商売の相手になっていた。


 そのため、ジュエルイアンは、帝国貴族のマナーにも明るいのだ。


 そのジュエルイアンが、フィルランカを見て驚いていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る