第2部 5
九月二六日水曜日から二七日に日付がかわった午前一時過ぎ。巡回していたタクヤと斉藤の前を幾つかの影が走った。
「タクさん!」
「応援要請!」
タクヤ一人影を追って走り出す。
県内で宝飾店や景品交換所を狙った窃盗がこのところ続発していた。
現場の状況や僅かな目撃情報から数名からなる窃盗団の仕業であろうと考えられた。
「そろそろT崎市じゃないか」と警戒を強めていたところだ。
幾つかに分けたところで軽くはない荷物を抱えて遠くまでは逃げられない。車があるはずだった。
ただし、ある程度警戒されていることは承知しているだろうし、あまり店の近くには置けないだろう。実際、店の周辺には怪しい車はなかった。
あるいは、どこかでピックアップするつもりだろうか。
時間はあまりない。タクヤはマークを口に放り込んだ。一気に差が詰まる!
次の瞬間、前の集団も加速した。
ヤロウッッッ!
影が路地を左に曲がった、「クソッ」心の中で己を鞭打つ、左に折れる、
「!」
タクヤは、跳んでいた、曲がり端に立っていた影の頭の上を。
影が鉄パイプ(のようなものを)打ち振るったのに気付くのは空中で。影の視線だけがこちらを追いかけていた。
着地、前転して振り向く、立ち上がらず地を這うように影に猪突!
上から振り落とされる鉄パイプを半身でかわしつつ跳ね上がる、相手を上から押し潰すように!
手応えあり! 掌底が顔面を捉えた!
影とすれ違い様振り返る。
影は倒れこむ、ように、五メートルほど向こうに止まっていたバンに身を投げ出すと、仲間を引き釣りこんだバンはドアが閉まるのを待たずにタイヤをスキールさせて走り去った、灯りもつけずに。
タクヤは右手に剥ぎ取ったマスクをみながら口に出す。
「やつら、『マーカー』だ」
講義のときに中島が出し惜しんだことはまだあった。
合わないマークを使って警察に捕まる間抜けではない、本物の『マーカー』の存在。
中島の話を聞き、ほとんどの警察関係者は「マーク使い=間抜けな犯罪者」と思い込んだ。
しかし、事実そんなことはない。チューナーによって調整された本物のマークを使い、使いこなす『マーカー』。
中島は講義のときには『マーカー』という言葉は使っていない。それは、中途半端なマークを使って自滅するような輩はマーカーとは呼べないからだ。
相性ばっちり合わせてくれるチューナーとペアになってこそのマーカーだから。
タクヤ以外にマーカーがいないと考えることが不自然だ。短い時間ではあるが身体能力を格段にあげるマークと犯罪の親和性は高い。
タクヤはここ最近の未解決事件の記録を洗い直した。
今回の窃盗団だけではない。空き巣や暴行事件、強盗傷害、特殊詐欺事件まで。
ここ二、三ヶ月の間の犯罪でいまだ犯人が捕まっていない事件は幾つもある。
その全てにマーカー絡んでいる……、ということはさすがにないだろうが、マーカーを考察に入れると見方が変わってくる事件もありそうだった。
とは思いつつ……。
タクヤが掴み取った証拠品、マスクというか目だし帽だが、ネットでも量販店でも手に入るもので、ここから犯人につなげるのは難しい。
目だし帽の内側からは毛髪や皮脂がとれた。データベースにヒットする人物のものはなかったという。
「捕まえられたのに」
タクヤは周りのものにそういった。悔しさが残る。
「今までなんの証拠もつかめなかったんだ、あのマスクを手に入れることができたのは大きな手柄だ」
ハコ長の永井初め、ほとんどのものはそういってくれたが。
調子に乗ったのだ。身長で勝る相手を上から捻じ伏せようとして跳んでしまったのだ。
無駄な動き、無駄な力が入ってしまった。「身の丈に合わない」とは文字通りこのことだ。
そんな落ちをつけて自分を慰めたり、あるいはまた馬鹿にしてみたり……。
それ以上にタクヤは悩んでいた。「マーク」のこと。
「やつらは『マーカー』だ」
それを報告するかどうか。
中島の意図を汲むつもりはないが、改めて「マーク」を主張することは憚られる。
子どもっぽいヒーロー趣味だといわれれば、それを全く否定することもできないようだし……。
窃盗団との遭遇からまだ二四時間にならない、木曜の夜、金曜にならんとする直前。タクヤは多町のあたりをぶらぶらしていた。
『影盗団』。
警察内ではヤツラをそう呼んでいた。
あるいは「影」、そして「マルカゲ」。防犯カメラの映像をみたある警察官の「まるで影だな」の呟きから。
影盗団の連中は防犯カメラに映ることをまるで憚っていない様にみえた。
全身黒尽くめで、顔も黒い目出し帽で隠している。
とにかく素早かった。常人とは思えない、まるで早回しで映像をみているように。
当然電気の消えた店内だが、中には暗視カメラの映像もあったが、それでもはっきりとらえきれない。
カメラに映っている人間の人数さえ確認できていなかった。
ヤツラがマーカーであれば、それも説明がつく、のだが。
影盗団に襲われた店の近く、裏通りの路地に入る。
証拠らしい証拠といえば、タクヤが奪った目出し帽と、バンが走り去るときにできたタイヤ痕くらい。
タイヤ痕から車種などはわかったが、持主まではまだしぼれず、持主まで辿り着いたとしても、それがヤツラにつながる保証はない。
「お江戸みたけりゃT崎多町」という言葉があったという。
その昔、この辺りの賑わいが江戸に匹敵していたということだろうが。
昼間でも夜でも何度も通ってきたが、交通機関の発達などでなにかと「距離が縮まった」といわれる昨今、この多町などは東京から遠くなっているようで。
勘を頼りに(要するに明確な宛てもなく)ぶらぶらと歩いている。
路地をのぞきながら、それは一つの習性のようだが、通り過ぎた路地、何気なく、タクヤは戻って暗い中を覗いた、体を入れて、闇を透かすようによくよく眺めた。
動いた、影が。
動く影のあるはわかっていた、それがなんなのか、なにをしているのか。
――よもやカゲではあるまいが。
体を戻し、路地奥からみえないように体を隠し、様子を伺う。
聞こえてくるのは呻き声のような音、複数、喧嘩のようだ。
ただの喧嘩か?
タクヤの嗅覚に引っかかった、それはまさに「臭い」、「臭い」がタクヤに告げる。
足音がこちらに出てくるようだ、タクヤはそこを離れ、また別な建物の影に身を隠した、誰が出てくる、この「臭い」の正体、持主は。
あいつは……。
街灯の下に出てきた二人の男たち。
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