第60話 侯爵家の四女 モカリナ 2


 入学式後の教師からの話も終わったので、後は、各々、自宅に帰るのだが、今のフィルランカの口から出た、ミルミヨルの店が、第5区画にあると聞いた瞬間に、周りの女子生徒が動き出していたのだ。


 それは、この後、直ぐに、ミルミヨルの店に親を引き連れて向かう事を考えたのだが、モカリナは、気が付いたようだが、フィルランカは、急に人が減った程度にしか思ってない様子だ。


 我先にと、その場を離れて、親の元に行って、おねだりをしようという魂胆が見えていた。


 ぎゅうぎゅう詰めの状態だったのだが、気がつくと、周りにいたクラスメイトの女子は、居なくなり、残されたのは、フィルランカとモカリナの2人だけになっていた。


「あら、皆様、急いで、帰られてしまいましたわ」


「はい」


「ねえ、あなたは、今日、ミルミヨルさんの店に行く予定なの?」


 呆気にとられていたフィルランカにモカリナが聞いた。


「いえ、今日は、行く予定はありません」


「そう、それは良かったわね」


 フィルランカは、何のことなのか、理解できずにいた。


「それは、どうしてなのですか?」


 モカリナは、ヤレヤレといった表情で、フィルランカを見る。


「だって、今、周りにいた女子達が、この後、何処に行くのかといったら、ミルミヨルさんのお店よ。 10人以上居たのよ。 それが全て、ミルミヨルさんの店に向かったのよ」


「ああ、なるほど。 でも、10人程度なら、あのお店なら入れます」


 モカリナは、それを聞いて、何を呑気な事を言っているのかと、呆れ気味になった。


「何を呑気な事を言っているのよ。 ここに入学した生徒なのよ。 しかも、このクラスに入れる生徒なら、家庭教師が付いている人達なのよ。 それは、貴族か商人なのよ。 その人達が、生徒だけで来るわけないでしょ」


 そう言われて、フィルランカも、カインクムとエルメアーナが、一緒に来たことを思い出した。


「そんな家庭なら、自家用の馬車も持っているわ。 10人の女子生徒と、その親を考えたら、30人は、ミルミヨルさんの店に行くのよ。 それにミルミヨルさんの店は、10台以上の馬車を停められるスペースがあったかしら?」


「あぁ! そう言えば、無いわ」


 モカリナに指摘されて、フィルランカは、納得できたようだ。


 10台の馬車で、30人もの人が、ミルミヨルの店を訪れたら、大混乱になってしまうだろう。


 しかも、その全員を相手にするほど、ミルミヨルの店に従業員は居ない。


 そんなところに、フィルランカが顔を出そうものなら、直ぐに追い返されるか、手伝わされるはずである。


「きっと、今日は、ミルミヨルさんの店は、大混乱よ」


 フィルランカも、それには納得できたようだ。


「それに、しばらくは、ミルミヨルさんの店には顔を出さない方がいいわよ」


「それは、どうしてでしょうか?」


 モカリナは、またかといった様子でフィルランカを見る。


「あなた、今日は、うちのクラスだけだったけど、新入生のクラスは、全部で7クラスあるのよ。 それに、入学式の時、他のクラスの女子が、あなたを、羨ましそうに見ていたのを覚えてないの?」


 フィルランカは、何の事だといった様子で、モカリナを見る。


 モカリナは、その様子から、フィルランカが、全く気が付いてなかったと分かったようだ。


「しばらく、ミルミヨルさんの店に今年の新入生達が、連日、押しかけているわよ。 それに、授業が始まれば、上級生達も、沢山、ミルミヨルさんの店に押しかけるわよ」


 それを聞いて、フィルランカも納得したような表情をする。


 自分は、ミルミヨルの店の宣伝を行なっているのだから、思惑が当たったのだと、モカリナの言葉で、やっと、納得したようだ。


「そうですね。 そうなりそうですね」


 モカリナは、フィルランカの、そのおっとりとした態度に、和んでしまったようだ。


(きっと、フィルランカは、自分が、次席入学だった事が分かってないのかもしれないわね。 この教室の席次は、成績の順番に割り振られているのよ)


 モカリナは、フィルランカの天然性に気が付いた。


(教えたら、どんな顔をするのかしら? ……。 いえ、ここは、フィルランカが、自力で知るまで黙っていましょう。 知らずにいて、突然、知った時の顔が、ちょっと見て見たいわ)


 モカリナは、少し意地悪そうな顔をする。


「あのー、モカリナ様?」


 心配そうにフィルランカが、モカリナに声を掛ける。


「様は、入りません。 私も、あなたをフィルランカと呼びますから、あなたも、私をモカリナと呼び捨てにしてください」


「はい! モカリナ」


「それで、何? フィルランカ」


「あのー、そろそろ、家の人と一緒に帰ろうかと思ったのです、けど」


「ああ、分かったわ。 じゃあ、私も、ご挨拶をしたいので、一緒に行きましょう」


「へっ!」


 フィルランカは、キョトンとした様子で、モカリナの話に答えた。


 フィルランカは、カインクムとエルメアーナの3人で暮らしているが、貴族でもない、ただの、帝国臣民なのだ。


 そんな相手に、侯爵家の四女である、モカリナが、挨拶すると言ったのだ。


 ありえない話に、フィルランカは、戸惑ってしまったのだ。


「フィルランカ、その上着を着て、直ぐに行きましょう」


 そう言うと、フィルランカがお腹の前に持っていた上着を、モカリナが取り上げて、フィルランカに着せ始めた。


 その様子を残っていた数人の男子生徒が目撃していた。


 フィルランカは、上着を着せられると、モカリナに手を引かれて教室をでる。


 その様子を見ていた男子生徒は、お互いの顔を見合わせた。


「なあ、あれ、服を着せていたの、ナキツ侯爵家のモカリナ様だよな」


「ああ」


「もう1人の女子は、誰なんだ?」


「今年の次席だよな」


「ああ、席次から、そうだよな」


「ひょっとして、皇族なのか?」


「いや、皇族じゃない」


「ああ、私も見たことがない」


「ひょっとして、皇帝陛下の隠し子じゃないのか?」


「「「えっ!」」」


 そこまで話すと、男子生徒は、お互いに顔を見合わせて、それ以上の詮索は終わらせた。


 現在の第21代皇帝 ツ・リンクン・エイクオンは、10人の側室に20人の子供を作っている。


 それは、ツ・バール国から大ツ・バール帝国に至る現在まで、初めての数であり、現皇帝はかなりの好色家なのだと噂されており、知られている側室の子供、20人以外に、その数の3倍は、隠れて作ったと噂されているのだ。


 ただ、側室10人に20人の子供と、皇室では過去に無い事例なので、噂が勝手に一人歩きしている可能性が高いのだ。


 男子生徒達は、まさか、侯爵家の四女が、貴族でもない、ただの、帝国臣民に上着を着せるとは思っていなかったのだ。


 侯爵家の四女が、身分を超えて、そんなことをするわけがないと、見ていた男子生徒は思ったようだ。


 ならば、フィルランカは、ナキツ公爵家だけが知っている皇帝の落とし子と勘違いしたのだ。


 モカリナは、その事実を密かに家から託されて、陰ながらフィルランカを守る。


 そんな噂が、新入生の間から伝わって、学校中に伝わるのに、そう時間は掛からなかった。

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