第25話 テーブルマナー


 フィルランカは、初老の副支配人と呼ばれた人に、案内されて店の奥に入っていく。


 店の中は、昼を回った時間だった事もあり、閑散としていたというより、奥の方に、一組のお客がいただけだった。


 お店は、そのお客が帰るまで、準備中の札を出さずに待っていた。


 そこにフィルランカが、店を訪ねてしまったのだ。




 副支配人の歩く姿を見て、フィルランカは、その歩き方を真似てみるが、うまく行かない。


 案内された席は、窓際の席で、外からの光がよく当たるところだった。


「ここは、この店で一番良い席なのですよ」


 そう言って、椅子を引いて、フィルランカを席に座るように促す。


 フィルランカは、席の前で、副支配人が何をしているのか分からずに、その様子を眺めていた。


 その様子を見て、副支配人は、フィルランカが、今まで、テーブルマナーが必要な店に入った事が無い事を見抜いた。


「お客様、こちらの、お席にお座りください」


「ああ、はい」


 フィルランカは、そう言われて、慌てて、副支配人の引いてくれた椅子に座る。


「ありがとうございます」


 フィルランカは、今までの飲食店とは違う対応に、少し驚いたのだ。


(この娘は、今まで、テーブルマナーの必要なお店に入った事は無いのか)


 副支配人は、フィルランカの様子を見て、テーブルに置いてあるナプキンを示す。


「こちらのナプキンを二つ折りにして膝の上に置いてください」


 フィルランカは、自分の前に有るお皿の上に、綺麗に畳んであるナプキンを取り、一度開いてから二つに折り曲げる。


「その時、折り曲げた方を、お腹の方に置いてください」


「こうですか?」


 言われた通りにフィルランカは、ナプキンを置く。


「はい」


 副支配人は、笑顔を向けて答えてくれた。


「お料理の方は、ご予算に合わせて、お店の方で用意させていただきます」


「えっ!」


 フィルランカが、ビックリして、副支配人を見る。


 副支配人は、フィルランカの耳元に顔を近づけると、小声で伝える。


「大丈夫です。 中銅貨1枚で収めますから、安心してください」


 フィルランカは、金額を聞いて安心した。


 ただ、11歳のフィルランカなら、一般的な少女の使える金額を遥かに超えているのだが、これも、カインクムやエルメアーナの為に味を覚える投資なのだと思っている。


 フィルランカの安心した様子を見て、副支配人は、別の従業員を呼ぶと、何やら耳打ちをする。


 その従業員は、副支配人に、了解したというようにお辞儀をすると、厨房の方に行く。


 しばらくすると、ジュースが運ばれてきた。


 それをフィルランカのテーブルに置くと去っていく。


「本来なら、食前酒を、お出しするのですけど、お客様には、まだ、早いので、ジュースをお持ちしました。 それと、一般的な食前酒は、ワインになりますから、ボウルではなくステムを指で摘むようにしてください」


 フィルランカは、ボウルとステムが分からなかったので、ジュースを見て、手を出そうかどうしようかと悩んでいると、副支配人は、丁寧に教えてくれた。


「このジュースの入っている部分がボウルといい、その下の棒状の部分がステムと言います。 あと、一番下のテーブルに置く部分が、プレートといい、口を当てる部分が、リムと言います。 ワインは、温めずに飲みますので、手の体温でワインを暖めないようにステムを摘むように持つのですよ」


 そう言って、手で場所を指し示して、教えてくれた。


「ありがとうございます」


 フィルランカは、お礼を言って、言われた通り、ステムを持ってジュースを一口飲んだ。


「この辺りのお店ですと、テーブルマナーも重要になってきますから、今日は、一通りの事を教えておきましょう」


 そう言って、テーブルの上に置かれているナイフとフォークの使い方、お皿の先にあるスプーンは、デザートの時に使うこと、それと、ナプキンの使い方、落ちた食器やナプキンは拾う事はせずに、従業員を呼んで、拾って貰うことなど、一通りの説明を行ってもらった。


「そうだったのですね。 食事にも、色々、ルールがあるのですね。 とてもためになりました」


 フィルランカは、嬉しそうにした。


(ほーっ、嫌がるかと思っていたのだが、この娘は、面白がっている。 仕込めば、いい淑女になるだろうな)


 フィルランカに、一通りのマナーを教えていると、スープが運ばれてきた。


 それをテーブルのお皿の上に置かれたのを見て、フィルランカは少し驚いた様子をする。


「スープは、手前からスプーンを入れて、すくうのです。 そして音を立てないように飲むのです」


 フィルランカは、言われるがまま、スープを飲む。


 コーンスープだった。


 いつも自分が作るものとは違い、口触りがとても滑らかだった。


「あのー、このスープ、とっても滑らかなのですけど、なんで、こんな風に出来るのかしら」


 フィルランカは、口触りの違いを思わず言葉にしてしまった。


「ほっほーぉ、料理に詳しいのですね」


「はい、料理は、毎日作ってます。 同じ料理でも、美味しさも全然違います。 私は軽く塩を使う程度ですけど、これには、塩以外も使ってますね」


(おやおや、味の違いまで分かるのですか。 食べ歩いているだけのことはある)


 副支配人は、フィルランカの答えに驚いたようだが、表情には出さないでいた。


「さすがですね。 あなたのような年頃の人が、そこまで、気がつくとは、驚きました。 そのスープは、作った後に、布で濾しているのですよ。 それと、スパイスを、少々使ってますので、塩だけとは一味違うのでしょうね」


「なるほど、細かく潰すだけだと、どうしても、こんな滑らかさは出ないと思ったけど、布で濾すのですか。 あと、スパイスですか」


 フィルランカは、スパイスというものが有ると聞いたことはあるのだが、売っている物を見た事がなかった。


 そして、初めて、スパイスを使った料理を味わったのだ。


「スパイスを使うと、全然違う味になるのですね。 とても美味しいです」


「そうですか。 それは、よかった」


(味の違いも、直ぐにわかってしまうのか。 これは、本物かもしれない)


 副支配人は、フィルランカに笑顔を向けた。


 噂では、嫁入り修行に料理の味を覚えるために、第3区画の店を食べ歩いているということを聞いている。


(良いお嫁さんになるために、料理の味を覚えるのか。 きっと、この娘には、意中の人が、もう居て、その人の料理を作る為に、いつも考えているのかもしれないな。 いや、案外、この娘の近くに、もういるのかもしれないな)


 副支配人は、フィルランカを見て、微笑ましく思ったのだ。

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