第2部 22

「やあ! 山田くん、久しぶり!」

 ――なにが久しぶりだ。

 柳町交番にいるタクヤを、余りにうそ臭い快活さを発揮した中島が訪ねてきたのは一一月一〇日は土曜日のことだ。

 乾いた空気の中を歩いてきた、中島のコートはツヤツヤだ。

「やあ、山田くん、わたしだ、わかるかね」

 音が割れるほど大きな声で電話がかかってきたのはこの一時間ほど前だった。

 名前が出ている、わかるに決まっている。昼食を一緒にしようという。用事があって街中に出てきた、そのついでに。

 目的が昼食でないことは明らかだ。断ることはないが、不愉快さが多少なり顔に出ることは避けられない、今もって。

「すぐ戻ります」

 ハコ長の永井に断りをいい、コートを羽織り連れ立って交番を出た。

 出るとそこにタクシーが待たせてあった(実はほとんど歩いてはいなかった)。タクシーに乗り込もうとする中島、

「おいおい、乗れるわけねぇでしょ」

 タクヤが腕を伸ばして指した、交番の直ぐ前の食堂だった。


 中華がメインのいわゆる大衆食堂である。土曜日、正午にはまだ少しあるが、店内は賑わっていた。

「この手の店には久しく入らなかった、期待と不安が入り混じるな」

 四人がけのテーブルに向かい合って座る、相席になっていないのが救いだった、それもいつまでもつかわからない。

「なんでも頼むがいい、もちろんわたしもちだ」

「チッ」

 舌打ちはタクヤの心の中で。

 焼肉セットに坦々麺は中島、タクヤはラーメン餃子セット。

「普段は草食動物かというような食事が多いからな、たまには油ッ気のあるものを食べよう、きみはよくこういうところにくるのか、似合いそうだな」

 育ちがよくマナーなどにも気を遣いそうな人間に思っていたが、食べ物を口に入れる、合間合間に独り言ともつかない言葉が口を衝いて出てくる、口の止まる間がなかった。

 草食動物とは、うまいことをいう、馬だけに、いや、馬じゃないけど……。

「動く、という情報がある」

 程よい騒々しさである、密談を交わすのに。

「近々、市内で」

「ほんとか?」

「最後の大仕事で国外に高飛びしようなどと考えているらしいが」

「どっからの情報だ? 信頼できるのか?」

 フッ、と中島は鼻で笑うと、やれやれ、といった顔で。

「警察はなにをしている。どこまでも暢気というか魯鈍(ろどん)というか。捕まえる気があるのか」

「……」

「なにも起こらないかもしれん。話はした、どうするかはきみ次第、きみたち次第だ」

 しかしこの坦々麺は侮れん、癖になるな……。どこまでが会話(情報)でどこからが独り言なのか、わかるがわかりづらい人間だ。

「いい店だったな、またくるからそのときはまた声をかけよう、しかし情報を提供して昼食まで奢らされるではかなわんな」

 ブツブツいいながら、中島は南に向かって歩き出した、この道の先には市役所がある、左に折れれば駅へと繋がる、ヤツがどこにいこうとしているのかは知らないが、暫し離れていく背中を見送った、口の中に残る苦味は情報をもらったという引け目、警察はなにをやっているんだという言葉に対する負い目。

 ――俺には、どうすることもできん……。

 交番のお巡りさんにはお巡りさんの仕事が山ほどある……。交番に戻る、道路を渡りかけた、

「しっかり頼むぞ」

 僅かに身を竦め、振りかかる手刀を薙ぎ払いながら振り返る。

 いない。

 左右に首を振る、さっきとは逆、北に向かって離れていく背中の中に、右手を上げているコートがいた、つやつやのコートが。

 鳥肌。肌が粟立っていた。

 苦笑いしかない。なんと得体の知れない男……。


『一週間以内に市内で窃盗団が仕事をする』

 市警察署副署長のメールフォルダにそんな投稿がなされる。

 署は騒然となったが、警察官諸氏を騒がせたのはその内容ではなく、副所長にそんなメールを送りつけたという部分になる。

 調べた結果、メールの送り主は既に使われていないアカウントを使っていた。何年か前に辞めた人間ものだった。

 調査を進め、内部のものの仕業ではなく外部から侵入された、いわゆる「ハッキング」だと判明したのは数日後のことである。

 犯人は、その先いつまで経っても捕まらないのだが……。

 副所長にメールが送りつけられたのは、中島とタクヤが昼を共にした夜、発覚したのは翌日の朝。

 タクヤがやらせた。

 とにかく「窃盗団が動く」ということを知らせれば警察も動いてくれると思った。

 どれほどの大きさか小ささかはわからないが、重心を突いて揺り動かしてやればどうかしらの動きになって外に現れるだろうと。

 ざわつきは署の外壁を超えてはこないようだ、少なくともタクヤが期待する早さ、あるいは大きさでは。

「そりゃそうだ」

 といったのはジュンペイ。

 たかだか不信なメール一通で動くような組織でないことはハナから自明だろう。まあ、タクヤの直談判より揺れは大きかろうが……。

 そもそも、T崎中の警察が動くようなことになれば向こうにも状況は伝わり、犯行が行われないかもしれない。

 防犯という意味ではそれでいいのかもしれないが……、いや、やはり捕まえなければなるまい、ここで。

 

 建物の外壁と地面が交わる闇の中で虫が静かに鳴いている。一一月の半ばである。

 タクヤの地元ではもう虫たちの声は聞こえまい。一二ヶ月を四つでわけると三ヶ月ずつ、とはいえ秋は短い。

 タクヤにとっては、今年の秋は長いものになっている。

 過去の影盗団の犯行をマキが分析する。

 店の場所、時間、天候、逃走経路。影盗団ではない他の店舗などを狙った窃盗事件のデータなども参照する。

 ただし、中島の話によると、あまり時間はないらしい、急いで高飛びしたいらしいという。

 この夜、一一月一一日午後一一時ころ(「一一」が三つ並んだことを、タクヤは「面白い」とは思いつつ、それを犯行と結びつけてはいない)。

 晴れているが空に月はない。三日月はとうに沈んでいる。

 タクヤは三日月が好きだ。

 三日月は「蛾眉」とも呼ばれる。「蛾眉」とは美しい眉のこと。蛾の触角のように細い弓なりの眉、転じて美人のことを指す。

 タクヤは非番だった。今日が三日月ということは、月はここから明るさを増し出るのも遅くなる、窃盗を働くにはなるほど早いほうがいい、ということになる。

 ――今どきの犯罪者が月のことなど考えるかどうか。

 影盗団にはそこらへんの「ロマンチシズム」を感じないではある。

 昨日の今日ではさすがにないような気がするが……。タクヤにどことなし集中力が欠けているようだ。

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